表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

48/188

48.規格外

濡れた銀髪が、顔に張りつく。

完璧に整えられていたオールバックは、見る影もなく崩れ落ち――

それでもなお、ベインダルの美貌は冷ややかに際立っていた。


だがその冷気を切り裂くように、またもや響く――


「みぅ!みぅ~~!!」


楽しげにぴゅっと水を飛ばすクラウディス。


「も、申し訳ございませんっ!!」


彼を抱いていた赤髪の護衛騎士ジョンは、半ば泣きそうな顔で深々と頭を下げる。

ディーズベルダも慌てて手を差し伸べようとした、そのとき――


「あぁ……ご紹介がまだでしたね」


すっと前へ出たのはエンデクラウス。

まるでこの状況が“予定通り”かのような顔で、優雅に言葉を紡ぐ。


「こちらが、私とディーズベルダの息子――クラウディスです。

 ご覧の通り、アイスベルルク侯爵家の銀の髪と、アルディシオン公爵家の紫の瞳を受け継いでおります」


美しい紹介とは裏腹に、水しぶきがまたひとしずく、ぴちゃりとベインダルの肩に当たった。


その直後。


「…………今か?」


「……え?」


「その挨拶は、“今”必要だったのかと聞いている」


ピシッ、と張りつめた声に、場の空気が一瞬で凍りつく。


(で、ですよねーーーーーっっ!!)


ディーズベルダは内心で盛大に頭を抱えながら、ひきつった笑顔を浮かべる。

(ごめんなさいお兄様、拭く物も渡さず息子紹介って、貴族失格よね!?)


「まぁ~!!」


空気を読まず、クラウディスはさらに明るく腕を伸ばす。まるで拍手のように。


ようやく控えていた使用人たちが駆け込み、手早く上質なタオルを差し出すと、ベインダルは無言のままそれを受け取り、冷静に濡れた顔や髪を拭きはじめた。


(あああああ…どうすれば。)


ベインダルはタオルを置き、少しだけ視線をクラウディスに向けた。


「……1歳と、三ヶ月ほどと聞いているが?」


「え、ええ。だいたいそんなところよ」


「ふむ……」


一拍おいて、小さく、深く息をつくベインダル。


「……はぁ。話を聞こうか」


その一言に、場の空気がようやく落ち着きを取り戻し、皆がふっと安堵の息をもらした。


エンデクラウスはその流れに乗り、手をひらりと広げる。


「では、ご案内いたします。客間は、日当たりのいい西側にご用意しておりますので」


「……案内されるのは構わんが、誰かタオルを追加で持ってこい」


「ただちに」


使用人が慌てて駆けていき、ベインダルはずぶ濡れの髪を指先で少し直す。

表情は相変わらず無表情に近いが、氷のような殺気はようやく和らぎはじめていた。


(……うん。たぶん……たぶんだけど……嵐は、過ぎた?)


ディーズベルダはそっとクラウディスを抱き寄せ、小さく囁いた。


「今度は絶対……もうちょっと空気を読もうね?」


「みゅっ!」


元気よく返事をするクラウディスに、エンデクラウスはやけに満足そうに微笑んでいた。


◇◆◇◆◇


魔王城一階、賓客室。

昼下がりの柔らかな光が、厚手のカーテン越しに差し込む中――

ベインダル・アイスベルクは、重厚な椅子に座したまま、ゆっくりと部屋を見渡した。


「よく……この荒れ地を、ここまでにしたものだ。たったの三ヶ月で、か」


低く抑えた声だが、その響きには確かな驚きと、わずかな感嘆が混じっていた。


エンデクラウスはゆったりと腰をかけ、脚を組みながら微笑を浮かべる。


「日々、邁進しておりましたので。……とはいえ、現実のところは――」


ふと肩をすくめるようにして、続けた。


「この領地の礎は、ディーズベルダが築いた莫大な私財に支えられているのが実情でして。」


その声色は穏やかで上品、けれどどこか皮肉めいていて、明確に“本音”を混ぜていた。


ディーズベルダは、クラウディスを膝に乗せながら、特製のボディクリームを手に取り、さらりとその小さな体に塗っていた。

魔力の暴発を抑えるためのものだ。


「ほんっ! ふんっ!!」


不機嫌そうに手足をバタつかせるクラウディス。

まるで「こんなの必要ない!」とでも言いたげだが、ディーズベルダは慣れた手つきでぬるぬると塗り進める。


(動かないでってば……)


その様子を見ながら、ベインダルは鋭い視線をエンデクラウスに向けた。


「私はな……全てのことが、お前の周到な策略に思えてならん。婚前に子、急な追放と結婚、そして領地開拓。……その上でこの“子”とは。――詳細を聞かせろ。子について、だ」


重く、低い声が部屋に落ちる。


ディーズベルダとエンデクラウスは、わずかに視線を交わした。

互いに無言でうなずき合い――ディーズベルダがゆっくりと話し始める。


「……魔王城の地下に、研究室があるの。

 そこには、古代の遺物とも呼べる“装置”が残されていたわ。

 物質や生命さえも錬成する……信じられないような、転生者が残した知識の塊よ」


その言葉に、ベインダルの目がわずかに細められる。


「ある日、私とエンディ……エンデクラウスの血を装置に読み込ませたの。

 ただの反応試験のつもりだったのだけれど……そこで、彼が生まれたの。クラウディスが」


「……錬成、されたと?」


「正確には、“生まれた”としか言いようがないわ。

 彼は間違いなく私たちの子よ。血も、魔力も、思考も、すべてが融合して生まれた。

 魔法で作られた存在ではなく、“授かった”に近い感覚だったわ」


静かに語るディーズベルダの声を、ベインダルは黙って聞いていた。


エンデクラウスも続ける。


「さらに……この地を覆っていた紫の霧と魔物の異常繁殖。

 それも、装置の機構によって意図的に生み出された“封印”のようなものでした」


「装置の奥に、気候制御と魔物分布を司るスイッチがありました。それを解除した日――領地一帯から、一斉に魔物が姿を消したのです」


「もちろん、まだ奥地の森林には残っていますが……それも、開拓が進めばやがて消えるはずです。」


しん、と空気が静まりかえった。


クラウディスは、全身に塗り込められたクリームに不満を覚えながらも、ディーズベルダの膝にちょこんと収まり、じっと兄の横顔を見上げていた。


やがて――


「……なるほど」


ベインダルは、重く静かに一言だけを口にした。


そして、鋭い視線をディーズベルダに向ける。


「……相変わらず、お前は規格外だな、ディーズベルダ」


それが、彼なりの“納得”と“称賛”だった。


エンデクラウスは、隣でごく満足げに微笑んでいた。

まるで最初から、すべてそうなると分かっていたような顔で――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ