175.祝福オーバーキル
聖堂全体にざわめきが走り、祭壇前は一気に騒然となった。
その空気に耐えかねたように、スフィーラ王女がついに叫ぶ。
「あぁ……あぁぁぁぁ!! どういうことよ、これはっ!?」
裾を乱しながら、スフィーラはかっと目を見開き、教皇を指さして怒鳴り声をあげた。
その横で、コーリックも戸惑いを隠せず、静かに眉を寄せて呟く。
「……これは……いったい……?」
だが、そのとき。
「この二人に、神の加護あらんことを――永遠に結ばれし、聖なる契約のもとに」
祭壇の上、教皇がゆるやかに手を広げ、厳かに告げる。
その声は堂内に響き渡り、否応なく場を呑み込んだ。
次の瞬間――拍手がわき起こる。
ひとり、またひとりと立ち上がる参列者たち。
やがて拍手の輪が広がり、王族席の王までもが満面の笑みで立ち上がり、力強く手を打った。
「見事だ……! 神の祝福が……この場にある!」
(……うわ)
(やられたわね、完全に)
ディーズベルダとエンデクラウスは並んで拍手しながら、内心で同じ感想を抱いていた。
――これで、二人の婚姻は教皇の名のもと、絶対に離婚不可の聖契約として固定された。
離婚が許される唯一の道は、教皇自身による“祝福の解除”のみ。
つまり――逃げ道など最初から存在していない。
そして。
その拍手の中、スフィーラ王女の顔が強張った。
彼女はバッと視線をエンデクラウスへ向け、なにかを言いたげに唇を開きかける。
――だが。
(おっと、そうはさせませんよ)
教皇は内心で軽く笑いながら、静かに手を掲げた。
すると、祭壇からまっすぐに――光の道が伸びる。
それは床を滑るように伸び、王族席を通り、参列者の足元をやさしく照らす幻想的な光のライン。
さらに天井からは、星のような光の粒がふわふわと降り始めた。
「……な、何これ……!」
「天の祝福……? いや、まさか……」
貴族たちがざわめく中――仕上げとばかりに、花びらが舞い落ちた。
空中にふわりと広がる淡い金と白の花。
香りまで漂ってきそうな演出に、聖堂はまさに“神話の世界”と化した。
(魔法、三種類は使ってるわね……)
(うん……あれ、絶対手加減してない)
ディーズベルダとエンデクラウスは顔を動かさずに目線だけで確認し合い、無言の会話で同意しあう。
周囲が湧き上がるなか、王は満足げに拍手を続け、王族たちも立ち上がって神官――いや、教皇に頭を下げていた。
(完全に祝福を通り越して、祝砲レベルじゃない……)
そう内心で苦笑しつつ、ディーズベルダは隣のエンデクラウスをちらりと見た。
彼もまた、視線を前に向けたまま、やや口元を引きつらせていた。
こうして。
逃げ道を完全にふさがれたふたりは、そっとその場をあとにしたのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翌朝――
新聞の一面に、大きく躍る文字。
《神の祝福が舞い降りる!》
まるで神話の一幕を報じるかのような見出しに、王都のルーンガルド邸の朝食の席でも話題は持ちきりだった。
テーブルには、パンケーキにスクランブルエッグ、ベーコン、バターの香りが漂うトーストにフルーツサラダ……
まるでホテルのビュッフェのような現代文明の朝食が所狭しと並べられていた。
「いやー、愉快でしたね、ベリ」
教皇がフルーツヨーグルトを口に運びながら、隣のベリルコートににこにこ声をかけた。
「え……あ、はい……その……」
ベリルコートは顔を真っ赤に染めながら、手にしたカップを少し揺らす。
「正直、よくわからないところもありましたけど……でも、とても素敵な魔法でした……」
そうぽつりと呟く様子は、昨日の祝福の余韻をまだ引きずっているようだった。
そのやり取りを斜め向かいから見ていたディーズベルダは、思わず肩を竦めながら溜息をついた。
「中央神殿に戻る予定だったのでは? 教皇様」
「そのつもりでしたがね」
教皇は、焼きたてのクロワッサンを軽くちぎりながら、どこか得意げに続ける。
「故郷の料理を味わえるのは、今やここくらいなものですから」
(……つまり、完全にハマってるってことね)
そんな風に思っていると、エンデクラウスがふっと微笑みながら言葉を挟んだ。
「その気持ちは、よくわかります。ここの食事は、格別ですから」
「そうでしょう。やはり文明は、胃袋からですね」
教皇は大真面目な顔でそう言いながら、さりげなく隣のベリルコートと指先を絡めていた。
「教皇様、改めて……お礼を言います。本当に、ありがとうございました」
そう言ったのは、エンデクラウス。
彼は真っ直ぐに教皇を見つめ、丁寧に頭を下げた。
教皇は、片眉を上げて小さく笑う。
「……何のことやら。私はただ、職務を全うしただけですよ」
さらりと流すその声には、どこかくすぐったい誇らしさが滲んでいた。
そんな中――
ベリルコートの肩にもたれかかるように身を寄せながら、教皇がスプーンですくったプリンを「はい、あーん」と差し出し、
ベリルがそれを受け取る光景が、ほぼ無音で繰り広げられていた。
それを、じーっと見ていた者がひとり。
クラウディスだ。
もぐもぐとパンをかじっていたその小さな手がふいに止まり、
テーブルのジャガイモをフォークで突き刺すと――
「ママ、あーん!」
と満面の笑みで言って、ディーズベルダの口元に差し出した。
「……なっ!? ちょっ……教皇様っ! 子どもの前で、そういうのはだめです!!」
顔を赤くしてツッコむディーズベルダ。
その直後――
「ディズィ、あーん」
隣のエンデクラウスが、まるで当然のようにスプーンを持って差し出してくる。
「もぅっ! エンディまでなに真似してるのよ!」
顔を真っ赤にしながら、ディーズベルダは両手で顔を覆った。
だが、口元は緩んでいた。
にぎやかで、少し騒がしくて――
でも、どこまでもあたたかい、ルーンガルド家の朝だった。




