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164.魔物産シルク

朝の空気は、どこかシャキッとしていて背筋が伸びる。

大きな窓から差し込む光が、書類の山に覆われた机をやわらかく照らしていた。


そんな執務室の一角で、ディーズベルダは昨夜仕上げた資料を丁寧に揃え、真っ直ぐに教皇――小林 昌のもとへと歩み寄った。


「こちら、昨日まとめた着物の素材と製法に関する資料です」


銀髪がさらりと肩に流れ、彼女は貴族らしい優雅な所作で、一式の書類を差し出す。


受け取った教皇は、それを丁寧にめくりながら目を見開いた。


「ありがとうございます……。これは、すごいですね……」


思わず声を漏らすその顔には、まるでおもちゃを与えられた理系の少年のような輝きが宿っていた。


「それで、少し提案があるのですが――」


教皇は一呼吸おいてから、なにやら気まずそうに咳払いをした。


「……うんと昔にですね、特別なシルクの糸を都合よく吐き出す魔物を、私……作ったことがありまして」


「…………」


沈黙。完全な沈黙である。


ディーズベルダは一瞬、聞き間違いかと耳を疑ったが、教皇の真剣な表情は嘘をついているようには見えなかった。


「え、あの、“魔物”って……その、“ぐわぁー!”とか言うような……?」


「まぁ、そんな感じです」


「そんな軽く言われても……!」


目を丸くするディーズベルダ。だが、教皇は涼しい顔でさらりと続けた。


「でも、非常に優秀なんです。生み出す糸は、刃物を通さず、高温でないと燃えません。繊維としては最高レベルです」


「…………」


凄まじい性能だ。けれど「魔物が出す」という一点が、やはりいろんな意味でネックすぎる。


「ただ……魔物が相手なので、見つかったら面倒なことになります。地下で飼育するしかなさそうです」


「……あ、うん。それは、そうですね……」


もはや突っ込む気力もなくなったディーズベルダは、半ば呆れたように苦笑しつつ肩をすくめた。


「許可なんていりませんよ。教皇様のものなんですから」


「そう言ってもらえると助かります。機織り機も、錬成しておきますね」


「えっ、まさかそれって……けっこう最新式のやつですか?」


思わず身を乗り出すディーズベルダに、教皇は少し得意げに頷いた。


「はい。魔力を消費しますが、魔石があれば問題なく稼働します。なので……電源部分だけ、お任せしてもよろしいでしょうか?」


「えぇ、もちろんです!うちのシルクが格段に量産できるようになりますわ!」


頬を輝かせながら、ディーズベルダは勢いよく立ち上がった。その様子は、まるでプレゼントを貰った子どものようにわかりやすい。


「ただ……問題が一つだけあってですね……」


教皇はすこしだけ苦笑しながら、視線を横へ流す。


「機織り機、めちゃくちゃ重いんです。なので……エンデクラウス殿を少し鍛えたいんですが、よろしいでしょうか?」


「……えぇ!? なにその面白い展開!!」


ディーズベルダは勢い余って椅子からずるっと腰を滑らせそうになりながら、爆笑をこらえるように口を押さえた。


すると――その場の空気を読んでいたのか、もしくは偶然か――部屋の隅にいたエンデクラウスが、ゆっくりと書類を置きながら咳払いをした。


「コホンッ……ディズィ? 俺をなんだと思ってるんですか?」


紫の瞳が、じとっとディーズベルダを見つめる。だが、その表情に怒りはない。むしろ、どこか呆れたような、でも楽しんでいるような……そんな複雑な微笑が浮かんでいた。


(この美麗極まりない男が、筋肉痛で汗だくになってるとこ……想像したら、笑えてきちゃうんだけど……!)


ディーズベルダは、内心で顔を覆って笑い転げる自分を懸命に押しとどめた。


そんな中、教皇が改めて尋ねる。


「……よろしいですか?」


エンデクラウスは一拍置いて、静かに頷いた。


「俺は構いませんよ。強くなるに越したことないですし」


その一言に、ディーズベルダは満面の笑みを浮かべた。


「ふふっ。じゃあ、がんばってね、旦那様?」


「……いっそ、その笑顔が恐ろしいですよ、妻殿」


「それじゃあ――」


ディーズベルダは机の端に資料を置き直すと、軽く指をトントンと叩いた。


「一旦、誰に飼育してもらうか決めないといけないわね。魔物となると……大変ね、やっぱり」


そう言いながら、表情は微妙に引きつっていた。

“繭を吐く魔物”なんて、言葉の響きからしてロクな想像ができない。


「ご心配には及びません」


教皇は落ち着いた声で答え、椅子の背にもたれながら、まるでありきたりな提案をするように微笑んだ。


「私が、例の装置を使えば――知性を持たせることが可能です」


「……さ、流石、装置の主ね……」


その口ぶりがあまりにもさらっとしていたので、思わずディーズベルダは乾いた笑いをもらす。


(……うちに住んでる教皇、もはや科学と魔術の境界を踏み越えてない?)


「はい、なので……そうですね」


教皇は軽く指を折りながら、具体的な計画を口にし始めた。


「三人ほど、世話係を用意していただければ良いかと。あまりに魔物を量産してしまうと、その後の管理が難しくなりますし……とりあえず、三匹程度にとどめておくのが良いでしょう」


「なるほど……」


うなずきながら、ディーズベルダは少しだけ考え込むように唇に指を当てた。

しかし、次の教皇の言葉にぴたりと動きが止まる。


「それと……魔物産のシルクは、身内専用にしておくと、後々とても便利ですよ」


その一言に、ディーズベルダの眉がピクリと跳ねた。


(……後々便利って、どういう意味?)


口には出さなかったが、その視線は自然とエンデクラウスへと向けられる。


彼は、いつものように落ち着いた様子で書類を片付けていたが――その指がわずかに止まり、ふぅと軽く息を吐いた。


「……身内以外に広く出回ってしまうと、いざという時に“厄介な防具”になるからです」


ゆるやかに言葉を継ぎながら、エンデクラウスは椅子に体を預けた。


「刃も通さず、熱にも強い――そんな繊維でできた服を、もし敵が着ていたら、簡単に仕留めることができないでしょう?」


ディーズベルダははっと目を見開いた。


「……なるほど、そういう……」


「ええ。外に流通すればするほど、こちらが不利になる可能性が高まる。

それに、魔物由来だと知れば、神経質な王族や教会側が“調査対象”にしてくる可能性もある」


「……確かに、あのあたりは“見た目以上に保守的”だものね」


ディーズベルダは苦笑しながらうなずく。

エンデクラウスは、何気ない風を装いながらも、視線を窓の外へ流した。


「だからこそ、“手に入れる価値はありますが、簡単には出回らない”という立ち位置にしておくといいでしょう。

……扱いに困るほどの高級品、というのは、時に最良の盾にもなります」


その口調に嫌味や皮肉はなく、ただ静かで、理にかなっていた。


(……ほんと、頼りになるわ)


もう全部任せたくなるくらい、冷静で的確で。

考えるのを放棄した私を、何も言わず受け止めてくれるなんて――

やっぱりうちの旦那様、スパダリすぎてずるいわ。

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