17.海を発見。
それは、最果ての地での生活が軌道に乗り始めた頃だった。
荒れ地だった大地に、小さな緑が芽吹き、ついに最初の収穫が始まったのだ。
「おお、カブにホウレンソウ、小松菜も順調ですね。」
研究室のテーブルに並べられた、最初に獲れた、まだ泥のついたばかりの野菜。
「これが、ここで初めて育った作物ね……。」
ディーズベルダは、手に取ったカブを感慨深げに見つめた。
初めてこの地に来た時は、不毛な土地と紫色の霧しかなかった。
それが今では、こうして収穫の時を迎えている。
「これで、ようやく味気のないスープともお別れね!」
少し嬉しそうに言うと、住民たちからも歓声が上がる。
「これで食事が豊かになりますね。」
エンデクラウスも微笑みながら、腕の中でクラウディスをあやしていた。
だが——
その時、ディーズベルダは突然、大きな声を上げた。
「あった!! 魔力を閉じ込めて使う石!」
パラパラとめくっていた研究ノートの一ページ、そこに求めていた情報が載っていたのだ。
「本当ですか!?」
エンデクラウスが、クラウディスを抱いたまま振り向く。
驚いたように目を見開き、興味津々に近寄ってくる。
「どれくらい錬成すればいい? 個数も入力できるみたいだけど。」
ディーズベルダは装置のパネルに目を向けながら問いかけた。
エンデクラウスは少し考え——
「では、バケツ一杯くらいはどうでしょうか。」
「え!? なんて曖昧な……。」
ディーズベルダは思わずため息をついた。
(バケツって、容量がまちまちなのよね……。)
とはいえ、ここで細かく言っても仕方がない。
「バケツが10リットルとしたら……えーっと、石の直径がだいたい3センチ……。」
指を動かしながら、彼女は暗算を始める。
「1万立方センチメートルだとして、石が詰まるのは60%くらい。
つまり、6000立方センチメートルを石で埋める計算になるわね。」
「6000を14で割れば……」
ディーズベルダはノートの隅に素早く計算を書き込む。
「……大体424個くらいね。」
「なるほど。」
「適当に500個にするわ!」
ポチッ。
彼女は装置に数値を入力し、錬成を開始した。
——ゴゴゴゴゴ……!!
魔力が渦を巻き、装置の内部が青く輝く。
エンデクラウスは、装置がボコボコと謎の音をたて、煙を発し、石を生成する光景を眺めながら、ふっと微笑んだ。
しかし、その微笑みにはどこか哀愁が漂っていた。
「……流石ディズィ。」
何気なく口にされたその言葉に、ディーズベルダは小さく首をかしげた。
(どうしてそんな…)
「エンディ…あの…」
問いかけようとしたその時——
バタバタバタッ!!
外から駆け込む足音が聞こえ、次の瞬間、研究室の扉が勢いよく開かれた。
「エンデクラウス様!! 大発見です!!」
息を切らしながら飛び込んできたのは、斥候に出ていた騎士の一人だった。
防具には長旅の砂埃がうっすらと積もり、顔には興奮と疲労の入り混じった表情が浮かんでいる。
エンデクラウスは冷静に彼を見つめ、静かに問いかけた。
「なんだ?」
すると、騎士は胸を張り、誇らしげに報告した。
「海が見つかりました!! 広大な海です!!」
「……海?」
ディーズベルダは思わず息をのんだ。
「やっとね!?」
思わず声が弾んだ。
この最果ての地で、まさか海に行き着く日が来るとは。
「どれくらいの距離だ?」
エンデクラウスが冷静に尋ねる。
「片道……五日です。」
「げ……。」
ディーズベルダは頭を抱えた。
(ちょっと待って……片道五日って……。)
「もしかして、この領地、とてつもなく広いんじゃ……。」
「そのようですね。」
エンデクラウスは淡々と答えたが、その口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
「そんな簡単に言うけど……五日って、まともに行き来するだけでも一苦労よ?」
「ええ。しかし、海があるということは、資源の幅が広がるということでもあります。」
エンデクラウスは腕を組みながら静かに言う。
「塩、魚介類、海藻……もしかすると、貿易も視野に入れられるかもしれませんね。」
「たしかに、それは魅力的だけど……。」
片道五日となると、馬車でも相当な時間がかかる。
ましてや徒歩での移動は現実的ではない。
(電車とかあれば……五時間くらいで行けるのかしら……。)
前世の文明ならば、それくらいの距離は苦にならなかった。
だが、この世界では、そうもいかない。
「……また課題が増えたわね。」
ディーズベルダは頭を押さえ、重くため息をついた。
(移動手段の確保が最優先ね。それに、海があるなら資源の活用方法も考えなきゃ……。)
貴族の生活をしていたころは、食材や物資の調達なんて当たり前のように行われていた。
だが今、彼女は一つの領地を切り盛りする立場にいる。
食料の確保、住居の整備、住民の安全、そして——資金繰り。
(開拓なんて、思ったよりもずっと大変……。)
「下がって休め。」
エンデクラウスが騎士に命じると、報告を終えた斥候は敬礼し、疲れた様子で退室していった。
その後ろ姿を見送ったエンデクラウスは、ふとディーズベルダの方を向き、満足げに微笑む。
「何にせよ、これで塩の確保ができますね。」
「……そうね。」
ディーズベルダはほっと息を吐いた。
この世界において塩は貴重な資源だ。
とくに、遠く離れた最果ての地では輸送のコストもかかるため、王都から取り寄せるのは莫大な費用がかかった。
「塩の購入だけでも、かなりの金額を使っていましたからね。」
エンデクラウスがそう言いながら、肩をすくめる。
「本当に助かりますよ。」
「ええ……このまま食料を買ってばかりいたら、さすがの私の財産も底をついていたわ。」
彼女は皮肉っぽく笑いながら、窓の外へと視線を向けた。
荒れ地だった最果ての地は、少しずつ人が増え、活気が出てきた。
だが、それは同時に、大量の食料と資源を必要とすることを意味していた。
(貧民たちをほぼ全員受け入れたんですもの、当然よね……。)
食べるものがなければ、住民たちは生きていけない。
今は収穫が始まったばかりとはいえ、まだまだ自給自足できるほどではない。
(ここに追放されていなければ、王族に並ぶほどの大富豪だったのに……。)
ディーズベルダは、内心で自嘲気味に思う。
アイスベルルク侯爵家は、元々莫大な財を築いていた。
彼女自身の発明による利益も膨大なものだった。
それが今、開拓に次ぐ開拓で、湯水のように消えていっている。
「まぁ、それでも……何とかなるわよね。」
ディーズベルダは、覚悟を決めるように自分に言い聞かせた。
——食料と塩の確保。
この二つが安定すれば、領地は大きく前進する。
そして、ディーズベルダの開拓の日々は、まだまだ続くのだった。