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16.王道トイレを忘れていた。

最果ての荒れ地。


王国の誰もが見捨てたこの土地は、一見すると名前の通りの荒れ果てた大地に見える。

しかし——


魔王城の先には、広大な畑が広がっていた。


城の周囲は鬱蒼と茂る木々に囲まれ、外部からは何も見えない。

けれど、その先へと進むと、一変して整然とした農地が姿を現す。


見渡す限りの農地は、まるで最初から計画されていたかのように区画整理が行われ、規則正しく畝が並んでいた。


「これ、本当に最果ての荒れ地……なのかしらね。」


ディーズベルダは、畑を見渡しながらぽつりと呟いた。


たった一ヶ月前までは、不毛の地だった場所。

それが今では、人が住み、作物が育ち始め、"新たな領地"としての姿を形作りつつある。


住居についてはまだ発展途中で、現在は小屋程度の仮住まいが数件立ち並んでいる。


何しろ、まともな家を建てるには木材の確保、加工、乾燥、それらの工程を踏まなければならない。

少なくとも、ちゃんとした家を建てるには数ヶ月は必要だった。


それでも——


「……なんとか、形になってきたわね。」


最果ての荒れ地に来て、はや一ヶ月。


人々の手によって土地は耕され、植林が進み、荒れ地だった場所は少しずつ"人が住める環境"へと変化してきていた。


そして——


新たに分かったことがある。


聖なる光を宿したランタンを苗木の側に置くと、翌日には完全に成長しきっている。


最初は誰も気づかなかった。

それが発覚したのは、ある騎士が居眠りをしてしまったことがきっかけだった。


◇◆◇◆◇


「申し訳ありません、旦那様……!」


ランタンの管理を任されていた騎士が、青ざめた顔でエンデクラウスに報告したのを覚えている。


「ほぅ。つまり、ランタンを本来の場所に戻す前に、その場で寝てしまったと?」


エンデクラウスは、いつもと変わらぬ冷静な声で問いかけた。

騎士は縮こまりながらも、素直に頷く。


「はい……それで、目が覚めたら、苗木がすっかり大樹になっていたのです。」


その話を聞いて、最初は皆が半信半疑だった。


「……ランタンの光で、植物が急成長?」


だが、実験してみると、それは事実だった。


聖なる光を発するランタンの側に苗木を置いて一晩放置すると、翌日には大きな木になっていたのだ。


この"奇跡"のような現象を活かし、ディーズベルダたちはさっそく魔王城の奥の広大な畑を隠すために利用することにした。


木々を一つ一つ植えるのでは時間がかかる。

しかし、このランタンを使えば——


一晩で広大な森林を作ることができる。


そして、それは計画通りに成功した。


◇◆◇◆◇


ディーズベルダは、魔王城の上から新たに生まれた森林を見下ろした。


「……すごいわね。」


荒れ果てていた土地が、たった一晩で森へと変わっている。


木々が密集し、農地を完全に覆い隠していた。

外から見れば、そこには何もない"ただの森"が広がっているようにしか見えないだろう。


(これで、しばらくは王家や貴族たちの目を欺ける。)


まだこの地が発展途中である今、余計な干渉を受けるのは避けたい。


王や貴族がこの地を視察に来たとしても、畑は密林に覆われていて見えない。

農作業のために内部に入るのは住人だけ。

この場所がただの"未開拓の地"として認識されている限り、外部の者が関心を持つことはないだろう。


「エンディの"モンスターウェーブ"の設定といい、私たちの土地は着実に守られているわね。」


ディーズベルダは、満足げに微笑み、深く息をついた。


一ヶ月前には考えられなかった風景が、今、彼女たちの目の前に広がっていた。

しかし、開拓が進むにつれ、新たな問題も浮かび上がる——。


「ティズィ、ちょっといいですか?」


不意にかけられた声に、ディーズベルダは振り返る。

そこには、いつものように落ち着いた表情のエンデクラウスが立っていた。


「なぁに?」


ディーズベルダが問い返すと、エンデクラウスは軽く顎に指を添え、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。


「……ベトベトしていて、ぷるぷるしている……そんなモンスターをご存知ですか?」


「……え?」


突然の言葉に、ディーズベルダは目を瞬かせる。

その奇妙な表現を頭の中で反芻しながら、ふと考えた。


(ベトベトしてて、ぷるぷる……? そんなモンスター……)


「見たことはないけど、ここにいたの?」


エンデクラウスは静かに頷いた。


「はい。あれは意思を持たないようですが、恐ろしいモンスターです。だいたいのものは数時間で溶かしてしまう。」


「溶かす……?」


ディーズベルダの思考が一気に回転する。

そして、はっと気づいた。


「あぁ……もしかして、スライムのことかしら!」


「スライム……という名があるのですね。」


エンデクラウスは、その名を反芻するように呟く。


「で、そのスライムがどうかしたの?」


彼女が尋ねると、エンデクラウスは涼しい顔のまま、さらりと答えた。


「ガードローブの……つまりトイレの底に置いておけばと思って。」


「……はっ!」


ディーズベルダは衝撃を受け、思わず手を打った。


「どうしてそんな王道なこと、今まで思いつかなかったのかしら!?」


貴族の住まいにはガードローブ——いわゆる水洗トイレに似た設備があった。

しかし、ここは最果ての荒れ地。

住民が増えたことで、"トイレ問題"は深刻になっていたのだ。


(なるほど、溶かして処理すれば衛生的にも問題が減る……!)


「むしろ、王道すぎて忘れてたわ……。」


ディーズベルダはため息をつきながら、すぐさま机に広げていたノートに手を伸ばした。


魔物コマンドの記されたノートを開き、装置に入力する。


「さて……スライムを錬成、と。」


——ゴゴゴゴゴ……!!


装置が反応し、内部の魔力が渦を巻くように輝き始めた。


青緑色の光が淡く浮かび上がり、その中心からゆっくりと何かが出現する。


(出た……!)


錬成されたものが現れる装置の上に、ぷるぷると揺れるゼリー状の生物が姿を現した。

見た目は透き通るような淡い緑色。


……確かに、噂に聞いたスライムそのものだった。


「あぁ、間違いありません。これです。」


エンデクラウスが満足そうに頷く。


「実は昔、こいつを持ち帰って、こっそりガードローブの底に入れてあるんですよ。」


「……」


「……」


「……は?」


ディーズベルダの顔がピクリと引き攣る。


(え、もう実験済みだったの!?というか公爵家のトイレに!?)


驚きのあまり、言葉が出なかった。


エンデクラウスは至極当然のことのように、淡々とした口調で続ける。


「思った通り、不要なものは数時間で溶かしてくれました。……まぁ、何も問題なく機能していますよ。」


(えぇ……!?エンディってやることが大胆だわ。)


ディーズベルダは呆然としながらも、心の中で(まったくもう……!)と小さくため息をついた。


「……まぁ、確かに最適な活用方法よね。」


納得せざるを得ない。


「ティズィ、危ないので下がって。」


エンデクラウスが慎重に手袋をはめ、寸胴鍋を準備する。

そして、ゆっくりと装置の上のスライムをすくい上げた。


ぬるり、とした感触が手袋越しに伝わる。


スライムは危険な生物ではあるが、意思は持たず、ただ存在しているだけだ。

逃げる素振りもなく、抵抗することもない。


寸胴鍋の中へ、そっと収める。


鍋の底でじっとしているスライムは、ぷるぷるとわずかに揺れた。


ディーズベルダは、その様子をじっと見つめる。


「……意外と可愛いわね。」


そう呟くと、エンデクラウスが真剣な表情でスライムを注視しながら、きっぱりと言った。


「可愛くても危険な生物ですから、油断は禁物ですよ。」


「わかってるわよ。」


ディーズベルダは軽く肩をすくめる。


(とはいえ、これが最果ての地の衛生環境を改善する最適な方法だなんて……異世界転生者の私でも、考えもしなかったわ。)


寸胴鍋の中のスライムを蓋でしっかり封じると、エンデクラウスは満足げに頷いた。


「ありがとうございます。何度か往復してきます。」


「助かるわ。」


ディーズベルダは感謝しながら彼を見送った。


彼は寸胴鍋を抱え、悠々とした足取りで部屋を後にする。

その後ろ姿を見送りながら、ディーズベルダはふと考えた。


(まさか、魔王城で新たな"スライム式トイレ"が生まれるとはね……。)

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