168.洗濯機と、世界の歪み
──それから数日後。
ついに、夢の洗濯機が完成した。
ディーズベルダが設計し、技術者チームが心血を注いで仕上げた一品。
それは、魔王城一階、西側の部屋にどっしりと鎮座していた。
部屋の中心に据えられた金属製の大きな箱は、まさに“近代文明の塊”そのもの。
シルバーの光沢を帯びたボディに、魔力を通す回路が走り、側面には魔石スロットと手動レバー、そして見慣れない丸い蓋が取り付けられていた。
ディーズベルダの横には、開発に協力した技術者たち――
ドット、ビコー、ロート、そしてサムソンが並び、全員が胸を張って立っていた。
「いやぁ……よくぞここまで……!」
「見てくださいよ、この回転力。本気で回りますから!」
「ちゃんと洗濯物を傷めないように、内壁の角度も調整しました!」
「組み立て精度は、誤差0.01ミリです!」
それぞれが自分の担当箇所をドヤ顔でアピールしてくる。
(うんうん、いいわね。技術者って、こういう瞬間が一番輝いてるのよ)
ディーズベルダは彼らの様子に微笑みながら、洗濯機の横へと歩み寄った。
ただ――問題もあった。
この洗濯機、あまりにも設計が精密すぎたのと、
“水の供給”のために魔王城の既存の水道に直接金属管を設置してしまったせいで、移動は不可能。
おまけに、部品も素材も高級すぎて量産は不可能。
つまりこれは――ルーンガルド家に一台きりの、専用洗濯機というわけだ。
「じゃあ、使ってみるわね」
ディーズベルダは袖をまくり、事前に用意しておいた汚れた布類を数枚、洗濯槽に入れる。
続けて、前世の記憶から調合した洗濯用洗剤と柔軟剤を慎重に計量して投入。
(ちゃんと泡立ってくれますように……)
わずかに緊張しながら、彼女はスイッチを押した。
カチリ。
次の瞬間――
「……っ!?」「動いた……!?」「回ってる……!」
唖然とするような驚きの声が、周囲から一斉に漏れる。
ゴウン……ゴウン……! と音を立てて、洗濯槽がゆっくりと回転し始めた。
魔石の力で回るその動きは、まるで生き物のように滑らかだった。
その場に居合わせたのは、エンデクラウス、ジャケル、スミール、
ヴェルディアンを抱っこしたジャスミン、教皇、ベリルコート、クラウディス――
ルーンガルド家の面々がずらりと揃っていた。
「うわぁ……!」と、クラウディスが小さな手をぱちぱち叩いて喜ぶ。
「これは……洗う魔法でも使ってるのかと思ったが、純粋な機構ですな……」と、ジャケルが感嘆の声を漏らし、
スミールは「まぁ……回ってるだけなのに、なんてすごいのかしら」と瞳を輝かせる。
ジャスミンは「ヴェル様も見てください、これが未来の洗濯です!」と小声で語りかけ、
ベリルコートは「……ディズィはやっぱり、異質の天才だね」と、静かに腕を組んだまま呟いた。
洗濯機の回転音が静かに部屋に響く中――
教皇は人々の視線をよそに、ディーズベルダの隣へとふわりと歩み寄った。
その姿はあいかわらず白金のローブをまとい、神々しいまでに美しい。
が――その口元に浮かんだ笑みは、どこか少年めいたイタズラ心を含んでいた。
「……自分だけチートな世界が、一番心地よいですよね」
こっそり耳元に囁かれた言葉に、ディーズベルダはぴくりと眉を上げた。
「……ちょっとだけ、罪悪感はあるわよ。
私がやってることなんて、前世の記憶からのパクリばっかりなんだから」
正直な心の声だった。
“ゼロから創り出したもの”ではないことに、ほんの少しだけ後ろめたさを感じていた。
けれど、教皇は相変わらず優美な笑顔のまま、さらりと続けた。
「ですが、今はこの世界で、それができるのは“あなただけ”です」
その声には、どこか凛とした響きがあった。
「それに――これまでも、転生者たちはチート能力を用いて、悠々と優雅に暮らしてきました。
けれど、どれだけ高度な知識を持ち込もうが、その転生者が死ねば……文明は元に戻るものです。
時間が経てば、なかったことになる。だからこそ、発明程度なら、いくらでも使って構いませんよ」
「……」
ディーズベルダは、その一言に思わずぞくりと背筋を震わせた。
(……不穏すぎるのよ、それ……)
(つまり、“そういう風に”この世界は転生者の知識で何度も形を変えて、
やがて彼らが去ったあとには、すべてをリセットして“中世の形”に戻されているってこと?)
(それって……意図的に…教皇がこの世界を“そう”させているってことじゃ……)
思考が深く沈みかけた、その時――
「ディズィ……だめですよ。他の男性と、あまりくっついていては」
腰を後ろからふわりと抱き寄せられ、ディーズベルダの思考は唐突に現実へと引き戻された。
「……エンディ?」
首をひねって振り向くと、そこにはいつもの端正な顔と、微妙に不満そうな紫の瞳。
(流石エンディ、タイミング完璧すぎて逆に怖い)
エンデクラウスの腕の中で戸惑っていると――今度は横から、控えめにスッと手が伸びてきた。
「教皇様、僕はこっちですよ?」
ベリルコートが、教皇の袖を小さく引っ張りながら、遠慮がちに微笑む。
「……すみません」
教皇は目を細め、そっとベリルコートの肩を抱き寄せる。
その微笑は、まるで慈愛そのもので、先ほどの不穏な話が幻だったかのようにすら感じられた。
「くっつくー!」
続いて、クラウディスが弾むように声を上げて、ジャスミンの膝へ勢いよく飛び込む。
その腕の中には、ヴェルディアンが大人しく抱かれていた。
「まぁ、クラウディス様ったら。」
あたたかな人の輪の中、先ほどの奇妙な背筋の冷たさは、すっかり消えていた。
けれど――ディーズベルダの心の奥には、あの教皇の言葉が、わずかに棘のように残っていた。
(……この世界、私が思ってるより、もっと複雑なのかもしれない)
そう思いながらも、エンデクラウスの腕の中で、彼女はそっとため息をついた。