2.断罪結婚!?
玉座の間を出た瞬間、ディーズベルダは大きく息をついた。
空気が冷たい。
それまで張り詰めていた緊張から解放されたのか、足元が少しだけ軽くなった気がする。
だが、それも一瞬だった。
隣を歩く男——エンデクラウス・アルディシオンを見た途端、彼女の表情が険しくなる。
彼は至って冷静な顔で、堂々とした足取りで並んで歩いていた。
それどころか、どこか余裕すら感じられる。
(……なにこの落ち着きよう。まるで散歩でもしているみたいじゃない)
ディーズベルダは思わず睨むような視線を向け、低い声で問いかけた。
「……本気でついてこられる気ですか?」
半ば呆れながら言ったのに、エンデクラウスはあっさりと頷いた。
「はい、もちろん。」
口調も仕草もいつも通り、落ち着いていて端正な表情に一切の迷いがない。
彼の紫色の瞳はまっすぐこちらを見つめており、冗談を言っている様子はまったくなかった。
(何なのよこの男……!)
ディーズベルダは思わず眉をひそめる。
普通なら、爵位を捨ててまで辺境へついて行くなど考えもしないはずだ。
なのに、どうして彼はこんなに迷いなく、それを決めてしまえるのか。
「……スフィーラと結婚されては?」
試すように言ってみたが、エンデクラウスは何の動揺も見せず、むしろ楽しそうに微笑んだ。
それから、ゆっくりと首を傾げ——
「御冗談を。」
紫の瞳が僅かに細められ、軽やかに笑う。
その仕草には、どこか色気すら漂っていて——
「私をこんな体にしておいて?」
わずかに低く囁くような声が、耳元に落とされた。
ディーズベルダは一瞬、息を呑む。
(えっ、何かしたっけ!?)
しかし、周囲の兵士たちがざわめき始めるのを見て、彼女はすぐに状況を理解した。
……誤解だ!!
そう、私は何を隠そう——異世界からの転生者だ。
幼い頃、ふとした瞬間に前世の記憶が蘇り、気がつくとディーズベルダ・アイスベルルクという侯爵令嬢になっていた。
最初は戸惑ったものの、侯爵家という裕福な立場を最大限に利用しない手はない。
——前世にあった便利なものを、こっちの世界でも作ればいいじゃない!
そう考えた私は、侯爵家の潤沢な財力を駆使し、次々と発明品を生み出した。
保存技術を向上させた氷室、温度調整のできる風車、火を使わずに湯を沸かせる魔道具——
それらは王国に貢献し、私の名を広めた。
だが、それと同時に—―
「そんな才女なら、ぜひ我が家へ」
私の才能に目をつけたアルディシオン公爵家が、縁談を持ち込んできたのだ。
父は公爵家の圧力に逆らえるはずもなく、あれよあれよという間に私はエンデクラウス・アルディシオンと婚約することになった。
——そして、それからが問題だった。
婚約者になったエンデクラウスは、やたらと私の家に入り浸るようになった。
なぜなら——
「家の料理は、基本的に味が薄いのです…それに、たまに毒も…。」
そんな彼のために、私は前世の記憶を頼りに、パンやパスタ、煮込み料理やスープなどの「異世界料理」を再現して食べてもらっていた。
結果—―
彼は完全に胃袋を掴まれた。
さらに、私が開発した発明品の便利さにも魅了され、「これがない生活には戻れない」と言わんばかりに、私の家で過ごす時間が長くなっていった。
——そして今。
「お、おい……あの冷静沈着なエンデクラウス公子が、あんな風に……」
「ディーズベルダ嬢、まさか本当に……?」
「はわわ……責任取らせる気か……?」
——ざわざわざわざわっ。
兵士たちは勝手に誤解し、ヒソヒソと動揺し始める。
ディーズベルダはその空気に眉をひそめた。
(いやいやいや!! 何を想像してるのよ!!)
エンデクラウスのあの色っぽい囁き方がいけない。
あれでは誤解してくださいと言っているようなものだ。
ディーズベルダは思わず隣の男を睨みつける。
「……変な誤解を招くようなこと言わないでくださる?」
冷たく言い放つが、エンデクラウスは涼しい顔のまま、どこ吹く風といった様子で微笑んだ。
「あぁ、どうせなら教会で結婚を済ませてから出発しましょう。」
「はあああっ!?」
ディーズベルダは思わず声を上げた。
「そんな呑気なことしてる場合じゃないわよ!」
だが、エンデクラウスは優雅に額に手を当て、わざとらしく悲しげな表情を作る。
「酷いお方だ……俺をこんな体にして責任を取ってくださらないなんて……」
——ざわっ。
兵士たちの間に、さらなる動揺が広がる。
「な、なんだって……」
「……公子様……そんな……」
「責任、取らせなきゃダメだろ……!」
皆の視線が、一斉にディーズベルダへと向けられる。
完全に誤解された。
(違う!! そういう意味じゃないのよ!!!)
ディーズベルダはギリッと歯を食いしばり、髪を振り乱す勢いで叫んだ。
「わ、わかったわよ!!」
この状況を収めるには、もう彼の言う通りにするしかない。
——断罪されて、結婚する令嬢ってどこにいんのよ、もう!!
この状況、どう考えてもおかしいでしょう!?
しかし、目の前の男——エンデクラウス・アルディシオンは、涼しい顔を崩さず、穏やかに彼女を見つめていた。
……こいつ、本気なの!?
「言っときますけど! 今までみたいな楽な生活も、美味しい異世界料理もありませんからね!?」
ディーズベルダはあえて冷たく言い放った。
貴族の生活にどっぷり浸かっていた彼が、こんな無茶な決断をして後悔しないはずがない。
そもそも、私はただの冤罪で追放される身。
貴族社会のど真ん中にいる彼が、こんな無茶な決断をして後悔しないはずがないのに——
「構いません。」
……即答!?
ディーズベルダは思わず目を瞬かせる。
「なんなら、もっと酷いことをすることになるわよ! 野宿とか! その他もろもろ!」
「構いません。」
「ほんとにわかってる!?」
「はい、例え、あなたと野糞や立小便をすることになっても構いません!」
——ざわっ。
兵士たちの間に再び異様な空気が広がる。
「な、ななな、何を言ってるんだ公子様ァァァ!!?」
「ディーズベルダ嬢、いったいどんな……」
「貴族の誇りってどこに行ったんだ……!?」
……いやいやいや、誤解が酷い!!
ディーズベルダは思わず頭を抱えた。
しかし、本人は至って真剣な顔で、「覚悟はできています」と言わんばかりの視線を向けてくる。
(……もう、好きにすれば……)
私は大きく息を吐いた。
こうして——
二人は教会でささやかな結婚式を挙げ、まるでハネムーンのように最果ての荒れ地へと旅立ったのだった。