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188.神に見放された世界、神に拾われた日常

昼下がりの教会は、昼光を受けて白と金の内装がやわらかく輝き、

まるで神殿のような静謐さに包まれていた。


ディーズベルダとエンデクラウスは、応接室のソファに並んで座っていた。

部屋には香ばしいお茶の香りが漂い、しばし穏やかな沈黙が流れていた。


そこへ、さらりと着物を身にまとったベリルコートが静かに現れ、

美しい手つきで一人ずつにお茶を差し出す。


「どうぞ。甘味もお口に合えば」


白磁の器と緑茶の香りが心を落ち着かせる。

その立ち居振る舞いは、どこか“人ではないほど完璧”で、自然と視線が奪われるほどだった。


だが――


教皇がその耳元で、何やら小声で囁いた。


ベリルコートは一瞬だけ小首を傾げたが、すぐに微笑み、丁寧に一礼して退室していった。

戸が静かに閉じられた瞬間、部屋の空気がわずかに引き締まる。


「……なるほど。人手が足りないのですね」


教皇は茶を一口含むと、すっと本題に入った。


ディーズベルダは頷き、眉間に指を当てながら少し苦笑する。


「そうなのよ。予想以上に“人”の手が必要で。

建設も、管理も、宿泊運営も……育成してる暇がないのが現状なの」


「では――ゲルセニア人を“解凍”して、海辺に住まわせましょうか」


「……」


あまりにさらりと告げられたその言葉に、ディーズベルダは思わず口を半開きにする。


(い、言い方がすごいわね……)


冷凍保存されていたかのような響きに、頭の中で冷蔵庫の音が再生された。


だがエンデクラウスは落ち着いた様子で答える。


「そうですね。

移動の手間を省けるなら、それが最も効率的かと思います」


「では、文明の段階をすっ飛ばすために――」


と、教皇はやや楽しげに続けた。


「海辺に家を何軒か建て、家具も整え、

着いたその日からすぐに生活できる状態にしておきましょう。

もちろん、衣類や水源、基礎的な資材も配置しておきます」


「……えっ、そんなに簡単に……?」


(そんな状態に、あっさりできるなんて羨ましいわ……

こちとら、土地を耕すところから始めてるっていうのに……)


ディーズベルダは心の中で何度も愚痴をこぼしながら、湯呑をゆっくり口元に運んだ。


教皇は、まるで“それが当たり前”かのような落ち着いた態度で、優雅に笑っていた。


――全てが予定通りに進み、世界そのものが思い通りに動いていくような、そんな余裕すら感じさせた。


「では――後は、こんな感じに文化を築いてもらうと良いかもしれません」


そう言って、ディーズベルダは膝に抱えていた資料束を机に差し出した。


中には、海辺で生活するためのライフスタイル提案――

主に“魚食文化”をベースにした習慣や簡易な料理法、さらには地域特有の風習を模した案が詰まっている。


「こちらは、魚の種類ごとの特徴や食べ方をまとめた図鑑です。私の手製ですが、よければ使ってください」


彼女は、もう一冊の綴じられたノートを添えた。


教皇は目を細めながらページを開くと、表紙から中身へとじっくり目を通し――やがて柔らかく頷いた。


「素晴らしいですね。やはり、夫人の能力は――

かつてこの世界に訪れた“転生者”たちとは、比べものになりません」


「……そんな大したものじゃありませんよ。

私達も、自分たちの領地を豊かにしていきたいだけですから」


ディーズベルダは少し照れたように笑いながらも、まっすぐに答える。


教皇は図鑑を丁寧に閉じ、深く息を吸った。


「では、各家には釣り具一式を備え、家具には水回りの設備も完備しておきましょう。

この図鑑は、地下の装置で複製を作ります。すべての家庭に一冊ずつ行き渡るようにしておきますね」


「……本当に、なんでもできちゃうのね、教皇様って」


「いえ。私はただ、世界の整備係なだけです」


淡々としたその言葉には、どこか遠い感情の重みがあった。


一瞬、間が空いて――教皇がぽつりと呟く。


「今思えば……前世は、神に見放された世界だったのかもしれません。

汚染が広がり、気候も、空気も、住みにくいものばかりで。

改善もできず、ただただ息苦しさがつのっていくばかりで……」


教皇の視線は遠く、どこか現実を離れたような目だった。


ディーズベルダは、その姿を横目で見つめながら、心の中でそっと考える。


(……なんか、前世でよほど重たいことがあったのかしら)

(もしくは――神のような力を持ってしまった今になって、初めて思い返したとか?)


けれど、それはあまりに遠い過去で、想像の及ぶところではない。


「……神に見放された世界、ですか……。

うーん……それ、前世で言ったら、いろいろな宗教の方々に叩かれそうですね」


軽く冗談めかして返すと、教皇はくすりと笑った。


「ですが、ここは“私の世界”です。異世界なのですから。

SNSで叩いたり、論争を吹き上げたり……そういうことは起こりません。

私が、それを許しませんから。

唯一認めているのは――会議での使用に限定された、簡素なテレビ通話程度です」


「……やっぱり、神だわこの人」


ディーズベルダは内心でそう結論づけ、

お茶を飲み干しながら、少しだけ現実味のないこの世界に、苦笑を漏らすのだった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇


しばらくして、ふたりは教会を後にした。


昼下がりの陽射しが和らぎ、町の石畳には長く影が落ちている。

馬車には乗らず、あえて徒歩で戻る道を選んだのは――

少し、気持ちを整理したかったからだ。


教皇との会話は、いつも何かを考えさせられる。


静かに歩いていたエンデクラウスが、ふと立ち止まり、ぽつりと呟いた。


「……二人は、俺の分からない話ばかりするんですね」


その声はどこか拗ねていて、ディーズベルダは思わず立ち止まり、振り返る。


「……あぁ、ごめんね、エンディ」


悪気がなかったとはいえ、ふたりの間にしか通じない会話が続いたことを少し反省しながら、微笑を向ける。


だがエンデクラウスは、眉尻をわずかに下げたまま、続けた。


「今に始まったことじゃないので、良いですけど……。

……宗教が複数あったんですか? 前の世界では」


「うん、たくさん。

世界中にいろんな神様がいて、それぞれの国や地域で信じられていたわ。

でも、私はあんまり信じてなかったのよね」


ディーズベルダは、遠い記憶をたどるように、どこか淡々と語った。


「……それにね、こっちの神――教皇様のことを見てると、逆に思えてきたのよ。

何億人もいる人間の声を、たった一柱の神が拾い上げるなんて……無理じゃないかって」


その言葉に、エンデクラウスは少しだけ目を細め、静かに頷いた。


「……俺はここで育ってきたから、それが当たり前に感じてしまうんです。

神が、皆の声を拾い上げるなんて……考えたこともありませんでした。

そんなの、最初から“無理な話”なんじゃないかと」


「……なるほどね。エンディらしいわ」


信じているわけではなく、最初から“できるはずがない”と受け入れている。

ある意味、シンプルな視点で正直な考えだった。


「では、“えすえぬえす”とは何ですか?」


と、不意にエンデクラウスが尋ねてきた。


ディーズベルダはその場でピタリと立ち止まり、顔をしかめて天を仰いだ。


「うーーーんっ!!」


(――教皇め……)

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