27.アルディシオン公爵家
豪奢な大理石の床に、壁一面の重厚な本棚。
部屋の中央には、見事な彫刻が施された大きなデスクが鎮座していた。
そこに腰掛けるのは、現アルディシオン公爵——ディバルス・アルディシオン。
彼の黒髪は見事にオールバックへ撫でつけられ、険しい皺が刻まれた顔は、鋭い眼光を宿している。
まさに"公爵家の当主"としての風格そのものだった。
そんな彼の前に立つのは、長身の男——エンデクラウス・アルディシオン。
腕には、まだ幼いクラウディスが大人しく抱かれていた。
「へくしっ!」
突然、くしゃみをするエンデクラウス。
クラウディスが驚いたように小さな手を動かす。
ディバルスは一瞬目を細めると、低い声で問いかけた。
「……風邪か?」
エンデクラウスは、手の甲で鼻を軽くこすり、余裕のある微笑みを浮かべながら首を横に振る。
「いえ、大丈夫です。」
「そうか。」
ディバルスはひとつ息を吐きながら、机の上に並べられた書類に視線を落とした。
「しかし、やはりお前の読みは正しかったようだな。」
分厚い指が、書類の上をなぞる。
そこには、"魔石"の分析結果が記されていた。
「もしディーズベルダを王室に奪われていたか、もしくは失っていたかと思うと、大きな損失だった。」
「はい。」
エンデクラウスは、深く頷く。
そして、腕の中のクラウディスを抱え直し、誇らしげに口を開いた。
「父上、ご覧ください。」
ディバルスの視線が、クラウディスに向けられる。
「この子こそ、俺とディーズベルダの遺伝子を完璧に受け継いだ者です。」
そう言いながら、エンデクラウスはゆっくりとクラウディスの小さな手を握る。
「さらに、彼は2種類の属性を持ち合わせている可能性を秘めている。」
ディバルスはじっと孫の顔を覗き込み、何かを確かめるように目を細めた。
すると——
「まぁ!」
クラウディスが元気よく声を上げ、にこっと笑った。
その瞬間、あの威厳に満ちた公爵の顔が、ふにゃりと緩んだ。
「……」
エンデクラウスは、冷めた目でその光景を見つめる。
(……父上がこんな顔をするのは、初めて見たかもしれないな。)
ディバルスは咳払いをして誤魔化すように口を開いた。
「んっ、ごほごほ……。あまり……利用し過ぎるなよ……仮にも私の孫として公表するのだろう?」
「はい。」
エンデクラウスは淡々と答える。
「ただ、婚前にできた子として公表すれば、世間の印象は悪くなるかと……。」
「まぁ良い。それで王室からの妨害を受けないのであればな。」
ディバルスの声は静かだったが、その目には絶対的な確信が宿っていた。
「絶対にディーズベルダを失うわけにはいかぬ。」
「はい。」
エンデクラウスは、静かに父を見つめる。
その瞳には、一切の迷いがなかった。
「それと、ご覧ください。」
エンデクラウスは視線を少し落とし、足元に置かれていた箱の蓋を静かに開けた。
箱の中には、精巧に作られた魔道具のランタンが丁寧に収められている。
彼はその一つを手に取り、ゆっくりと机の上に置いた。
「彼女が新たな発明をしました。明日、これと魔石を王に献上し、王都への出禁を解いてもらおうかと考えております。」
ディバルスはしばらくその魔道具を眺め、指で軽く触れると、満足げに微笑んだ。
「ふむ、実に良い提案だ。」
彼はゆっくりと頷きながら、手を組む。
「子もおれば、もう何もできまいからな。」
ディバルスの低い声が、重苦しい空気を執務室に落とした。
エンデクラウスの唇が薄く弧を描く。
その笑みは、まるで冷たく計算された勝利の笑みだった。
「ええ、すべては予定通りです。」
ディバルスは満足げに頷くと、無造作にデスクの書類をめくりながら、ふとエンデクラウスを鋭く見やった。
「夫婦仲はどうだ?」
彼の声音には、探るような冷たさが滲んでいる。
「わざわざ大金を払って、教皇を呼び寄せたんだぞ。」
「順調です。」
エンデクラウスは微笑みを崩さぬまま答える。
しかし、その瞳には感情の揺らぎなど一切ない。
「最近ようやく、完全に俺のものになりました。」
ディバルスは短く鼻を鳴らす。
「ふむ、よくやった。」
「ありがとうございます、父上。」
「可能な限り、子を作り縛り付けておくといい。」
「はい。お任せください。」
エンデクラウスの返答は、どこまでも静かで、どこまでも従順。
だが、その内側にどれほどの本音が潜んでいるのかは、誰にもわからない。
「あまり情を入れすぎるな。」
ディバルスの声がさらに冷えたものになる。
「利用するだけ利用し、万が一の時には見限れるようにしておけ。」
「心得ております。」
エンデクラウスの声色には、一片の迷いもない。
それが彼の"役目"であり、"義務"であり——何より"家のため"なのだから。
彼は淡々と答えながら、ふと視線を落とす。
——その時。
「まぁ!まぁ!」
クラウディスが、無邪気に笑いながらディバルスに手を伸ばした。
「……」
ディバルスは、その瞬間、ふにゃりと表情を緩ませた。
深い皺を刻んだ厳格な顔が、まるで別人のように柔らかくなる。
「……ふっ、かわいいやつだ。」
彼はクラウディスの小さな手を優しく包み込み、慈しむように撫でる。
まるで、この場に張り詰めていた冷酷な空気が嘘のように——。
しかし。
エンデクラウスは、その様子をじっと見つめながら、静かにまぶたを伏せる。
(……またか。)
内心で冷めた思いが湧き上がる。
父は、いつもそうだ。
家のこと以外には冷徹で、合理的で、徹底して非情な男。
だが——
"孫"という存在だけは、どうしても甘くなってしまうらしい。
(……まぁ、それはそれでいい。)
無言のまま、エンデクラウスはゆっくりと目を細める。
ディバルスがクラウディスに夢中になっている間、彼はただ、冷ややかに見つめ続けるだけだった。




