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167.夫を甘やかす一日。

──翌朝。

薄く差し込む朝の光が、天蓋の布越しに柔らかく揺れていた。


ディーズベルダがまどろみの中で目を開けると、すぐ目の前――

こちらをじーっと見つめる紫の瞳と、ばっちり目が合った。


「……おはよう、エンディ」


寝起きの声でそう囁くと、エンデクラウスは相変わらず穏やかな声で返す。


「おはようございます」


(近い……いや、いつも近いけど、今日はとくに見つめ方が真剣……)


ディーズベルダはまぶたをこすりながら身じろぎし、ふと問いかける。


「調子どう?」


「……酷い筋肉痛です」


「……酷い筋肉痛でも、平然としているのね……」


少しあきれたように眉を下げながら、彼の顔をじっと見つめるディーズベルダ。


すると――


エンデクラウスは寝たままの姿勢で、ぎゅうっと彼女の身体を抱き寄せてきた。


「もっと……俺を心配してください」


その低い声が耳元でくすぐったく響き、ディーズベルダは目を細める。


「ほんとに筋肉痛なの?」


「はい……本当に、全身……動かすだけで痛いです……」


そう答えるエンデクラウスは、目尻を少し下げた、いかにも“切なげな表情”。


(いやその顔、反則では……)


ディーズベルダはくすっと笑いながら、彼の頭をゆっくり撫でてあげた。

そして抱きしめ返し、背中を軽くぽんぽんと叩いてやる。


「朝から甘えたね、エンディ」


「……昨夜は、何もできませんでしたから……」


ぼそっと呟いたその声に、ディーズベルダは思わず吹き出しそうになった。


(昨夜というより……お昼に寝に行って、そのまま夜まで爆睡してただけよね、エンディ……)


「今日は何もせず、ゆっくり休んでいいわよ」


そう言うと、エンデクラウスは一瞬だけ間を置き、にっこりと――どこか嬉しそうに、子どものような笑みを浮かべた。


「お言葉に甘えて、そうさせてもらいます」


「…………えぇ!? 本当に痛いの!?」


あまりにも素直すぎる反応に、ディーズベルダの声が裏返る。


「はい。酷いですね……。信じてなかったんですか?」


「う……うん。ちょっとだけ。ごめん」


視線をそらして言うと、エンデクラウスはあからさまに拗ねたような表情を浮かべた。

頬をぷいっとわずかに背け、声もわずかに落ちる。


「……信じてもらえないなんて、悲しいです」


(あっ……これは本気でちょっと傷ついてる顔……!)


ディーズベルダは慌てて、彼の肩に手を置きながら優しく言った。


「わかったわ。今日は私も予定をキャンセルして、退屈しないようにそばにいるわ。

教皇様も今日は外壁を作りに行く予定って言ってたし、手伝いもないし」


それを聞いたエンデクラウスは、ちらりとこちらを見て――小さく、けれどはっきりと。


「……純粋に、俺のためだけにいてほしいです」


「……」


(……昨日の雷で、ネジ飛んだんじゃないでしょうね)


一瞬そんなことを思ったが、ディーズベルダはふっと微笑み、そっと彼の髪を撫でる。


「今日は純粋に、そばにいるわよ。教皇様がいてもいなくても、私はそうしてたわ」


すると――


「ディズィ……あぁ……今日一日、独占できるなんて……幸せです……」


そう囁いたエンデクラウスは、ディーズベルダの肩に顔をうずめ、

深く、うっとりとした表情で、彼女の髪に顔を寄せる。


「……ん、いい香り……」


まるで香水のように、ディーズベルダの匂いを吸い込むその仕草は――

どこか甘えた猫のようで、でもやっぱり、完璧な色男だった。


(……やれやれ。朝からキマりすぎなのよ、ほんとに)


ディーズベルダは苦笑しながらも、額にかかる彼の髪を優しくかきあげてやった。


そうして二人は、そのまま寝室でゆったりと過ごす一日を選んだ。


執務室にも顔を出さず、食事すらベッドで――という、いつもでは考えられない怠惰さだったけれど、

「今日は特別」と言い聞かせて、ディーズベルダはエンデクラウスにスプーンでスープを飲ませたりと、介護じみた甘やかしをしていた。


「実は……一生をディズィと、こんな風に過ごしたいと思っているんです」


突然、ぽつりと告げられたその言葉に、手に持っていたスプーンが一瞬ピタリと止まる。


エンデクラウスは本気の目をしていた。

真面目で、真っ直ぐで、いつもの調子の三割増しで重たい感じのやつだ。


(……やばいなコイツ)


ディーズベルダは思わず口元を引きつらせながらも、なんとか愛想笑いで返した。


「そ、そう? それは……光栄だわ……?」


(いや、重い。重いんだけど!まぁ、いっか。今に始まったことじゃないし)


そんな空気のまま、ゆるく会話は続いていった。


話題は、いつものように自然とディーズベルダの“前世”の話に移る。


「今日は……学校の話でもしましょうか」


「学園……ですか?」


「そう。貴族なら誰でも入れる学園じゃなくてね、私のいた世界では“入試”があったのよ。テストの点数で、入れるかどうか決まるの」


「……テストで?」


エンデクラウスが目を丸くする。

貴族社会において“血筋や立場”で進学するのが当然のこの世界においては、それは珍しい概念だった。


「うん。この体だとね、教科書とか読めばだいたい頭に入るけど、前の体はそうはいかなかったから……

徹夜で暗記したり、“塾”っていう教師がいっぱいいるところに通って勉強したりしてたのよ」


「……聞けば聞くほど、ややこしい世界ですね」


そう呟いたエンデクラウスの声には、どこか尊敬混じりの驚きが滲んでいた。


「でしょ? でも、何もかもが自動で便利だったの。洗濯もボタン一つで出来たし……」


ふと思い出したように、エンデクラウスが顔を上げる。


「そういえば、洗濯機はどうなったんですか?」


「ああ、それならもうすぐ完成よ」


「楽しみですね。学生時代から作ろうとしてましたよね」


「ふふっ……エンディ、私のこと、全部覚えてどうするのよ」


軽く笑って肩を竦めると、彼は真顔で――むしろ照れもなく、さらりと。


「俺の生き甲斐ですから……」


「…………」


ディーズベルダは一瞬、固まった。


(う~~~~~ん……重い!!)


彼の笑顔はあまりにも純粋で、悪気もなければ打算もない。

それが逆に恐ろしいのだ。


(……まぁ、いいけど。慣れたし)


そう心の中で呟いて、彼の頭をふわりと撫でた。

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