173.ルーンガルドの門
──ルーンガルド城・一階西側の部屋。
ここには、現代チートと呼ばれる機械――洗濯機と自動機織り機が置かれている。
今はディーズベルダ以外の3人――ベリルコート、モーリ、チェシャたちが協力し、別の織物を織っている最中だった。
シャトルの軽やかな音と、布が張られるパリッとした張力の音が、静かに響いている。
そんな空気の中、部屋の隅では――
教皇が、何やら妙な形をした魔具のような装置を片手に、洗濯機の周囲をぐるぐると歩き回っていた。
しゃがみ込んでは覗き込み、立ち上がっては本体に沿ってなぞり、まるで研究者のような真剣な顔つきだ。
「……何してるんですか、教皇様」
ディーズベルダがやや眉をひそめつつ、声をかけた。
「ん? あぁ、いえいえ」
教皇はふわりと笑って、手元の器具をディーズベルダに軽く見せる。
「これで“スキャン”しておけば、いつでも錬成可能になるので……念のために記録しておこうかと」
「……えっ!? つまり、それって量産できるってこと……!?」
思わず前のめりになるディーズベルダに、教皇は首を軽く傾けて頷いた。
「えぇ、まぁ。理論上は可能です。ですが――」
言葉を区切り、教皇の視線がすっとディーズベルダの後ろへ向かう。
「エンデクラウス殿も仰っていた通り、“古き良き世界”を壊したくないのであれば……
この部屋だけで使用するのが、賢明かと存じますよ?」
「……うん、それはもちろんよ」
ディーズベルダは静かに息を吐き、手元の洗濯機に視線を落とした。
その曲線も、スイッチも、設計も――すべて自分がこだわって作ったものだ。
(……とはいえ、壊れたときどうしようって、密かに不安だったし。記録してくれるのは……ありがたいわね)
そう思いながら微笑んだそのとき――
部屋の扉がカチャリと開き、エンデクラウスがクラウディスを抱いて現れた。
小さなクラウディスは、少し濡れた髪をタオルでくしゃくしゃにされながら、ぐずり気味に抱きついている。
「……ディズィ。そろそろ荷造りしましょうか」
「えぇ、そうね」
ディーズベルダは頷きつつ、タオルを取りに近づいてクラウディスの頬を拭った。
「何を持っていこうかしら。王都なら、だいたいのものは揃ってるはずよね」
「そうですね。服と、書類と……それに、あなたの読みかけの本も」
「ふふ、ちゃんと覚えてたのね。さすが私の旦那様」
二人がやりとりを交わす後ろで、教皇は手帳に何かをさらさらと書き付けていたが、ふと顔を上げた。
「我々も、王都へ向かう準備を進めています。今回の滞在は、中央神殿となります」
それを聞いて、エンデクラウスが静かにうなずく。
そして、機織り中のベリルコートの姿へと視線を向けるディーズベルダ。
「お兄様のこと、よろしくお願いしますね。教皇様」
その言葉に、教皇はゆっくりと笑った。
「はい。お任せください」
教皇のその言葉は、軽やかで優しく――けれど、どこまでも揺るぎない確信を帯びていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そして迎えた翌朝。
まだ朝靄がわずかに残るなか、ルーンガルド城の正門には、二台の馬車が並んでいた。
一台目――
ディーズベルダ、エンデクラウス、クラウディス、そしてヴェルディアンを乗せた馬車は、揺れも少ない特注仕様。
車内では、ディーズベルダの腕の中にすやすやと眠るヴェルディアンを、クラウディスが小さな手で優しくなでてあやしていた。
「……よしよし、いいこ……いいこー!」
声を潜めて囁くその姿に、ディーズベルダはふと微笑みをこぼす。
(ほんと……クラウ、立派なお兄ちゃんになってきたなぁ)
その表情には、母としての誇らしさと、少しだけの寂しさが滲んでいた。
隣ではエンデクラウスが静かにその光景を見守っていたが、ふと目を細めて囁く。
「もうすぐ、見えてくる頃ですよ」
「うん……」
そして、ほどなくして――
馬車の小窓から見えた光景に、ディーズベルダは思わず、少しだけ身を乗り出した。
「わぁ! 完成してたんだ!」
ディーズベルダの思わず張った声に、膝の上で眠っていたヴェルディアンが、ぴくりと小さく身じろぎした。
「……ふぇ……」
その動きに、クラウディスはハッと目を見開き――
「起きちゃった……!」といわんばかりに、ガーーーン!と目を見開いて頭を抱えるクラウディス。
「しーっ、しーっ……」
小さな声でそう呟きながら、ヴェルディアンのほっぺを一生懸命なでなでする姿に、馬車の中にはくすりと笑いが広がった。
そんなやり取りのあと、ディーズベルダがふと窓の外へ視線を戻すと――
そこには、堂々たる姿で広がる真新しい城壁があった。
淡い灰色の花崗岩と、漆黒の玄武岩が交互に積み上げられ、
外壁全体がまるで巨大な紋様のように美しく彩られている。
太陽の光を受けた石肌がやわらかくきらめき、ところどころに埋め込まれた金属製の補強フレームが、無骨ながらも荘厳な存在感を放っていた。
その構えは、まるで「ここから先は、ルーンガルド領である」と無言で告げるかのように――
誰であろうと容易には通さぬという、確かな意思を持ってそびえ立っていた。
ルーンガルド領の“玄関口”として。
それは静かに、しかし確かに、この地の新たな始まりを語っていた。
「はい。今朝方、ディルコフが戻ってきて、完成報告をしてくれました」
窓の外を眺めるディーズベルダの隣で、エンデクラウスが静かに頷きながら言う。
「教皇殿も、かなり協力してくださったそうです。……あの石積みの一部、どう見ても常人の仕事ではありませんから」
「あはは……やっぱりね」
ディーズベルダは小さく笑いながら、もう一度視線を城壁へと戻す。
その眼差しには、驚きと誇らしさがないまぜになっていた。
「ディルコフ……怒ってそうだなぁ。“間に合ってなかったら、身内の結婚式にも出られないところだった!”とか言って」
その想像に、つい笑いがこみ上げてくる。
あの真面目で、どこか不器用な男が、真顔で文句を言っている姿が目に浮かぶようだった。
「ははっ。きっと言ってるでしょうね」
エンデクラウスも、彼女の言葉に釣られるように柔らかく笑った。
そして、ふたりの笑い声が揺れる馬車の中に、そっと心地よく広がっていった。




