22.王都へ旅立つ前夜
「できたぁーーーっ!!!」
ディーズベルダは、研究室の机の上に置かれたランタンを見つめ、歓喜の声を上げた。
それは、試行錯誤の末にようやく完成した、魔力を原動力とする特別なランタンだった。
「まぁ!」
隣では、エンデクラウスに抱っこされていたクラウディスが、小さな手をぱちぱちと叩きながら嬉しそうに声を上げる。
その姿に、ディーズベルダはふっと笑みをこぼした。
「お疲れさまでした、ディズィ。」
エンデクラウスが微笑みながら、労うように彼女の肩を優しく叩いた。
ディーズベルダは、大きく息を吐きながら、しみじみとランタンを見つめる。
(ここまで……本当に長かったわね。)
パーツを取り寄せる時間がなかったため、ノートを片っ端から読み漁り、素材を自力で生成するしかなかった。
インゴットやガラスをコマンド入力で錬成し、それを研究室内にある工具でなんとか加工し、ようやく組み上げた一品。
しかし、最大の難関は、魔力を原動力にする仕組みだった。
この世界にも普通のランタンくらいは存在するが、魔気を放つものとなると話は別。
魔力はまるで電気のような性質を持つが、この世界では"回路"という概念がほとんどないため、流れを制御する方法が確立されていなかった。
安定した光を生み出すためには、魔力を均等に分散させる必要があったのだ。
「間に合ってよかったわ……。」
ディーズベルダは感慨深げに呟きながら、そっとランタンを撫でた。
試作段階では何度も魔力が制御できず、意図せず放出されてしまうことが多かった。
魔力の流れを安定させるつもりが、ちょっとした調整ミスで光が全く灯らなかったり、逆に魔力が暴走してランタンではなく"魔力の塊"になってしまったりと、試行錯誤の連続だった。
「ふふ、ディズィ、嬉しそうですね。」
エンデクラウスが、彼女の横顔を覗き込むように微笑む。
ディーズベルダは満足げに頷きながら、ランタンを両手で抱えた。
「そりゃあね。この石の魔力制御って思ったより大変だったわ。でも、ようやく形になった。」
彼女は満足げに微笑みながら、ランタンのスイッチを軽く押す。
すると——
ぽっ、と小さな光が灯り、部屋の空間が淡く照らされた。
その柔らかな光を見つめながら、ディーズベルダは小さく息を吐く。
(……うん、間違いなく成功よ。)
「では……。」
彼はクラウディスをディーズベルダの腕にそっと預けると、そのまま彼女の背後から優しく抱きしめた。
「エンディ?」
ディーズベルダが驚いて振り向こうとすると、彼は少しだけ力を込め、まるで逃がさないと言わんばかりに抱擁を深める。
「残りの時間は、俺にください。」
低く甘い囁きが耳元に落ちる。
「ぱぱ!」
クラウディスが小さな声で呼びかけると、エンデクラウスは微笑みながら彼の小さな頭を優しく撫でた。
「わかったわ。」
ディーズベルダはそのままエンデクラウスの腕の中に身を委ねた。
いよいよ明日、彼が王都へ旅立つ。
(しばらく会えなくなるのね……。)
片道四日、往復するだけでも八日。王との謁見や取引の準備を考えると、最低でも二週間は帰ってこないだろう。
そんな現実を思うと、胸の奥にぽっかりと小さな穴が空いたような気がした。
気づけば、彼の服を少しだけ握りしめてしまっていた。
「ディズィ、クラウディスを連れていってもいいですか?」
「え? どうして?」
ディーズベルダは、腕の中のクラウディスを抱き直しながら、エンデクラウスを見上げた。
彼は優しく微笑みながら、クラウディスの銀の髪をそっと撫でる。
「ここにも医者は呼びましたが、あれは軍医なので、ちゃんとしたお医者さんに一度見てもらおうかと思いまして。」
「そっか……確かに、赤ちゃんの検診は大事よね。」
王都には設備の整った医療施設もあり、経験豊富な医師が揃っている。
この地に呼んだ軍医は怪我や病気の処置には長けているが、乳児の専門的な診察までは難しい。
(なら……お願いした方がいいわよね。)
ディーズベルダはクラウディスの寝顔を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「わかった。お願いするわ。」
エンデクラウスは満足そうに微笑み、彼女の頬にそっと触れる。
「ついでに服もたくさん買ってきます。もちろんディズィのドレスも。」
「え? ドレス?」
「ええ。最近、こちらで動きやすい服ばかり着ていたでしょう? たまには、貴族らしいものを。」
「うーん……。じゃあ、乗馬服もお願いね。」
「はい。もちろん。」
彼の紫の瞳が優しく細められる。
そんな些細なやりとりにも、別れの寂しさが滲んでいるように感じられて、ディーズベルダはぎゅっとクラウディスを抱きしめた。
「必ず護衛をつけて行動してくださいね。」
「わかったわ。」
「図書館へ行くときは、必ず寝室でジャスミンを側においてくださいね。」
「わかってるわ。」
「ジャケルには、なるべく側を離れないように言っておきますから……。」
「うん。」
彼の気遣いが嬉しい反面、そこまで心配されることがあるのかと少しだけ不安にもなる。
(……エンディったら、まるで私を置いていくのが心配でたまらないみたいじゃない。)
ディーズベルダが少しからかうように笑うと、エンデクラウスは静かに彼女の肩へと額を寄せた。
「……気をつけてくださいね、ディズィ。」
その声は、いつもより少しだけ切なげだった。
ディーズベルダは、彼の手をそっと握り返す。
「ええ。エンディもね。」
「はい。」
——この手を、離したくない。
そんな気持ちが伝わるほど、彼の指は優しく絡められていた。
(まるで何かを確かめるみたい……。)
それでも、彼のこうした気遣いが愛おしくて、ディーズベルダはそっと微笑んだ。
明日には彼は王都へ向かい、しばらく会えなくなる。
だからこそ、この夜は大切にしたかった。
——しかし、この時のディーズベルダは知らなかった。
彼が……クラウディスをどのように利用するのかを。