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159.凍る帝国

──眩しい光に、瞼の裏がうっすらと染まった。


「……ん……」


ベリルコートはゆっくりと目を開ける。

朝日が昇り始め、空が金色に染まりかけていた。


自分の体が、柔らかい何かに包まれているのを感じる。

ほんの少しだけ目線をずらすと──


教皇の胸元に抱かれていた。


彼の腕が、穏やかに背を支えていた。

ペガサスの背の上、その体温はまるで毛布のように暖かくて──

つい、眠ってしまっていたらしい。


「……あ……。僕、すみません……。いつの間にか……」


教皇は柔らかな笑みで彼の言葉を遮るように答えた。


「おはようございます。そろそろ、到着しますよ」


ベリルがその言葉に促され、視線を前へ向ける。


その瞬間、思わず息をのんだ。


眼下には──

どこまでも続く銀白の大地。

そして、その境界に築かれた巨大な防壁。

それを越えた先に広がっていたのは、雪に沈んだ、まるで凍りついた時間の国。


「こ……これが……」


「はい。ゲルセニア帝国です」


言葉の響きに、凍てついた空気が重なるようだった。


ペガサスは音もなく、城のような建造物の上空に降りていく。

ゆっくりと羽ばたきを緩めながら、石畳の上に静かに着地した。


ベリルが少し身を強張らせると、教皇が優しく腰に手を添えた。


「大丈夫です。降りられますか?」


「……はい」


ペガサスの背から降り立ったベリルは、辺りをきょろきょろと見渡す。

どこもかしこも、雪と氷に閉ざされ、空気すらも音を凍らせていた。


教皇は前へ進み、城の扉に手をかざす。


魔力がほのかに揺れた。


「……火属性の魔力で……」


扉の表面がじわりと温まり、凍りついた縁が溶けていく。

やがて“ギィ……”と重たく、扉が開いた。


中は、外よりもずっと静かだった。


雪は届いていないのに、そこには常に冷気が漂っていた。

空気の粒子そのものが凍りかけているような、そんな錯覚。


「ベリ、寒くはないですか?」


教皇が横を向きながら訊ねると、ベリルはふわりと微笑んだ。


「いえ。僕、氷属性なので……

このくらいなら、むしろ心地良いくらいです」


「……それは良かった」


少しだけ笑みを浮かべる教皇。

けれどその目は、奥深くに何かを隠しているようだった。


二人は慎重に、奥へと進んでいく。


その先で彼らが見たものは──

城の中で“凍ったまま”の人々だった。


立ったままの兵士。

手を伸ばし、今まさに逃げ出そうとしたような商人。

食堂らしき空間では食卓を囲んだまま動かない、人々。


まるで世界そのものが──

一瞬のうちに、時ごと封じられたかのような光景。


「……僕の妹は……本当に、とんでもない魔力を持っているようですね……」


ベリルの声が震える。

目に見えるものの壮絶さに、思わず息が詰まっていた。


「……全くですね。ですが……」


教皇は横顔のまま、ベリルを見やった。


「……あなたも、“本気”を出せば──これくらいできるのでは?」


「………どうでしょうか……」


少し肩を落としてベリルが呟く。


「僕、学園も……満足に通えていませんでしたから……

魔力はあっても、コントロールができないかもしれないです……」


どこか自信なさげに、苦笑するような声だった。


だがそのとき、教皇は、迷いのない声で答えた。


「では、いずれ……私が、教えてさしあげましょう」


──廊下の奥へ進めば進むほど、光が減っていく。


魔力灯すら凍りついているのか、通路の天井から吊るされた光源はどれも死んだように沈黙していた。

白く霞んだ吐息がふたりの間に漂い、氷の回廊をただ靴音だけが反響する。


「……実のところ──」


教皇が口を開いた。


「古代には“氷属性”というものは存在しなかったのですよ」


その言葉に、ベリルは小さく目を見開いた。


「……そう、なのですか?」


「ええ。属性とは本来、純粋なもの。火、水、雷、地……そして、聖と闇」


静かにそう語りながら、教皇は手をかざした。

その掌の上に、ふわりと水の球体が浮かぶ。


「……ですが、人が交わり、血が混ざり合い、時代が幾層にも重なる中で──

新たな系統が枝分かれして生まれたのです。これは、私の個人的見解ではありますが……」


教皇の声が少し低くなる。


「古代に存在した“闇属性”と“水属性”が、特定の系譜でうまく交わった結果……

“氷属性”が形成されたのではないかと、そう思っております」


「闇属性……」


ベリルは呟くように、震える声で言った。


「……本で読んだことがあります。とても邪悪な魔法で、

……架空の話だと、ずっと……」


教皇はその反応に微かに微笑む。


「邪悪、とは……人がそう定義したにすぎません。

もっとも、“変化をつける”なら──闇が適している。応用性が高いんです」


そう言って、教皇は浮かべた水球の周囲を指でなぞる。


するとその外周に黒い靄のようなものが現れ、静かに水を包み込んでいく。


やがてその球体は──

キィィ……という淡い音を立てながら、透明な氷へと変化した。


「……っ……!」


ベリルは思わずそれに見入っていた。

氷の球体の中には、小さな銀の光が瞬き、

まるでひとつの世界が封じ込められているようだった。


「教皇様は……多くの属性をお持ちなのですね」


「……ええ、まぁ」


淡く笑ってそう答える教皇の口調は、あくまで謙遜に満ちていたが──

その瞳には、知識と時を重ねた者特有の“虚無”がにじんでいた。


(……最初の人間、ですからね)


心の中でだけ、そう呟いた。


やがて、目の前に大きな扉が現れた。


凍てついた金属の重たい扉。

その表面には、帝国の紋章が埋もれていた。

吹きつけた風と時間が、厚く氷を重ねている。


教皇は片手をかざし、掌からゆっくりと魔力を送る。

火属性の力が穏やかに流れ出し、扉の縁をじわじわと溶かしていった。


しばらくして──

重い音と共に、扉がゆっくりと開く。


その先に広がっていたのは──玉座の間。


天井は高く、広さは王宮のそれに勝るほど。

だが、すべてが凍りついていた。


絨毯は霜で白く変色し、壁の彫刻には氷の華が咲き乱れ、

空気は息を吸い込むのも痛いほど冷たい。


その奥。


階段を上がった玉座の段に──

杖を手に、ひとりの人物が、立っていた。


凛とした立ち姿。

白く長い髪は、風ひとつない空間でなお、流れる氷の彫像のように凍りついたまま、

それでも──どこか、生きた気配を孕んでいた。


その目は閉じられたまま、まるで“眠りながら立っている”ような気配。


──それでも、確かに存在している。


「……カトレア……」


教皇の声が、かすかに震えていた。


長い時の果てに、ようやく辿り着いたその名を──

彼は、胸の奥から、祈るように呼んだ。


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