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28.敵だらけの公爵邸

エンデクラウスはクラウディスを抱き上げながら、無駄のない足取りで長い廊下を進んでいた。


漆黒の大理石の床に、灯りが揺らめきながら反射し、重厚な壁には家紋が彫られたタペストリーが静かに垂れている。


そんな格式高い空間を、クラウディスはまるで気にすることなく、無邪気に愛想を振りまいていた。


「まぁ~!」


行き交う使用人たちが驚いたように立ち止まり、やがて頬を緩ませる。


「まぁ、なんと可愛らしい……!」


「坊ちゃん、ではなく、お嬢様? いえ、しかし……」


「はっ……!」


クラウディスはふわふわした銀髪を揺らし、満面の笑みを浮かべながら手を伸ばす。

その仕草だけで、次々と使用人たちの心が奪われていく。


エンデクラウスはそんな様子を見て、一瞬だけ微かに目を細めた——が、すぐに足を止めた。


「クラウディス……誰彼構わず愛想を振りまくな。」


少し低い声に、腕の中のクラウディスがぱちりと瞬きをする。


「まぁ!」


返事だけは良い。


エンデクラウスはため息をつくと、何事もなかったかのように再び歩き出し、自室へと入った。


◇◆◇◆◇


扉を閉めると、静寂——ではなく、冷たい空気が漂う殺風景な部屋が広がっていた。


机の上には何一つ余計なものが置かれておらず、本棚には辞書や歴史書、教科書の類が整然と並んでいるだけ。


装飾もほとんどなく、まるで"必要最低限の機能を満たすためだけ"に作られた空間。

住まいというより、"管理された箱"のような部屋だった。


エンデクラウスはベッドにクラウディスを優しく寝かせ、その小さな手を軽く握る。


「いいか? クラウディス。」


「まっ!」


エンデクラウスは片膝をつき、目線をクラウディスに合わせる。


「ここはスパイだらけだ。余計なものに触るな。ご飯も、パパがあげるものしか食べてはいけない。」


「……まぁ。」


何を理解したのか、していないのか。

クラウディスは可愛らしく瞬きをしながら、こくんと頷いた。


「……そうか、いい子だ。」


エンデクラウスは、首元のボタンを緩めながらベッドに腰掛け、ふぅと息を吐いた。


普段の仮面のような冷静な表情とは違い、どこか疲れたような顔をしている。


(……はぁ、息が詰まるな。ここは。)


この屋敷のすべてが"政治"のために存在し、自分ですら"ただの駒"として扱われる空間。


彼の唇が、僅かに歪む。


「……お前も、そう思うだろ?」


エンデクラウスは、ベッドの上で小さく体を動かすクラウディスを見下ろしながら囁いた。


「……あぃ!」


その無邪気な声に、彼の顔にわずかな緩みが生じる。

たったひとつ、自分がこの世界で"愛"と言えるものがあるとしたら、それは——


——コンコン。


不意にドアをノックする音。


エンデクラウスは顔の表情を一瞬で消し去り、冷徹な声で命じた。


「……入れ。」


扉が開くと、淡々とした顔をした医師が部屋へと入ってきた。


「診察の依頼を受けて参りました。」


エンデクラウスはベッドの上のクラウディスへと視線を向ける。


「1歳と1ヶ月ほどだ。見てやってくれ。」


医師は頷き、クラウディスの小さな身体を丁寧に診察し始める。

エンデクラウスは、その様子を無言で見守っていた。


数分後——


「問題ありません。健康そのものです。」


エンデクラウスは軽く頷いた。


「そうか。」


医師は診察を終え、荷物を片付けながら頭を下げる。


「では、これで——」


「待て。」


「……はい?」


医師の動きが止まり、エンデクラウスは淡々とした口調で言った。


「少し、ここにいてくれ。」


彼の目が、一瞬だけ冷たく光った。


医師は戸惑いながらも、その言葉に逆らうことはできなかった。


エンデクラウスの冷たい瞳が、鋭く医師を射抜いたまま、室内の空気はどこか張り詰めていた。


——コンコン。


扉を叩く音が響き、続いて控えめな声が部屋に届いた。


「お食事をお持ちいたしました。」


メイドが二人、銀の食器を載せた盆を抱えて部屋へと入ってくる。


カチャリ。


豪華な食事がテーブルへと並べられる。湯気の立つスープ、香ばしく焼かれた肉料理、ふんわりと焼き上げられたパン。どれも最高級の品々で、見た目にも食欲をそそるものだった。


だが、エンデクラウスの視線は食事には向かず、運んできたメイドたちをまっすぐに捉えていた。


「そこの二人。」


静かだが、まるで冷たい刃物を突きつけるような声。


「それを毒見しろ。」


一瞬、部屋の空気が凍りついた。


メイドたちは顔を引きつらせ、互いに視線を交わす。


「え……?」


「早くしろ。」


低く、圧のある声が響く。


「……死にたいのか?」


その言葉が放たれた瞬間、震えながらもメイドの一人がスプーンを手に取り、スープをすくって口に運んだ。


もう一人は、何も気にする素振りもなく、当然のようにナイフとフォークを手にし、肉を切り分けて一口頬張った。


——しかし、その瞬間。


「——っ!」


何も気にせず食べた方のメイドが、唐突に喉を押さえ、苦しげに咳き込んだ。


ぐらりと体を揺らし、手にしていたフォークがカチャン、と床に落ちる。


「っ……げほっ……がは……っ!」


崩れ落ちるように倒れ、身体を痙攣させる。


対照的に、震えながら毒見をしていたメイドは、驚愕の表情でその光景を見つめ、すぐにエンデクラウスへと視線を向けた。


彼は微動だにせず、無表情のまま倒れたメイドを見下ろし、淡々とした声で命じる。


「見てやってくれ。」


指示された医師は、最初こそ動揺していたが、命令には逆らえない。すぐに床へ膝をつき、苦しむメイドの脈をとる。


一方、もう一人のメイドは手の震えが止まらず、青ざめた顔で立ち尽くしていた。


「お、お許しを……」


震える声でそう言った彼女の前に、すでに待機していた騎士が一歩進み出る。


「——連れて行け。」


エンデクラウスの静かな命令が下された瞬間、騎士がメイドの腕を乱暴に掴んだ。


「いやっ……! 申し訳ありません……っ!」


必死に許しを乞う声が響くが、騎士は何の躊躇もなく、彼女を扉の向こうへと引きずっていった。


扉が閉まる音とともに、部屋の中は再び沈黙に包まれる。


エンデクラウスは、ゆっくりと椅子に腰掛け、テーブルの上の食事を一瞥する。


「——まったく、手間のかかることだ。」


その声は冷たく、何の感情も込められていなかった。


医師は震える手で診察を続け、倒れたメイドの様子を慎重に観察する。


「……どうだ?」


医師はゆっくりと顔を上げた。


「……恐らく、魔力を封じる特殊な毒が使用されています。即死性はないものの、体の機能を鈍らせる作用があるかと。」


エンデクラウスは短く息を吐いた。


「……くだらん。処置しておけ。」


彼の指示に、医師は慌てて頷いた。


その間も、エンデクラウスの腕の中では、何も知らないクラウディスが「まぁ!」と無邪気に声を上げていた。


(しつこいな…あの王女も。)

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