162.神話級カップル爆誕
その後──
教皇とベリルコートは王都に立ち寄り、グルスタント王へ謁見を果たす。
形式的な手続きを経て、ベリルの“婚姻”はあっさりと認可された。
いや、もはやそれは“通知”に等しかった。
こうしてベリルコートは「アイスベルルク」の姓を離れ、
神格視される教皇の“伴侶”という新たな立場を得たのだった。
再びペガサスに乗って空を駆ける帰路。
眼下に、ルーンガルド家の紋章が描かれた馬車を見つける。
「──寄っていきましょうか」
教皇の一声で、ペガサスがゆるやかに降下し、
静かに馬車の屋根を叩くように着地する。
車内では、ディーズベルダとエンデクラウスが一瞬驚いた顔を見せるが──
すぐに落ち着いた様子で迎え入れた。
馬車の中で、教皇とベリルコートは
“ゲルセニアでの出来事のすべて”を語った。
愛と決別、そして新しい始まり。
静かな車内には、誰も軽はずみな言葉を挟まず──
ただ深く、重く、その報告を聞き届けた。
沈黙が一度落ち着いたその瞬間。
「──いや、そうはならないでしょう!?」
ディーズベルダが思わず立ち上がりかけるようにして叫んだ。
「それが……そうなってしまったのです」
教皇は苦笑しながらも堂々と答える。
決してふざけているわけではない、けれど自覚はあるのだろう。
この展開の異常さに。
「お、お兄様……正気なの……!?」
ディーズベルダが振り返った先、ベリルコートは恥ずかしそうに目を伏せ、
顔をほんのり赤く染めて、ぽつりと呟いた。
「……はい……」
その一言に、車内の空気が再びぐらつく。
「……はぁ……」
ディーズベルダは、深く息を吐いた。
何もかもが想定外すぎて、怒ることもできない。
その横で、エンデクラウスが静かに肩をすくめる。
「まぁ……愛し合っているなら、良いじゃないですか」
「よくないわよ!! いや、いいの!? 教皇様が……そういう趣味だなんて、予想外すぎて……」
「面目ありません」
教皇は淡々と、しかし少し照れたように答える。
「ですが……私は、ベリの“人間性”を愛してしまったので」
「……っ、あ……」
突然名前を縮めて呼ばれたことで、ベリルの顔がさらに真っ赤になる。
「愛……だなんて……」
頬を手で隠しながら、熱のこもった声を漏らすベリル。
そんなふたりを見ていたディーズベルダは、眉をぴくりと跳ねさせた。
(べ、ベリ……って……呼んでるし……!)
どこか遠くに行ってしまった兄を思いながら、小さく嘆息する。
その空気を断ち切るように、エンデクラウスが教皇をまっすぐ見据えた。
「──教皇殿。今日のご用件は、それだけではないですよね?」
「……はい」
教皇の表情が引き締まる。
「ゲルセニア帝国には、もはや王はいません。
あの国は、今や頭を失った国家です」
教皇は少し間を置いてから、静かに続けた。
「時間はかかるでしょうが……私は“記憶の操作”を使って、
生き残った人々一人ひとりの記憶を書き換え──
彼らを、ルーンガルドへ受け入れようと考えています」
その言葉に、車内の空気が、再び静まる。
「どう思われますか?」
「──国ではなく、“人”を引き取るという発想ですね」
エンデクラウスは静かに頷きながら言葉を継いだ。
「正しい判断かと。
統治に“王”は要りませんが、生活には“秩序”が要りますから」
一拍の間を置き、視線を教皇へと向ける。
「ちなみに……どうして“記憶操作”まで?」
それは、単なる合理の範疇を越えた決断だった。
教皇は少し目を伏せたあと、ゆっくりと語り始める。
「……ゲルセニア帝国の民は、“増えても減ることのない存在”です」
「私がかつて、あの女帝──カトレアに“永遠”を与えたように、
国民の多くにも“不老不死”の力を与えていた」
「彼らは“私を討てば解放される”と、
その約束を信じて、数百年……」
言葉の端々に、痛みと後悔が滲む。
「……生きるために戦い続けさせられていたのです。
選択の余地もなく、ただ“死”を願いながら」
そして、顔を上げてベリルコートの手をそっと取る。
「だからこそ──残された時間だけでも、
せめて“真っ当な人生”を歩ませてやりたいのです。
記憶の中に苦しみや呪いが残るのなら、それを消してしまいたい」
その眼差しには、かつての神ではなく──
ひとりの“贖罪を背負う男”の静かな決意が宿っていた。
その言葉を黙って聞いていたエンデクラウスが、ふっと口を開く。
「──丁度、かなり人手不足に悩まされていたところでしたので」
さらりとそう告げて、懐から小さな書類の束を取り出す。
「歓迎します。むしろ、都合がいいくらいですよ」
「我がルーンガルド領の現住民の多くは、
元は各地の名もなき貧民──身分も家もなかった者たちばかりです。
ですから、過去の記憶が薄まった人間を受け入れる下地は、すでに整っている」
その声は穏やかだが、抜かりはない。
「それに……」
地図を指先でなぞるようにして続けた。
「領地全体のうち、開拓が済んでいるのは、まだ三割から四割程度。
広大な未開地が残っており、耕作地・居住区・水路すべてにおいて、
まだまだ余力があります」
「必要であれば、適切に村を分散させて配置し、年齢・技能に応じた職の斡旋、医療班の巡回設置まで、段階的に受け入れを進められるでしょう」
エンデクラウスは書類を一度閉じ、静かに言い切った。
その声は変わらず淡々としていたが、
そこに滲む実行力と冷静さには、誰もが納得せざるを得なかった。
教皇はそれを聞いて、ふっと微笑む。
「……頼もしいですね、さすがルーンガルド領主殿」
その柔らかな称賛に、エンデクラウスはわずかに頭を下げる。
だが隣でそのやり取りを聞いていたディーズベルダは、心の中でため息をついた。
(まぁ、そうね。これで深刻だった人手不足は一気に解決するわ。
……でも、まさか……)
ちら、と隣のベリルコートに視線をやりながら、彼女は続ける。
(お兄様……この大陸の“神”まで魅了しちゃうなんて)
ベリルは教皇の横で大人しく、でもどこか楽しげに笑っている。
(私は見慣れすぎてるせいか、なんとも思わないけど……
やっぱりお兄様の美貌って、毒なのよね。甘くて、危険な)
そんな中、教皇がぽんと手を打った。
「──あぁ、そうだ。大事なことをひとつ忘れていました」
「え?」
皆の視線が集まる中、教皇はなぜか真面目な顔で問いかける。
「夫人。……“着物”というものを、もちろんご存知ですよね?」
「えぇ、もちろん。私は元・日本人だったもの」
少し不思議そうに答えるディーズベルダに、教皇は頷いた。
「よかった。実は──ベリのために、何着か作らせようと思いまして。
型紙や仕立て方、縫製工程など……あなたのチート能力で引っ張ってきていただけませんか?」
「えっ……着物を……お兄様に……!?」
ディーズベルダは思わず兄をちらりと見た。
しかし──
「どんなものか分からないけど、僕のことなら気にしないで。彼のためなら……ドレスだって着るさ」
ベリルコートは微笑みながら、さらりと言ってのけた。
その言葉に、ディーズベルダは背筋を凍らせかける。
その昔、社交にも出ず、ひたすら部屋に籠っていた引きこもりの兄。
(まさか……この人が、あの引きこもり癖の塊だったお兄様を、ここまで……!?)
軽いめまいを覚えつつ、ディーズベルダは再び深く溜息をついた。
けれどその表情は、どこか呆れながらも──ほんの少し、微笑んでいた。




