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171/188

171.着物になる、その前に

──機織り部屋に、心地よい緊張が走る。


部屋の中央には、自動機織り機が鎮座していた。

魔力によって駆動するはずのそれも、糸の準備と操作はすべて手作業。

複雑な設定が必要なため、織り手の連携がすべてだった。


そこに集まったのは、ベリルコート、領民のチェシャさんとモーリさん、教会から派遣された職人風の男女、そしてディーズベルダ。


部屋には、魔物由来の金と白のシルク糸が、艶やかに巻かれていた。


それぞれが持ち場につき、真剣な表情で手を動かしていく。


糸を通す指先は慎重に、けれど確実に。

テンションを均一に保ち、糸のたるみや張りすぎを瞬時に判断して微調整する。


「……ディーズベルダ様、これで間違いないですか?」


チェシャさんが、細かな模様のテンプレートを手に声をかける。


「うん、大丈夫。今のまま進めて」


ディーズベルダは、横のベンチに置いた設計図を見ながら即答した。

目の前で織られていく布に、金の花模様が浮かび始めている。


隣ではモーリさんがシャトルを丁寧に往復させ、模様が崩れぬようバランスを見ながら織り進めている。


ベリルコートも額に汗をにじませながら、慣れない手つきで経糸の張り具合を調整していた。

彼の指はまだ不器用だったが、手元から決して目を離さないその姿に、彼の強い意志がにじんでいる。


「すごい……本当に花の模様が浮かんできた……」


教会から来た女性が、小さく感嘆の声を漏らした。


その模様は、設計図で見たときよりも遥かに繊細で、糸の質感と光沢が加わることで、まるで花が布の上に咲いたようだった。


「ペースはこのままで大丈夫です。焦らず、一歩ずつ」


ディーズベルダの声は落ち着いていた。

けれど内心では――高鳴る鼓動を必死に抑えていた。


(すごい……私たち、ほんとうに……この手で、模様を織ってる)


前世でただ“知識として”知っていた作業が、今、自分たちの手で現実になっていく。

その実感が、胸の奥をじんわりと温かく満たしていく。


「……ディズィ。次、シャトルを渡して」


ベリルコートが不器用ながらもしっかりと彼女を見て、手を差し出す。


「うん、どうぞ」


その指先がかすかに触れた瞬間、ベリルコートの目元がふっと柔らかく緩んだ。


(最初は、指に力を入れすぎて、糸を引っ張りすぎたりしてたのに……)


今では、ぎこちないながらも、確かに“織り手”としての手になっていた。


そうして――


季節の変わり目をまたいで、日々は静かに過ぎていった。


朝になると、ディーズベルダたちは織り部屋に集まり、黙々と作業に取りかかった。

部屋の中には、経糸の張られた美しい機織り機と、シルクの光沢がそっときらめく糸巻きが並んでいる。


始めは手順を確認するだけで半日が過ぎた。

でも、回を重ねるごとに、誰もが徐々に要領を覚え、動きに無駄がなくなっていった。


「ここ、糸が少し緩んでるかも。張り直しておくわ」


「うん、ありがとうモーリさん。助かる!」


糸の一本が浮いても、模様は崩れてしまう。

一人では気づけない小さなズレを、皆で補いながら進めていく――それが、この作業のすべてだった。


教会から来た職人たちは、ときに冗談を交えながらも、真剣な顔で細かな微調整をしてくれる。


ベリルコートは、作業の合間にディーズベルダの設計図をじっと見つめては、「これ、どういう意味?」と熱心に質問してくる。


ディーズベルダはそんな彼に丁寧に教えながら、心のどこかで思っていた。


(……一緒に作るって、こんなにも嬉しいことなんだ)


自分の中にしかなかった“柄のイメージ”が、みんなの手で現実に近づいていく。

それは、魔法よりもずっと不思議で、感動的だった。


そして、何日も、何日もかけて――


ようやく。


機織り機の下から滑り出した反物には、金と白の糸が織りなす華やかな花模様が、柔らかく、そして鮮やかに浮かび上がっていた。


その瞬間、部屋の空気がふっと止まり、誰もが自然と手を止めた。


「……できた……」


ディーズベルダが、絹の布をそっと指先でなぞりながら、静かに呟いた。


それは、努力と時間と想いが織り込まれた、世界にたった一つの布だった。


(やっと……やっとここまで……)


胸に込み上げるものを押さえきれずに、ディーズベルダはそっと布を抱きかかえるように持ち上げた。


だが、そのとき。


「失礼いたします」


と、扉がコンコンと軽く叩かれ、扉が開かれた。


現れたのは、上品な色合いのロングコートを身にまとった女性――

鋭く洗練された目元と華やかなブロンドの巻き髪、まさに“高級ドレス業界”の顔ともいえる風格を持つ人物だった。


その後ろには、数名の熟練の縫製師たちが整然と並び、静かに頭を下げている。


「このたびルーンガルドに移転いたしました、王都のドレスサロン【ヴィクトリシア】でございます。

エンデクラウス様より正式なご依頼を受け、着物制作のためにまいりました」


「……え?」


ディーズベルダが驚きに目を丸くすると、その女性――ペロテアは微笑みながら一歩前へ進み、胸に手を当てて丁寧に頭を下げる。


「私は、専属デザイナーのペロテア・ランフォード。以後、お見知りおきを」


「ちょ、ちょっと待って。ヴィクトリシアって、あの王都の……!? い、今、引っ越してきたって……?」


「はい。元々、当店はエンデクラウス様のご支援によって成り立っております。

王都に拠点を置いておりましたが……本来、私たちは“奥様のため”に雇われたチームでございます」


「……えっ……?」


口が半開きのまま、ディーズベルダはエンデクラウスの顔をちらりと見る。

彼はあくまで無表情のまま、静かに視線を外していた。だが――その耳が、ほんのり赤い。


(あぁ、もう……またこっそり、こんなことを……!)


「着物制作のための参考資料として、教皇様より、以前奥様に作られた和装の構造についても頂いております。ご安心ください。奥様の織った布に傷がつかないよう、縫製はすべて手縫いの最高技術を用います。一針一針、あなたの想いにふさわしいものを、私たちが形にしてみせます」


その言葉に、ディーズベルダは胸の奥がきゅっとなるのを感じた。


努力の結晶が、ちゃんと“次”へつながる。

それを誰かが準備してくれていたことに――不意に、涙腺がふるりと緩む。


「……よろしくお願いします」


そう呟く声は、少しかすれていた。


布を受け取ったペロテアたちは、まるで宝石を扱うように両手でそれを掲げ、深く頭を下げた。


世界に一つの、想いを織り込んだ布。

それは今、新たな命を宿すために――“着物”という形へと、生まれ変わろうとしていた。

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