165.夫は耐えているだけで絵になる件。
──魔王城、中庭。
空には雲一つなく、昼間の気温は心地よく保たれた25度。
涼やかな風が緑の葉を揺らし、まるで深呼吸したくなるような穏やかさが中庭を包んでいる。
ここルーンガルドの地は、教皇のチート能力によって夜は21度、昼は25度に常に保たれており、夜間には週に三度、雨が降るよう調整されている。
そのおかげで、魔王城の庭はいつでも柔らかい潤いに満ち、草花も艶やかに生き生きとしていた。
ディーズベルダはベンチに腰を下ろし、膝の上にはちょこんとクラウディスを乗せている。
ふわふわとした銀髪の我が子が小さな足をぶらぶらさせながら、興味津々に前方を見つめていた。
その先には――
上半身をさらけ出したエンデクラウスが、芝生の中央で静かに座禅を組んでいた。
長い黒髪がゆるやかに風に揺れ、鍛えられた肉体が陽光を反射して光る。どこか神聖さすら漂う姿だ。
(……なんでこんな修行じみたことになってるのよ)
内心で思わずため息を吐いたディーズベルダの隣には、荘厳な白金のローブを纏った男の姿があった。
教皇――その人である。
教皇は、ベリルコートと見紛うほど整った美貌に、シルクのように滑らかな白髪をなびかせながら、端正な横顔をこちらに向けてきた。
その白衣には金の刺繍が施され、ただそこに立っているだけで、まるで神の使いのような存在感を放っていた。
「前に、突発的にあなたにテレパシーを飛ばしたのを覚えていますか?」
教皇はすっと手を胸元に当て、まるで授業のように穏やかな口調で尋ねる。
エンデクラウスは静かに目を開けると、顔を上げて頷いた。
「……はい。まるで、頭の中に直接声が届くような、あれですよね」
「そう、それです」
にこりと微笑んだ教皇の目が、わずかに鋭く細められる。
「実はあれ、あなたの中に微量な雷属性の素質があったからこそ、私の術式が届いたのです。
ですから今から――その属性を、私の力で引き上げさせていただきます」
その言葉に、ディーズベルダは思わず眉を寄せた。
(……え、さらっと言ってるけど、それってつまり、すっごく痛いってことじゃないの?)
「準備はよろしいですか? 全身に雷が走ったような痛みを伴うかもしれません」
そう続けた教皇に、エンデクラウスは微動だにせず、あくまで落ち着いた声で答える。
「構いません。死なないのであれば」
「ええ、大丈夫です。死んでも蘇生できますから」
――その一言で、中庭の空気がピシィッと凍った気がした。
「……いや、こわっ」
ディーズベルダは心の中で突っ込みを入れながら、苦笑いを浮かべた。
(……なんだか学園時代を思い出すわね……)
ふと思い出すのは、学生時代の決闘演習。
教師がにこやかに黒板を指しながら言っていた――
『本日は教会から、ベネツェーラ枢機卿が来てくださっています。致命傷や重傷を負っても、即座に蘇生してくださいますので、心置きなく戦ってくださいね〜♪』
(……あの時も思ったのよね。高位聖属性の人たちって、命を軽く見すぎてない……?)
心の中で肩をすくめているうちに、教皇がゆっくりと右手を掲げた。
指先に集まる、紫がかった電光。
空気がぴりぴりと震え、バチッ――と雷が走る音が空間を切り裂いた。
そして次の瞬間、教皇の手がエンデクラウスの肩にそっと触れた――
「……っ!」
バチバチッと音を立てて、雷の奔流が一気に彼の全身を駆け巡る。
まるで紫電そのものが体内へ突き刺さるように、光と衝撃が彼を包み込んだ。
エンデクラウスは歯を食いしばりながらも、ひとつも声を上げることなく、その場に静かに座り続けていた。
だが――
その姿は、あまりに艶やかだった。
雷光に照らされて浮かび上がる、引き締まった腹筋と滑らかな筋肉の稜線。
滲む汗が肌に沿って流れ落ち、光を受けて艶めかしく輝く。
その肉体美は、まるで神が造形した芸術品のように、完璧だった。
そして何より――表情。
眉間にうっすらと皺を寄せ、薄く開いた唇からは、耐えきれず漏れる吐息。
その息づかいはどこか甘く、息を飲むほど艶やかで……
まるで苦痛と快感が紙一重で混ざり合ったような、妖しい陶酔の色が浮かんでいた。
細く震える喉元から、かすかなうめき声が洩れ――
それがまた、抑え込んだ感情をかえって露わにするようで、背筋がぞくりとするほど色っぽい。
雷が走るたびにビクン、と肩が震え、全身の筋肉が収縮するたび、彼の身体は美しい余韻を伴って輝きを放つ。
苦悶の中に垣間見える、甘やかな陶酔――
それは、見ているだけで胸の奥が熱くなるような、抗いがたい色気だった。
(……あー、はいはい……)
ディーズベルダは思わず天を仰いだ。
(汗まみれで必死に耐えてる姿とか、ちょっと泥臭くて庶民的な絵面を期待してたのに……)
「クラウ。あなたのパパは、何をしても絵になりすぎて……ほんっと、むかついてくるわ」
完全にあきれ声だった。
イケメン補正って、ほんとずるい。汗かいても、歯を食いしばっても、美しさが上乗せされるだけって、なにそれ反則。
膝の上のクラウディスを抱き直しながら、ディーズベルダは深々とため息をついた。
――と。
その瞬間、クラウディスがきゅっと彼女の服の裾を握り、小さな声でぽつり。
「ま"ま"……?」
その瞳はうるうると潤み、まるで“パパがママに嫌われた!?”という衝撃を受けたような顔で見上げてくる。
(……いや、ちがうちがう。そうじゃないのよクラウ)
一瞬で「ガーン!!」という擬音が見えるような表情になった我が子に、ディーズベルダは慌てて微笑んだ。
「……大丈夫。ママは、ちょっとだけ拗ねてるだけよ。むかつくくらい格好いいからね」
そっとクラウディスの額に口づけながら、ディーズベルダは再び、雷光に照らされる夫の美しすぎる横顔を見つめた。




