182.我が家と呼ぶ場所へ
式と食事会という大きなイベントが終わり、それぞれが帰路につく頃――
王都の華やかさをあとにして、ディーズベルダたちもようやく、ルーンガルドへ戻ってきた。
馬車を降りて、久々に見る城のシルエットに、どこか安堵が胸を満たしていく。
そして――
「やっと……我が家だわ」
魔王城の門をくぐった瞬間、ディーズベルダは思わず伸びをしながら深く息を吐いた。
その言葉に、隣で歩いていた教皇がふと立ち止まる。
「……この城を“我が家”と呼ばれる日がくるとは」
懐かしむような、どこか複雑な声音。
教皇にとっては、ここはかつての“自分の居場所”だったのだ。
「ふふ、しみじみですね、教皇様」
ベリルコートが着物姿のまま、そっと微笑む。
すっかりその姿が“正装”のように馴染んでしまっていた。
そのとき――
ヴェルディアンを抱き上げたエンデクラウスが、ふと首を傾げる。
「……しかし、何か忘れている気がするのですが……」
「え? 忘れ物?」
ディーズベルダが振り返り、思わず眉をひそめる。
「嫌よ。もう王都に戻るなんて……」
「いやよーっ!」とクラウディスまで大きな声で賛同し、ぴたっと母の足にしがみつく。
「いえ、あの……」
そっと手を挙げたのはベリルコートだった。
「……その、茶髪の……お方を、置いてきたのでは?」
「…………」
一瞬の沈黙のあと。
「――あぁああああ!! ディルコフ置いてきちゃった!!」
ディーズベルダが両手で頭を抱えるようにして叫ぶと、
エンデクラウスは困ったように苦笑しながら肩をすくめた。
「……あぁ……仕方ありませんね。とりあえず、手紙を出しておきましょう。迎えは後日でも」
「むぅ……旅疲れの身には、痛すぎる失態だわ……」
ディーズベルダがぐったりと肩を落とす一方、教皇がふと真顔で言う。
「さて、我々は――この地に建てた新居へ帰るとしましょう」
「……新居って……」
ディーズベルダは教皇を見上げ、無言のまま少しだけ首をかしげる。
(なんか、教会を建てたはずなのに、“新居”って聞くと……すごく変な感じがするのよね……)
「……なんですか? その目は」
教皇がぴたりと彼女の視線に気づき、やや鋭く切り返す。
「いえ……別に。気のせいです」
ディーズベルダは視線を逸らしつつ、肩をすくめて誤魔化した。
するとその横で、エンデクラウスがまるで何気ない話題を振るかのように、ふっと口を開いた。
「ところで……教皇殿はいつ、子を作るのですか?」
空気が一瞬、凍った。
「……」
教皇はまばたきもせず、沈黙したままエンデクラウスを見つめる。
「――あっ。すっかり忘れていました。そうでしたね、当初の目的は“子を作ること”だったのに……」
と、教皇はようやく小さく咳をついてから、ちらりと隣のベリルコートに視線を送った。
ベリルコートはその視線を受けて、にこりと微笑み――
何も言わず、教皇の袖口をちょんと指でつまんだ。
その仕草に気を良くしたのか、教皇は咳払いひとつして言った。
「……もうしばらく、新婚を味わうとしましょう」
そう言うなり、優雅な所作でベリルコートの身体をひょいと抱き上げると、まるで何事もないかのように背を向けた。
「では、失礼。新居へ戻ります」
「わっ……!? きょ、教皇様!?僕、自分で歩けますから!」と驚くベリルコートの声をよそに、
教皇はそのまますたすたと、抱き上げたまま建物の奥へと消えていった。
「……完全に目的が変わってるわね」
ディーズベルダが呆れたようにぼそりとつぶやく。
その隣でエンデクラウスは、なぜかしんみりしたような顔で言った。
「ディズィも、あれくらい俺に本気になってくれればいいのに」
「え? 私、結構本気でいるつもりだけど?」
「……足りません」
即答するエンデクラウスに、ディーズベルダは思わず口を開きかけた――が。
「足りません!」
まるで完コピしたような声が飛んできた。
振り返ると、クラウディスが両手を腰に当てて、父の表情をそのまま真似ている。
「もぅ、クラウったら。なんでも真似しちゃだめって言ってるでしょ」
そう言いながらも笑いをこらえきれず、ディーズベルダはクラウディスをそっと抱き上げる。
すると、クラウディスは胸元で両手を揃えて――
「だーめっ♡」
と小首を傾げて、完璧なウインクまで決めてきた。
「……この子、絶対わかってやってるわよね……?」
ディーズベルダが小さく呆れたように呟くと、エンデクラウスは腕を組んで頷いた。
「知能はあるそうですからね。心が追いついていないだけで」
「追いついてきちゃってるのよね、だんだんと……」
ディーズベルダは、クラウディスの額に軽くキスを落としながらため息まじりに笑った。
そして、ヴェルディアンを背中で寝かしつけていたエンデクラウスが、ふっと目を細める。
「……俺たちも、今日は早めに休みましょう。王都と領地の往復で、さすがに疲れましたし」
「ほんとそれ……。私なんて腰にきた気がするわ……」
「それを俺の前で言うんですね」
「え? 別にあなたが原因だとは言ってな――」
「む……そうですか。では今夜、原因かどうか確認します?」
「ちょ、まっ……そういう意味じゃ――!!」
笑いながらじゃれあうふたりの背後で、クラウディスがふたたび小さく囁く。
「だーめっ♡」
今度は誰よりも完璧なタイミングで。
その夜、ルーンガルドには、久しぶりに賑やかで温かな“家族の夜”が静かに訪れていた。