19.ハイブリッド建築
エンデクラウスは、珍しく上機嫌な様子で魔王城の廊下を歩いていた。
軽やかな足取りに、彼の機嫌の良さを察した使用人たちが驚いた顔で目を見合わせる。
普段は落ち着いた雰囲気を崩さない彼が、どこか弾むような動きを見せるのは珍しいことだった。
そんな中、執事のジャケル・ローラーが、いつものように静かに歩み寄る。
彼は長年アルディシオン公爵家に仕えた経験豊富な執事であり、エンデクラウスの一挙手一投足を熟知している。
「おはようございます、旦那様」
「今朝は早いご出立ですね。奥様の朝のお仕度を整えさせましょうか?」
エンデクラウスはふと立ち止まり、振り返る。
その口元には、柔らかい微笑が浮かんでいた。
「いや、今日は……ベルが鳴るまで寝かせておいてあげてください」
ジャケルは意味ありげに目を細め、くすっと笑った。
執事歴が長い彼にとって、主の機嫌の良さの理由など、聞かずとも察しがつく。
「ほほほ……かしこまりました。奥様には、静かにお休みいただきましょう」
エンデクラウスは満足そうに頷き、前を向く。
「俺は会議に出てくる」
「はい、いってらっしゃいませ」
ジャケルが恭しく一礼するのを背に、エンデクラウスは足を進めた。
◇◆◇◆◇
会議室に入ると、すでに魔王城の開拓に携わる大工や建築職人たちが揃っていた。
彼らは、最果ての荒れ地を住みよい土地へと変えるために、日夜尽力してくれている人々だ。
テーブルには、現在の開拓状況を示す地図や、住宅の設計図がずらりと並べられていた。
「おはようございます、エンデクラウス様」
「今日は、住宅の構造についてご相談したいのですが」
職人長の一人が、図面を広げながら話し始める。
エンデクラウスは頷きながら、用意された席に腰を下ろした。
「うむ、進捗はどうだ?」
「はい、現在、仮設の小屋は完成し、住民たちもある程度落ち着いてきました。しかし、問題は恒久的な住宅をどのように作るかです」
職人たちは真剣な表情で資料をめくる。
最果ての荒れ地に建設する家屋は、王都とは違う環境に適したものでなければならない。
「今、主に二つの案が出ております。一つは木造建築、もう一つは石造建築です」
エンデクラウスは指で顎を軽く撫でながら考える。
「それぞれのメリットとデメリットを聞かせてくれ」
職人の一人が手を挙げ、説明を始めた。
「まず、木造建築は、比較的短期間で建てることが可能です。材料も手に入りやすく、冬場も暖かく過ごせるでしょう。しかし、湿気や害虫の影響を受けやすく、火災の危険もあります」
「なるほど」
「一方、石造建築は、頑丈で耐久性があり、魔物や強風にも耐えられます。しかし、建築には時間がかかり、資材の調達が困難です」
エンデクラウスは地図を見つめ、しばらく考え込んだ。
この地の気候は、いまだに不明な点が多い。
最果ての荒れ地に来て一ヶ月が過ぎたが、気温は21度から25度の間を保ったまま。
(ずっとこのままなのか……? それとも、いずれ厳しい寒さや猛暑が訪れるのか……。)
さらに、雨の降る頻度も予測できない。
この地に来てから一度も大雨に見舞われたことはないが、夜になると決まって一定量の雨が降ることが確認されている。
(ただ……地下には天候を操る装置が備わっているのも確かだ。)
ディーズベルダが研究を進めるうちに発見したその装置は、領地の環境を維持するための何からしい。
まだ完全には解析できていないが、現在は「定期的に夜間に雨を降らせる機能」が作動していることがわかっている。
(これを住民に知られるわけにはいかないな……。)
天候を操作できるという事実が広まれば、領地の価値が跳ね上がると同時に、王族や貴族の干渉を受ける可能性がある。
慎重に管理し、必要な時にのみ操作できるようにしておくべきだ。
エンデクラウスは思考を巡らせた後、意識を会議に戻した。
「さて、住宅の建築方針についてですが、以上を踏まえてどのように進めるべきでしょうか?」
職人の一人が改めて確認する。
「まず、現時点では気候が不安定であることを考慮しなければなりません。」
エンデクラウスは、地図上の開拓地を指でなぞりながら言った。
「確かに、木造の方が短期間での建築が可能だ。しかし、耐久性の問題がある。特に、突然の気候変動が起きた場合に脆弱な可能性がある」
「そのため、木造建築をベースにしながらも、基礎や壁の一部に石を使用する、ハイブリッド建築を推奨したい」
職人たちは顔を見合わせる。
「なるほど……。確かに、それならば木造の利点を活かしつつ、耐久性の問題も補えますね」
「そうだ。それに、万が一この地に厳しい寒さや暑さが訪れた場合、適応策を講じる余裕を持つべきだ」
エンデクラウスはそう付け加えると、さらに続けた。
「また、天候が今後どうなるかわからない以上、屋根の構造にも工夫が必要だ。例えば、雨水を効率よく集める仕組みを取り入れるのはどうだろう?」
「それは確かに良い考えです。水源の確保は重要ですから」
エンデクラウスが静かに手元の資料に手を伸ばすと、一枚の設計図を取り出し、会議卓の中央へと置いた。
「実はこれを……。」
それは昨晩、ディーズベルダが寝る前に彼に託したものだった。
「こ、これは……!!」
設計図を覗き込んだ瞬間、大工や建築設計を担当する者たちの間に驚きの声が上がる。
「この構造……雨水を効率よく集めるどころか、建物全体で水の流れを制御する仕組みになっている!」
「さらに、屋根の傾斜と雨樋の角度が計算されていて、どこにも水が溜まらないようになっているぞ……!」
「しかも、これなら集めた水をそのまま浄化して貯水槽に送れる仕組みになっていますね!これは……一体どこでこんな技術を……?」
興奮気味に設計図を眺める職人たちを見ながら、エンデクラウスは満足げに微笑んだ。
「妻が考案したものだ。」
その言葉に、場が一瞬静まり返る。
「まさか……ディーズベルダ様が!?」
「さすがは稀代の天才発明家と名高いお方……!」
「なるほど……これなら水不足の心配はほぼ無くなるどころか、水を確保しつつ家の耐久性を上げることができますね!」
口々に感嘆の声を漏らす職人たち。
ディーズベルダの名は、王都では"天才発明家"としても知られていたが、実際に彼女の設計を目の当たりにしたのは彼らにとって初めてだった。
「これを基に、まずは住宅を建てていくとしよう。試作段階ではあるが、ディーズベルダの案を取り入れながら最適な構造に調整してくれ。」
「かしこまりました!」
職人たちが一斉に頷き、会議室の空気が一気に活気づく。
こうして、最果ての地の住居計画は、ディーズベルダの知識を取り入れながら本格的に始動することとなったのだった。




