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169.昔の距離、いまの近さ

──場所は、ルーンガルド城の地下研究室。


薄暗くひんやりとした空間に、錬成装置の青白い光がぼんやりと灯っている。

その中央――ガラスケースの中で、ぽふんと丸まっているのは、見た目に反して“魔物”と呼ばれる存在だった。


直径50センチほど。

全身をふわっふわの白い毛に包まれた、まんまるの生命体。

真ん丸な黒い瞳が潤んでいて、体を揺らすたびに「もふっ」と鳴きそうな勢いの柔らかさ。


(……かわ……え、なにこれ……かわいすぎるんだけど……)


ディーズベルダは思わずケースに額がくっつきそうになるほど覗き込み、内心で絶叫した。


虫らしさは皆無。むしろ高級ぬいぐるみの類といっても通じるビジュアルだ。

もはや“魔物”と呼ぶのが申し訳ないほどの愛らしさ。


その可愛さに、世話係として呼ばれた3人もメロメロだった。


聖騎士の二人――屈強な体つきの青年と、穏やかな口調の中年騎士は、まるで猫を撫でるように魔物の頭をそっとなでている。

「前に世話していた個体より、毛並みが良いですね」などと真剣な顔で評価しているあたり、完全に心を掴まれているようだ。


「こんなふわふわ、ずっと触っていたいわねぇ」

家庭を築いている主婦の女性も、優しい目でブラシを動かしていた。


「実は、中央神殿にも一体だけいますよ」

いつの間にか背後に現れた教皇が、さらっと爆弾発言を落とす。


「……え?」


「私が以前こっそり錬成して持ち帰ったものです。

知っているのは、私を含めて十人ほど。かなり限られた情報です」


「そのシルクで……教皇様の服を?」


「もちろんです」

悪びれた様子もなく、にこやかに答える教皇に、ディーズベルダは思わずため息をついた。


(この人、チートを満喫してるわよね……)


そんななか、研究室の一角に置かれた錬成装置が、低く唸るような音を立て始めた。


淡い光が中心部に収束し、空気がふるりと震える。

次なる錬成対象――自動機織り機が、いよいよ完成の時を迎えていた。


機体の中心には、ディーズベルダが前世の知識から設計した“電源部”――魔力式コンセントが搭載される予定だった。

しかし、ここで思わぬ事態が起きた。


「……神の許可が必要です」


錬成直前、教皇がさらりと告げたのだ。


「え……神?」


「はい。今回は――すでに完成されている機織り機に、あなたの設計した“電源部分”を合成させる必要があります。

なので、その構造を書き換えてもらうために……少し、神の許可をいただきに行ってきます」


「……え、えぇ……?」


わけのわからぬまま、教皇は装置の横に片膝をついて、目を閉じた。

手のひらを天にかざし、低く呟くように祈り始める。


途端に研究室全体がピンと張り詰め、装置の周囲に細かな魔法陣が浮かび上がる。


(……な、何この空気。普通に怖いんだけど)


直後、錬成陣がぱあっと眩い光を放ち、

そこに――完成された自動機織り機が、ゆっくりと姿を現した。


魔力を帯びた金属が組み上がっていく様は、まさに芸術のようで、

その場にいた全員が息を呑んで見守っていた。


「……錬成……成功しましたね……」


ぽつりと告げた教皇は、次の瞬間――ふらりとよろめき、そのまま研究室のソファーにばたんと倒れ込んだ。


「教皇様っ!?」


駆け寄ろうとするディーズベルダより早く、ベリルコートが彼の傍に膝をついていた。


「……ぅ……ん……」


額にはうっすらと汗が滲み、頬には血の気がない。

冷却魔布を丁寧に額に乗せ、ベリルコートは水差しを静かに唇へと運ぶ。


その優しい仕草を横目に見ながら、ディーズベルダは思わずため息をついた。


(……神と通話して魔力切れって、ほんと意味がわからないわ……)


とはいえ――


完成した機織り機は、堂々たる存在感を放っていた。

魔道金属で構成されたその機体は、滑らかで硬質な輝きを放ち、今にも動き出しそうな迫力を持っていた。


(でも、これ……めちゃくちゃ重そうよね……)


そんな時だった。


「それでは、運びますね」


と声を上げたのは、エンデクラウスだった。


「本当に大丈夫なの? 無理しないでね」


ディーズベルダが少し不安げに問いかけると、彼はおだやかに微笑んだ。


「はい、任せてください」


その言葉とともに、彼の身体を雷の魔力が包み込む。

肩口から紫の光が走り、足元ではぱちりと火花が弾けた。


空気が一瞬、ピンと張り詰める。


そして――


「っ……!」


エンデクラウスは、重厚な機織り機のフレームに両手を添え、すっと持ち上げた。

金属がきしむ音と同時に、雷の光が一瞬走る。

彼の体に流れる力が、そのまま機体を軽々と持ち上げるのを助けているのが見て取れた。


「わー、旦那様すごーーーい」


ディーズベルダは手をぱちぱちと叩いて拍手した。

けれど、その声色はどこか淡々としていて、まるで“感情を込めるのを避けている”かのような、乾いた響きだった。


「……ディズィのその褒め方、なんだか久しぶりに聞きました」


階段を登りながら、エンデクラウスはふっと笑みを浮かべる。

声に責める色はなく、むしろ少しだけ懐かしさを滲ませていた。


(……そうだ、あの頃の声だ)


まだ“婚約者”という肩書きだけで、お互いの距離が今よりずっと遠かった頃。

彼女は、自分に惹かれまいと必死で――

どれだけ頑張っても、どれだけ気を引こうとしても、返ってくるのは空っぽな言葉だった。


事実だけを並べるような、乾いた褒め方。

あの頃の“壁”がふと蘇ったような気がして、胸の奥に、わずかに刺さるものがあった。


「あっ、ごめんなさい。つい、昔の癖で……」


ディーズベルダは階段の途中で、照れくさそうに笑いながら肩をすくめた。


「勘弁してくださいよ」


エンデクラウスもくすっと笑って、目を細める。


ふたりの笑いが重なり、雷を纏っていた空気がふわりとほどけた。


エンデクラウスは巨大な自動機織り機を肩に担ぎ、ゆっくりと階段を上っていく。

その後ろを、ディーズベルダが少し離れてついていく。


階段を上りきり、一階の西側――洗濯機のある部屋に入ると、

エンデクラウスは周囲の空間を確認しながら、慎重に機織り機を下ろした。


「ここで良いですか?」


「うん。そこがベスト。ありがとう」


ディーズベルダが微笑みながら頷くと、ふと心配がよぎったように、少しだけ顔を曇らせた。


「……でも、本当に体はなんともないの? 無理してない?」


その問いかけに、エンデクラウスは一瞬目を見開き――すぐに、ふわりと微笑んだ。


「……はい。なんともありません」


そして、ぽつりと続ける。


「……嬉しいです。心配してくださるようになって……」


そう言って、彼はそっと腕を伸ばし、

まだ作業の余熱が残る体で、ディーズベルダをぎゅっと優しく抱きしめた。


その胸はほんのりと温かく、雷の魔力の名残が彼女の肩に優しく残った。


ディーズベルダは驚いたように瞬きをしながらも、やがてその胸に額を軽く預け、息を吐く。


(……もう。そんなふうに、ちゃんと言葉にするなんてずるい)


けれど――嫌じゃなかった。

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