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185/188

185.新婚旅行は、内緒で造る。

研究室の一角、木製の作業台の上には、丸く浅い大鍋のような容器が置かれていた。

その中には、短粒米の種もみがたっぷりと浸かっている。


ふつふつと湯気を立てるその水の表面は、まるで小さく沸き立つ温泉のようだった。


その前で、エンデクラウスが腕を組みながら無言で立っていた。

視線は一点――水面。

手のひらからは、ごく微細な火属性の魔力が静かに放出されている。


温度の上がりすぎを防ぐために、火の出力をミリ単位で調整し、

まるで“魔力で支えるヒーター”のような役割を担っていた。


だが――


彼の目は死んでいた。

いや、正確には、ジト目だった。


「すごーい」


無感情な棒読みボイスが、室内に響く。


「わぁー、すごいすごい」


手拍子付き。

だが、拍手のテンポも感情も明らかに“やる気ゼロ”である。


「……」


エンデクラウスは、その言葉の主――

ドレスを着て椅子に座りながらお茶を飲んでいるディーズベルダに、にじり寄るように目を向けた。


「俺をこんなふうに扱うのは……ディズィだけですよ」


「へ? だってエンディ、魔力の調整うまいし?

一定の温度で保ち続けるのって、なかなかできることじゃないのよ?」


「お褒めの言葉として受け取っておきますが……で、あと何時間これを?」


「……丸一日?」


「……俺を、殺す気ですか?」


「大丈夫よ! きっと! 多分!」


「“きっと”と“多分”が共存してる時点で信用できませんね」


そうやって淡々と詰め寄ってくるエンデクラウスに、

ディーズベルダは笑いながら椅子をくるっと回して背中を向けた。


ちょうどそのとき――


「失礼、入ってもよろしいですか?」


軽やかに響くノックと共に、白金のローブ姿の教皇がすっと現れる。


「おはようございます、教皇様」


ディーズベルダが手をひらひら振って迎えると、

教皇は研究室の様子を一通り見回し、エンデクラウスの前に置かれた湯桶を見つめる。


「おはようございます。何やら……面白そうなことをしていらっしゃいますね?」


「これですか? “温湯浸種(おんとうしんしゅ)”っていう処理らしいんですが、

……私も本で読んだだけなので、実のところよくわかってないんですよ」


「へぇ……なら、火の魔石を使えば良いのでは?」


「――あっ!! その手があったわ!!」


バッと立ち上がって手を叩くディーズベルダ。

完全に“忘れてた”というリアクションである。


「ディズィ……」


エンデクラウスはジト目のまま、さらにじわじわと顔を近づける。


「お、怒らないでよ!?」


「一晩は俺の膝で寝てくれないと、許しませんね」


エンデクラウスはしれっとした顔で、言葉とは裏腹に本気の圧をじわじわかけてくる。


「えぇ……条件重い……」


ディーズベルダは肩を落としつつも、あきれたように苦笑して受け流す。


その横で、教皇は静かに紅茶を一口。


――なんとなく流れが落ち着いたところで、ふと思い出したようにディーズベルダが首を傾げる。


「というか、教皇様。今日はどんなご用事で?」


「あぁ」


教皇は自然な仕草でカップをソーサーに戻しながら、淡く笑った。


「“海の開拓”はいつ頃されるのかと思いまして」


「……海、ですか?」


ディーズベルダはきょとんとしながら、一拍遅れて返す。


「うーん……当分先になりそうです。優先順位的にもまだ下のほうで……」


「そうですか……」


教皇は少し残念そうに目を伏せ――けれど、すぐにいつもの調子で顔を上げた。


「ですが、“死ぬ前”にはぜひリゾート地を作りませんか?」


「死ぬ前って……!」


ディーズベルダは思わず語気を上げかけたが、なんとか耐えて言葉を丸め込む。


「……確かに、教皇様から見れば、私の寿命なんて蟻のようなものかもしれませんけど……!」


「ええ。蟻、とは思っておりませんが……せいぜい“長命な野草”くらいですかね」


「そこ、慰めになってませんから!」


思わずツッコミを入れつつも、ディーズベルダは額に手を当てて小さくため息をついた。


(……もう、どこから突っ込めばいいのやら)


「それなら、教皇様が“リゾート”作ったらどうです? 技術力的にできそうですし」


と軽く投げてみたが――


「それでも良いのですが、資料がないもので」


「あぁ……確かに、それは……」


「ですので、ディーズベルダ様。よろしければ、リゾート地の構造・設備・風習等、まとめた資料をご用意いただけると」


「はいはい……作っておきますよ……」


ペンを持ちながら、がっくりとうなだれる。


(あれ? なんか、また仕事がひとつ増えた気がする……)


「ありがとうございます。実はですね――」


と、教皇は少しだけ声を落として、ほんのりと頬を染めた。


「ベリと“新婚旅行”をしようにも、どうにも良い場所がなくて。

他国だと、ベリの精神衛生によろしくないですし……」


「…………」


ディーズベルダは手元の紙に“リゾート施設案”と書きかけていたペンを止める。


(え、そこまで……?)


教皇は、なんの照れもなく“新婚旅行”と言ってのけた。

しかも“ベリの精神に悪い”という理由で国内で完結させようとしている。


(すんごい……ベリルお兄様に、溺愛してるのね……)


その目は冷静なようでいて、内心では若干ひいていた。

というより、“ちょっと重い愛だな……”と感じていた。


と、そのすぐ隣で――


「いいですね。新婚旅行」


不意に響いたのは、エンデクラウスの低くて柔らかい声だった。


「……え?」


振り返った先で、彼はにこりと優しく微笑んでいた。


「俺たちも、そうしましょうか。ディズィ」


「い、今さら……?」


ペンを持っていた手がぴたりと止まる。

ディーズベルダはきょとんとした目で彼を見つめた。


エンデクラウスはいつものクールさをたたえつつ、少しだけ目を細めて続ける。


「はい。他国へ行こうと思っていましたが……子供もいますからね。

遠出よりも、近場で落ち着いた場所を探すほうがいいかと」


その言葉に、ディーズベルダの胸がふわりとあたたかくなる。

彼の言葉はいつもストレートではないけれど――ちゃんと、彼なりに家族のことを考えてくれている。


「……まぁ、確かに。そうね」


彼の瞳を見ながら、頬を少しだけ赤らめつつ、ディーズベルダはそっと笑う。


「じゃあ……エンディも、リゾート開発、手伝ってくれる?」


そう尋ねると、エンデクラウスは即座に頷いた。


「はい。もちろんです。

ディズィが作る場所ですから、俺も参加しないといけませんね」


「ふふ、じゃあ期待してるわよ?」


笑い合うふたりの空気に、横から教皇がすっと一言、挟み込んできた。


「……あ、ただし。ベリには内緒にしてくださいね?」


「えっ?」


ディーズベルダとエンデクラウスは、同時に教皇の方を振り向いた。


すると教皇は、口元に人差し指を当てて小さく囁く。


「サプライズにしたいのです。

リゾート地が完成した暁には……ベリとふたりで、初めての旅行に」


「……すご……」


思わずディーズベルダは小さくつぶやいた。


(そこまで真剣に……)


エンデクラウスはふっと笑いを堪えながら、

「了解しました」と淡く返すだけだったが――


どこか、“俺も似たようなもんですけどね”とでも言いたげな顔をしていた。

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