表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

179/188

179.静かなる祝福は、心の奥に降り注ぐ。

神殿内は、静かに、そして確かに――

現実から切り離されたような、幻想的な空間へと変貌していった。


天井近くの空間に、淡い光を含んだ雪の結晶がふわりと現れる。


それは音もなく、まるで夢の欠片のようにふわふわと降りてきて、

人々の頭上に届く寸前――すっと空気に溶けるように消えていく。


「……っ」


誰からともなく小さな感嘆の声が漏れた。

息を呑む音、微かなささやき、そしてそれを打ち消すような荘厳な沈黙――


そのなかで、ゆっくりと、神殿の扉が開いた。


差し込んだ光に照らされながら、二つの影が静かに歩みを進める。


先頭に立つのは、白地に薄く淡い金の華が咲き誇る、絹の着物に身を包んだ概念の兄――ベリルコート。


その美しさは、もはや言葉では語れない域に達していた。


背筋をすっと伸ばし、ひとつひとつの所作は優雅で慎ましく、それでいて凛とした芯の強さを纏っていた。

儚さと誇りが同居するような歩き方――その姿はまさに、“美の結晶”そのものだった。


そして隣に立つのは、白地に金の刺繍が施された神聖衣装を纏った教皇。

その衣装は、これまでのどの“教皇衣装シリーズ”よりも荘厳で、まるで神そのものの化身のような威厳を放っていた。


二人が並んで歩くたび、床に反射する光までもが神聖な紋様を描き出す。

その歩みに合わせるように、天井から降る結晶も柔らかく舞い、祝福のようにふたりを包み込んでいた。


あまりの美しさに、参列者の中には思わず息を止め、ひざから崩れ落ちる者も出ていた。

頬を赤らめ、胸元を押さえ、目を潤ませながら目を逸らせなくなる貴族もいれば、

耐えきれずにその場で静かに気絶する者まで現れる始末。


(……なんなの、あの並びは)


ディーズベルダは思わず目を細め、両手を膝の上で握りしめる。

それはまるで“二次元”が三次元に顕現したような……いや、もう“現象”のような存在だった。


歩くベリルコートの表情は、どこか緊張と恥じらいを感じさせながらも――

その目元には、はっきりとわかる“幸福の光”が宿っていた。


隣にいることが、嬉しくて仕方ない。

それでも目立つことが恥ずかしくて、思わず背筋がぴんと伸びる。

そんな感情が表情の端々からにじみ出ていた。


それを見た父が、ぽつりと呟く。


「……ベリル……」


その声には、懐かしさ、驚き、そして胸を満たすような安堵が混ざっていた。


やがてふたりは祭壇の前にたどり着く。

けれど、その壇上には誰の姿もなかった。


神殿内は、息を潜めたような静寂に包まれている。

――まるで、神すらもこの瞬間は見守るだけに徹しているようだった。


壇に立つ必要などない。

この場に、ふたり以外の存在は要らない。


教皇とベリルコートは、正面を向いたまま、視線を合わせ――

互いに、たったひとつの誓いを、言葉にして紡いでいく。


世界が止まり、光だけが舞う。


そんな中で――教皇が、そっとベリルコートの手を取る。


その手はあたたかく、けれど緊張のせいか、わずかに震えていた。

彼はゆっくりと、慎重に指輪を持ち上げ、ベリルの薬指へと通す。


「……喜んでいただけると……嬉しいのですが……」


小さく、柔らかな声だった。

教皇が珍しく、ほんの少し不安そうに微笑みながら呟く。


ベリルコートは驚いたように目を見開き――

はめられた指輪をそっと見つめた。


「こ……これは……」


それは、繊細な意匠の銀環の内側に、

ふたりの名を示す古代文字と、美しい小さな蓮の花が彫り込まれた唯一無二の指輪だった。


「……私自ら、作りました」


教皇の言葉に、ベリルコートの瞳がゆっくりと潤む。

声には出さず、ただ――心からの笑みを浮かべる。


それは、見ている者すべての胸にあたたかい波紋を広げていく、幸福のかたち。


そして――

ふたりは互いに視線を合わせ、迷いなく近づき、そっと唇を重ねた。


その瞬間。


天井から降り注いでいた雪の結晶がふっと空気に溶け、

代わりに、黄金の蓮の花びらがふわり、ふわりと舞い降りてきた。


一枚、また一枚――

降っては、ふわりと光の粒となって消え、

また次の花びらが生まれる。


神聖で、温かくて、まるで天上からの祝福そのもののように。


誰からともなく拍手が起こり、

やがてそれは神殿全体に広がっていく。


静かで、けれど確かな祝福の音が、ふたりの背を優しく押した。


拍手の中、教皇は再び指先を動かし――

祭壇に置かれた婚姻証に、自らの手で聖印を刻んでいく。


鮮やかな金の光が紙面に刻まれ、

それは、永遠の契約として、世界に刻み込まれた。


「……さあ、行きましょう」


指先でそっと手を取る教皇に、ベリルコートは笑顔で頷いた。


「……はい!」


その声は、震えていた――けれど、涙がにじむほどの幸せがにじんでいた。


ふたりは肩を並べて、ゆっくりと歩き出す。


歩幅を揃えて、堂内を進むその姿は、まるで絵画のように美しく――

ベリルコートは、教皇の顔を、まっすぐに見つめていた。


その瞳には、ただただ喜びと、愛しさと、信じられないほどの安心感が宿っている。


教皇もまた、穏やかに笑みを浮かべ、

隣を歩く“唯一の伴侶”を、慈しむような眼差しで見つめ返していた。


ふたりの間には、言葉よりも深く、

祈りよりも静かで、確かな絆が、そこにあった。


扉の先には、陽光が差し込んでいる。


そしてふたりは、優雅に、ゆっくりと――

すべての祝福を受けながら、その中を歩いていった。


神殿の扉の先にはやわらかな光が満ち、花の香りと拍手が交差するなか――

ディーズベルダは、ふと両親の方へ視線を向けた。


そこには、静かに肩を震わせる母の姿があった。

そして、その隣で背を丸める父の横顔も――どこか苦しげに歪んでいた。


「……お父様? お母様……」


そっと声をかけると、母は小さく顔を横に振りながら、目元を覆った手を外す。


「……あの子が……“幸福”という名のもとに、心から微笑んだ瞬間――」


その瞳には、溢れる涙と共に、長い年月に蓄積された後悔が浮かんでいた。


「私は、ようやく……気づいたの。どれほど非道な“取引”を、彼に背負わせていたかを……」


震える母の声には、明確な罪の意識が刻まれていた。

かつて、己の子に――身体を代価にさせてまで、家を守らせた女の声だとは、信じたくなかった。


隣の父も、眉を深く寄せ、拳を膝の上で固く握り締める。


「言うな……。それを選ばせたのは、私のせいでもある。

私が……不甲斐ないばかりに……」


その声には、静かな怒りと、己への悔しさが滲んでいた。

かつて家を守ることができず、結果的に“息子の尊厳”を差し出すことになった男の声だった。


ディーズベルダは、ゆっくりと両親の手を見下ろす。


(このふたりは……お兄様に、本当に許されないことをしていた)


思い出す。

自分が前世の記憶を宿し、9歳の頃から動き始めたこの家の再建。

けれどそれまでは、兄が家を支えるために――


“夜”を、“対価”にしていた。


望んでなどいなかった。

ただ、生きるために。

家を守るために。

自分を殺して。


(それを……この人たちは、知っていたのに)


視線の奥が、じわりと熱くなる。


それでも、ディーズベルダは声を落ち着けて言う。


「……深く、反省して。ずっと、反省し続けてあげて。

そして、祝福してあげて」


それは命令でも、叱責でもない。

ただ、ベリルコートに対する願いを込めた一言だった。


父と母は、その言葉に黙って頷いた。

その瞳に浮かぶ涙が、少しだけ“親”のように見えた。


ディーズベルダは、まっすぐに前を向く。


(――たしかに、家を建て直してからのこの人たちは、変わろうとしてくれた)


(親として、やり直す努力をしてくれた。懸命さもあった)


でも。


(その“懸命さ”がどこか、やっぱり“金で成り立ったもの”に見えてしまう)


それは、過去があまりに重すぎたせい。

自分の心が、深く傷ついていた証。


(……でも、今の涙と後悔だけは――どうか、本物であってほしい)


胸の奥で、そっとそう願った。


それだけが、あの兄がこの先も前を向いて生きていける、ほんの少しの救いになるのだから。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ