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184/188

184.その家門、次はなきものにします。

ディーズベルダは、最近完成したばかりの自分専用の研究室にいた。

魔王城の西側にある小部屋を改装したその空間は、窓から柔らかな自然光が差し込み、整えられた棚には瓶詰めの種子や資料がずらりと並んでいる。


今日は、試験的に育てていた短粒米の“種もみ選別”の作業中だった。


「……ふふ、今日は天気もいいし、作業が捗るわね」


机の上には、籠に山と盛られた籾殻付きの種。

彼女はそれを手に取り、一粒一粒、形の良いものだけを静かに分けていく。


指先の感覚と、光にかざしたときの色合いで――

健康で、ふっくらとした実だけを、丹念に見極める。


(ここまで来るのに、ずいぶん時間がかかったわ……

でも、ようやく“これだ”と思えるものが育ってきた)


そんな中、ふと背後で扉が開く音がした。


「ディズィ、それは?」


やや控えめな声でエンデクラウスが顔をのぞかせると、

ディーズベルダは手元の(もみ)を指でつまんだまま、振り返って微笑んだ。


「ん? これ? 学生時代にね、長粒米(ちょうりゅうまい)を交配して作ってた短粒米(たんりゅうまい)があったの。

それをこの世界でも再現して……いま、それをさらに選別してるの」


「なるほど……再構築、というわけですね」


「そうそう、記憶の中の“味”と“質感”をもとにね。

……あの頃はまさか、また一からやり直す日が来るなんて思わなかったけど」


彼女は小さく笑いながら、水を張った木の桶の中へ種もみをそっと流し込んだ。


すぐに、“ぽこぽこ……”と小さな泡が浮かび――

軽い種は水面に浮かび、重く健康なものだけが底へ沈んでいく。


「……これが“塩水選(えんすいせん)”ってやつ。比重の違いで、質の悪い種を浮かせて取り除くのよ」


浮いてきたものをすくい取ると、その手つきはどこか、料理をするときのように丁寧だった。


「ふふ……魔法も錬成も使わないで、こんな地道なことをするなんて、ね」


「でも……そういうところが、ディズィらしいですよ」


エンデクラウスは、棚の端に軽く寄りかかりながら言った。

光の差す窓辺で黙々と種もみを選別するディーズベルダの横顔を、どこか誇らしげに見つめていた。


だが――


「……まぁ、もっと闇深い理由を言うとね……」


ディーズベルダがくるりと椅子を回し、片肘を背もたれにのせながら、斜めに彼を見上げる。


「リーフィット侯爵家の人に頼めば、この作業なんてすぐに終わるのよ。

でもね――あなたが怖すぎて依頼できないの」


その言葉に、エンデクラウスの眉が一瞬ピクリと動いた。


「……あぁ」


少しだけ首をかしげ、静かな声で返す。


「交流を持つだけで、俺はその家門を次こそ――“なきもの”にする自信がありますね」


冗談のような響き。

けれど、その視線はどこまでも本気だった。


(――ああ、やっぱりダメだこの人)


ディーズベルダは心の中で天を仰ぐ。

そしてそっと、手元の塩水選の作業に戻りながら、かつての“事件”を思い出す。


(……そう、あれは、学生時代――)


当時、ディーズベルダはエンデクラウスに付きまとわれていた。

いや、本人いわく“見守っていた”だけらしいが、当時のディーズベルダからすれば、完全にストーカーだった。


それに拍車をかけたのが――スフィーラ王女の存在。


(どう見たって、スフィーラ様はエンデクラウス狙いだったし……)


王族に狙われてる相手に割って入る度胸なんて、当然なかった。

むしろ“なるほどね、エンデクラウスってそういうルートか”と納得し、早々に諦めたほど。


(だから私は私で、婚活!)


と、王都にいる名家の中で、自分の目的に最も適した人物を探し――

白羽の矢を立てたのが、リーフィット侯爵家の子息だった。


植物に関する魔法に長け、成長促進や交配補助、種の再構築すらできる彼は、

ディーズベルダにとって“開発”のパートナーとして、理想的すぎる存在だった。


(……猛アタックした。割と、堂々と)


あの頃の自分は、“エンデクラウスだけは絶対ない”と思い込んでいた。

彼は“王女のものになる”と信じていたし、自分には別の未来があると――


――だが。


その様子を見ていたエンデクラウスが、ある日突然“とんでもない行動”に出た。


(……あれは、ほんとに……烈火のごとく嫉妬してたのよね)


詳細は、いまでも思い出すと胃が痛くなる。


安全のため。

いや、あの家門のためにも……距離を置いた方がいいと、本能で理解した。


ディーズベルダはぶるっと身震いしながら、桶の中から沈んだ種をすくい上げる。


「あれ以来、私は“リーフィット”の“リ”の字も出さなくなったのよ」


「賢明ですね」


即答。しかも満足げ。


「……本当はね、パーシブルスト公爵家あたりに近づいておけばよかったのよ。

能力的にはちょっと足りないけど、気まずくなることもなかったし」


「……ディズィ」


エンデクラウスが、意味深に目を細める。


「俺以外に“近づく”という選択肢を前提にしていた時点で――

それはもう、大きな間違いだったんですよ」


「はいはい、はいはい……」


ディーズベルダは苦笑を浮かべながら、片手をひらひらと振った。

けれど、心のどこかでは“いつもの彼”の温度に、やっぱりちょっと嬉しさもある。


彼女は指先でつまんだ籾をひとつ、水の入った桶の中へ。


――ぽちゃん。


静かに響いた音に、研究室の空気がまたひととき落ち着きを取り戻す。


……が。


その余韻を破ったのは、ひとつの低く穏やかな声だった。


「……本当に、分かっていますか?」


「……へ?」


ディーズベルダは顔だけで振り返る。


そこには、椅子に浅く腰かけて、肘を膝に乗せ、じっとこちらを見つめるエンデクラウスの姿があった。

瞳の奥が、ふっと揺れている。


(うわ、これ本気の顔だわ……)


少しだけ背筋を伸ばして言葉を返す。


「わかってるわよ。……エンディは、ディルコフにさえ嫉妬してるくらいだし」


にっこりと笑って言ってみせると、エンデクラウスはほんの一瞬、眉をピクリと動かす。

けれどすぐに口元だけで、静かに笑った。


「……なら、いいんです」


その“なら”の中に、どれだけの“我慢”と“覚悟”と“諦めのなさ”が詰まっているか――

ディーズベルダは長年の付き合いで、もうちゃんと理解していた。


(……やっぱり、とんでもない男だわ)


そう心の中でぼやきながらも、彼女の頬はほんのり、嬉しそうに染まっていた。


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