187.海と夢と、重たい現実と
魔王城一階、重厚な扉を抜けた先にある会議室。
領内の重役たち――幹部騎士、役人、商工ギルド代表などがずらりと席に着き、
今まさに重要な会議が開かれていた。
議題は、リゾート地開発――すなわち、ルーンガルド領の海岸線の開拓計画についてだった。
「……海、ですか」
テーブル越しに座るヴィシャルが、手元の資料をめくりながら、感慨深そうに呟いた。
彼はエンデクラウスの側近であり、騎士であり、優秀な秘書役でもある。
「とうとう、着手する時が来たのですね」
まるで何年も待ち続けた夢が動き出したかのような、静かな熱をその言葉に滲ませる。
しかし――
「でも、やっぱり問題はルートなのよね」
資料をぱたんと閉じ、ディーズベルダがため息混じりに言った。
「ここから海まで、いくら平坦な道が続いているとはいえ――最短でも三日はかかるわ。
しっかり途中で休憩なんか挟んだら、五日は見ておいたほうがいい」
そう言いながら、視線を地図に落とす。
(……まぁ、ディルコフに道を整備してもらったおかげで、石畳はしっかり敷かれてるし。
昔に比べたらずっとマシなんだけど)
それでも、距離という絶対的な壁は、どうにもならない。
「……遠いですね」
エンデクラウスも、静かに地図を見つめながら呟いた。
そして、すっと顔を上げると、落ち着いた口調で続ける。
「それと――
領民の中から宿屋を経営したい者を募集しようと思います」
「宿屋、ですか?」
ヴィシャルが少し首を傾げる。
エンデクラウスは頷いた。
「はい。
将来的にリゾート地が整備されれば、宿泊施設が必須になりますからね。
募集した者たちには王都のホテルで研修を受けさせ、
徹底した接客や管理の教育を施してから、戻ってもらおうと考えています」
「……なるほど。
ただ道を通すだけではなく、受け入れ側も整えなければいけないというわけですね」
ヴィシャルは深く頷き、手元のメモに素早く書き留めた。
だが――
「問題が、山積みですね」
そう呟いた彼の声には、どこか苦笑が滲んでいた。
リゾート地開発――
それは単なる“海を整える”という話ではなく、
街道整備、交通網確保、宿泊施設、人材育成、すべてを一から作り上げる壮大な計画だった。
そしてこの場にいる全員が、その大変さを、肌で理解し始めていた。
それでも――
(みんなには言えないけど……教皇が望んでるから、やるしかないのよねぇ……)
ディーズベルダは、ため息をこらえながら、手元の資料に視線を落とした。
本来なら、こんな途方もない開発計画、即答で保留にしたっておかしくない。
けれど――
(教皇は兄の夫……親族なんだから……逃れられないっていうか……)
想像するだけで、じんわりと胃が痛くなる。
施設そのものは、教皇が秒で建築してくれるから問題ない。
そこは救いだった。
(問題は、人よね。人……)
宿屋を回す人員、交通を管理する役人、漁業を指導できる者……
すべてにおいて“育成”が必要だ。
(いや、人だけじゃないわね。資材も、食料も、交易ルートも――)
考えれば考えるほど、問題は雪だるま式に膨れ上がっていく。
(山積み過ぎて、どれもこれも大変だわ……)
心の中でごろりと寝転がって泣きたくなる。
(漫画やアニメなら……こういう時、パパッとチートで解決したり、
「翌日!」とかナレーションが入って、ドーンってできあがるのに……)
現実は、すべて一から積み上げなければならない。
(……なんで私、こんな苦労してるのかしら)
ぼやきながらも、視線は資料を離さない。
そんなとき――
「……ディズィ」
不意に、エンデクラウスがすっと顔を寄せ、耳元で囁いた。
「もう一度、教皇殿と相談してみましょうか」
その低く落ち着いた声に、ディーズベルダは少しだけ目を見開いた。
彼女の心境を、すっかり読み取った上での提案だった。
「……そうね」
ディーズベルダは苦笑しながら、そっと頷く。
背筋をしゃんと伸ばして、もう一度顔を上げた。
「では、今日の会議はここまでとします」
結局、この日の会議では――
大まかな筋道を立てただけに留まった。
道を通し、宿を建て、領民を教育し、街をつくる。
それらを具体的にどう動かしていくかは、これから一つずつ、細かく決めていかなければならない。
(……細かい作業、これから山ほど待ってるのよね……)
ディーズベルダは心の中で静かにため息をついた。
そんな彼女の前で、役人たちは一礼し、それぞれ資料をまとめながら会議室をあとにしていった。
すれ違うたびに「お疲れ様でした」と小さく声をかけられ、彼女も軽く頷き返す。
部屋に残ったのは、ディーズベルダとエンデクラウスだけ。
「お疲れ様でした」
そう言いながら、エンデクラウスが静かに椅子を引き、自らも立ち上がる。
「教会へ――相談に行きますか?」
優しく問いかける声に、ディーズベルダはふっと力を抜くように微笑んだ。
「えぇ、そうね。
会議を開いてみて……改めて大変さを実感したわ。
一度、教皇様に相談しておかなきゃ……」
思わず、言葉の端に弱音が滲む。
エンデクラウスはそんな彼女の様子を察して、柔らかく微笑んだ。
「では、馬を用意してきます。
ディズィは、ゆっくり支度してきてください」
「……ありがとう」
小さな声で礼を言いながら、ディーズベルダは立ち上がった。
エンデクラウスは一礼し、静かに部屋を出ていく。
残されたディーズベルダは、ぽつりと机の上の資料に目を落とした。
ずらりと並ぶ数字や地図、開発計画案の数々。
それを見て――
小さく肩をすくめ、心の中で苦笑する。
(……こればっかりは、私のチート能力をもってしても……お手上げな気がするわ)
どれだけ知識があっても、魔法があっても――
人を動かすこと、組織をつくること、そのすべてには、地道な積み重ねが必要だ。
ディーズベルダは、重たい資料を一式抱え、ゆっくりと、教皇のもとへ向かう準備を始めた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
皆さまの応援、イイネやブクマに支えられ、ここまで187話も書き続けることができました。本当に感謝しています。
さて、これからは更新ペースが少し不定期になります。
この作品は、やることが山積みなディーズベルダのように、作者である私もまだまだ書きたいことがたくさん詰まっています。
クオリティをできる限り保ちながら、少しずつ、じっくり紡いでいきたいと思っています。
思い返せば、1日10回も更新して、顔に疲労がたまってロキソニンテープを貼りながら執筆していた時期もありました……(笑)。
さすがに限界を感じたので、これからは無理をせず、週1回更新くらいのペースで、長く楽しんでもらえる作品作りを目指します。……とか言いながら、またすぐに鬼更新したりもするかもしれませんが(笑)
今後とも、末永くお付き合いいただけたら嬉しいです!
どうぞよろしくお願いいたします。




