表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/188

23.旅立ち

翌朝——。


魔王城の門前には、王都へ向かうための馬車が準備されていた。

数名の騎士たちが荷物の確認をしており、使用人たちも慌ただしく動いている。


その中で、ひと際目立つ人物がいた。


「良いか!ディズィの周囲には常に護衛を配置すること。屋内であっても最低二人はつけるように。もし何か不審な動きがあれば即座に報告を。些細なことでも構わない。特に夜間の見守りを徹底すること。ディズィが夜に研究室へ向かう際は、決して一人にしないように。」


エンデクラウスはクラウディスを片腕に抱きながら、騎士団と使用人たちを前に厳しく言い渡した。


「ジャケル、ディズィの食事は必ず俺がいない間もきちんと管理してくれ。」


「承知いたしました、旦那様。」


「ジャスミン、ディズィが寝室で目を開けたままぼーっとし始めたときは、邪魔せず、絶対に側で見守るように。」


「かしこまりました。」


「スミール、クラウディスの世話を任せる。」


「はい、坊っちゃん。安心してください。」


エンデクラウスはクラウディスを抱っこしながら、ひとつひとつ念入りに指示を出していた。

その言葉にはいつもの余裕よりも、どこか名残惜しさが混じっている。


ディーズベルダは少し呆れつつも、彼がここまで気にかけてくれていることが嬉しくもあった。


「エンディ、そんなに言わなくても大丈夫よ。」


「いいえ、大丈夫ではありません。」


即答だった。


「俺がいない間、あなたの身に何かあったらと思うと……安心して王都に行けません。」


「……もう、大げさなんだから。」


ディーズベルダは苦笑しながら、彼の頬をそっとつつく。


「そんなに心配しなくても、私はここで待ってるわ。」


「……ええ。」


エンデクラウスは小さく息を吐き、少しだけ瞳を伏せた。

それから、ゆっくりとクラウディスをスミールに預ける。


「さあ、もう行きますよ。そんなに細かく指示を出されても、奥様は困られるだけですし、皆さん、すでに心得ていますよ。」


スミールが優しくクラウディスを抱き上げると、エンデクラウスはディーズベルダを見つめ——


次の瞬間、彼女をガバッと強く抱きしめた。


「エンディ!?」


驚きの声を上げるディーズベルダだったが、彼の腕の中は暖かくて、どこか安心する。


「離れるのはこれっきりです。必ず、汚名を返上してきます。」


彼の低い声が、耳元で囁かれる。


(——そうだった。エンディは、この旅で私の名誉を取り戻そうとしてくれてるんだった。)


彼がこんなにも真剣な顔をしているのを見ると、胸の奥がぎゅっとなる。


「……わかったわ。お願いね。」


ディーズベルダは、そっと彼の背中に手を回し、小さく頷いた。


すると、エンデクラウスは満足そうに微笑み、名残惜しそうにしながらも、ようやく彼女から身体を離す。


ゆっくりと馬車へと歩き出すが——


途中で足を止め、ふと振り返った。


「……?」


そのまま彼は、ディーズベルダの元へ戻ってきて——


「……え?」


突然、唇が重なる。


「ちょ、ちょっと!!」


人前で!?


慌てるディーズベルダをよそに、エンデクラウスは平然とした顔で彼女を見つめる。


「では……行ってきます。」


「ま、待っ……」


言い終わる前に、彼はもう一度キスを落とす。


「——!!!」


ディーズベルダの顔が一瞬にして真っ赤になる。


周囲の騎士や使用人たちは、困惑しながらもどこか微笑ましげにその様子を見守っていた。


エンデクラウスは満足そうに微笑み、彼女の頬をそっと撫でると、名残惜しそうにしながらも馬車へと向かう。


その背中を見送りながら、ディーズベルダは心臓が壊れそうなほどドキドキしていた。


(も、もう……! あんな人前で、恥ずかしすぎるでしょう!?)


けれど——


彼の唇が触れた感触が、まだ微かに残っていて。


離れる前にもう一度振り返るかもしれない、と無意識に彼の後ろ姿を追いかけてしまう自分がいた。


◇◆◇◆◇


ガタゴトと揺れる馬車の中。


エンデクラウスは窓の外を眺めながら、無造作に片足を組み、肩をわずかに傾けた姿勢で座っていた。

その瞳は遠くを見つめているが、その視線の奥底には、冷酷な光が静かに灯っている。


「……ディズィが純粋で助かったな。」


ぽつりと零れた言葉は、どこか冷めていて、微かに愉悦すら滲んでいた。


スミールは静かに微笑みながら応じる。


「そうでございますね。」


「それに……お前が生まれてきてくれて助かった。」


エンデクラウスは、スミールの腕の中にいるクラウディスの頬を、慈しむように優しく撫でる。

その手つきは驚くほど柔らかく、目の奥には紛れもない"愛"が宿っていた。


しかし、それと同時に、その愛は鋭利な刃物のような執着と支配の色を帯びていた。


スミールは微かに視線を落としながら、慎重に言葉を選ぶ。


「ですが……奥様がお知りになった時が少し心配です。」


エンデクラウスは小さく笑った。

その笑みには、どこか狂気じみた確信がある。


「……ビンタの一発や二発は覚悟すべきだろうな。」


指先で顎をなぞりながら、窓の外へと目を向ける。

すでに計算された未来を見据えるように、何もかもを掌握する者の目だ。


「万が一、離婚となれば……。」


スミールが慎重に問う。


エンデクラウスは鼻で笑った。


「それだけはできないさ。」


断言する声には、一切の迷いがない。


「俺とディズィは、教皇のもとで愛を誓った。」


スミールが驚いたように瞬きをする。


「……そんなことまで!?」


「まぁ?」


無邪気な声が響く。

クラウディスが、小さな手をもぞもぞと動かしながら、父の顔を見上げた。


エンデクラウスは、その姿を愛しげに見つめながら、スミールの腕から彼を抱き上げた。


まるで壊れ物を扱うような優雅な手つきで、そっと胸に抱く。

そして、あやすように背を撫でながら、ゆっくりと目を細めた。


(ディズィは外のことにまったく興味を持たない。だからバレずに済んだ。)


教皇のもとで誓いを立てた場合、離婚は教皇自身の許可がなければ成立しない。

神聖力が強すぎるため、解除できる者はこの世に存在しない。


さらに、その教皇は極めて多忙で、些細なことに時間を割くことはない。


(つまり、何があろうと、ディズィは俺の妻のままだ。)


その事実を思い返すと、エンデクラウスの唇の端がゆっくりと持ち上がる。


紫の瞳が、クラウディスの幼い顔をじっと見つめた。

指先で柔らかい頬を撫で、静かに呟く。


「クラウディス——」


その声音は驚くほど穏やかで、愛に満ちている。


「俺の息子に生まれたのなら、少し我慢してくれ。」


そう言った彼の顔には、どこか残酷な微笑みが浮かんでいた——。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ