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186.微笑みの奥にある審判

ディーズベルダは、意識をすっと内に沈めた。

視界が白く抜け、気づけば心の中――彼女専用の“図書館”に立っていた。


果てしなく続く棚。

現代知識をぎっしりと詰め込んだその世界で、彼女は一冊、また一冊と資料を手に取っていく。


(……リゾート地の資料は、こんなものかしら)


軽やかにページをめくりながら、ディーズベルダは小さく頷く。


(ボタニカルリゾート……なんてのも良いわね。

海があるなら、水上コテージとか、ハンモックのあるプライベートガーデンもいいかも)


そんな風に、次々とアイディアが浮かんでくる。


一方、現実世界では――


ディーズベルダは、エンデクラウスの膝の上にちょこんと座り、

まるで動きの止まった人形のように、無表情でボールペンを動かしていた。


カリカリ、カリカリ……


和紙にペン先を走らせながら、視線はどこにも焦点を結んでいない。


「へぇ……」


教皇はそれを面白そうに眺めながら、目を細める。


「良いですよね……異世界」


小さくつぶやいたその声に、隣に座る教皇が反応した。


「……そうですか?……あまりこちらと変わりませんよ。精神的な辛さは」


教皇はにこりと笑った。

だがその笑みの裏には、長い年月を生きてきた者特有の、どこか乾いた諦観がにじんでいた。


「……そうですか」


エンデクラウスは、少し気まずそうに視線を外す。

ぎこちなく口元だけで笑みを作りながら。


しばらくの静寂。


やがて――エンデクラウスが、ふと思いついたように口を開く。


「あの、教皇殿。……平民に魔力を持たせたりすることは、できるのですか?」


「……はい。聖属性限定ですが」


「え? 俺の雷は?」


エンデクラウスは思わず問い返す。


教皇は涼しい顔で、すっと指を立てた。


「それは、もともと体に宿っていた素質を、過激な鍛錬により増強させただけですよ」


「……なるほど」


エンデクラウスは素直に納得しつつ、さらに問う。


「そもそも、なぜ平民と貴族で魔力の有無が分かれているんですか?」


教皇はわずかに目を細め――

どこか遠いものを見るような目で、静かに答えた。


「その質問は、“なぜ、魔力がない者とある者がいるか”――そう問うに等しいですね」


そして、ふと表情を引き締める。


「魔力なんて、元来はただの物騒な力です。

人々の手に余るその力を、私は封じようとしたのです。

こうして私が教会を設立し、管理していなければ、世界はすぐにでも大量虐殺の連鎖に陥るでしょう」


「……」


エンデクラウスは静かに聞き入る。


その膝の上で――


ディーズベルダは、依然として意識を心の図書館に沈めたままだった。


現実世界の彼女は、エンデクラウスの膝の上で人形のように座り、

虚ろな目のまま、ボールペンをカリカリと動かし続けている。


手元の和紙は、すでに文字と図でびっしりと埋め尽くされようとしていた。


エンデクラウスはそれに気づくと、そっと手を伸ばし、

慎重な動作でディーズベルダの指先からペンを外す。


そして静かに、いっぱいになった和紙を外し、新しい一枚を差し込む。


ディーズベルダは一瞬も動じることなく、

差し替えられた紙の上に、またカリカリとペンを走らせ始めた。


(……まだまだかかりそうだな。)


エンデクラウスは目を細め、小さくため息を吐く。


そんな中、教皇はなおも穏やかに語り続けていた。


「魔法で殺しても――教会の者が復活させてしまう。

それがこの世界の常識になっているからこそ、今、人々は“魔法”をそこまで怖がっていないのです」


「……確かに、そうですね」


エンデクラウスは頷きながら答える。

だが、その表情はどこか複雑だった。


常識。

それは安心をもたらすが、裏を返せば、油断と依存も生む。


教皇はゆったりと紅茶をひと口飲んでから、さらに続けた。


「……あまりに常識すぎて、ピンとこないでしょうが」


「……」


「我々がいた異世界では、魔法など存在しませんでした。

仮に存在していれば、恐れられ、軍事利用され、戦争の火種にすらなっていたでしょうね。

……けれど、その世界は、非常に平和だったのです」


教皇の声は、静かだがどこか懐かしさを含んでいた。


「だからこそ、私は思ったのです。

本来、魔力などない方がいいのではないか――と」


視線を遠くに向けたまま、教皇は続けた。


「そして、試みたのです。

魔力をできるだけ取り除き、ほどよい生命力だけを持つ存在――

すなわち“平民”という階級を、人の中に生み出すことを」


エンデクラウスは眉をひそめた。


「……もともと、あなたが人を作ったと?」


「ええ。

最初は私自身の遺伝子と動物の遺伝子を組み合わせて――

人という存在を構築しました。

……だが、それでも魔力を完全に取り除くのは難しかった。

時間と調整を重ね、ようやく今の形に落ち着いたのです」


教皇は、まるで古びた歴史書をめくるような口調で語る。


エンデクラウスは、そんな彼の言葉を黙って受け止め――やがて、淡々と答えた。


「……そうだったんですね」


そのあまりのあっさりとした受け入れに、教皇の目がわずかに見開かれる。


「……あっさり受け入れるんですね?」


「異質には妻で慣れてしまっていますから」


エンデクラウスは、さも当然のように肩をすくめた。


「ディズィを見ていれば、多少の非常識など“そういうものだ”と納得できるようになりました」


「……なるほど」


教皇は小さく笑う。


「……私は、この世界の人々に感動していますよ」


そして、ふと真顔に戻る。


「ほどよく魔力を持ち、平民は平民で生活を営み――

自らの欲望に呑まれることもなく、こうして文明を発展させてきた」


教皇は、満足げに目を細めながら言葉を締めくくった。


エンデクラウスは一瞬、思案するように視線を落とし――

そして静かに微笑む。


「……それは、良かったですね。

この世界の未来を、あなたが慈しんでくださるうちは――我々も、安心して歩めます」


言葉はあくまで穏やか。

だがその裏には、“もしもあなたが牙をむくなら、その時は神を討つ方法を探さねばならない”――

そんな冷ややかな覚悟が、確かに込められていた。


教皇は、微かに目を細めたが――

何も言わず、ただ柔らかく微笑み返しただけだった。

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