表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

155/188

155.それでもいいと思えたから

「僕……ここ数日、教皇様と一緒に過ごして……決心がついたんです」


そう口にしたベリルコートは、少し照れたように視線を伏せながら、それでもはっきりとした声で言葉を続けた。


「教皇様となら、僕……親になれる気がします」


ふわりと微笑むその顔は、まるで聖歌隊のような清らかさを帯びていた。


教皇は、その言葉に対してゆっくりとまばたきをし──


内心では盛大に頭を抱えていた。


(いや、そんなに頑張らなくても、錬成で子どもは“出来てしまう”んですが……)


(むしろ、あなたの精神的決意にかかわらず、私は素材と魔力さえあれば、即、理想的に育つ知識と特性を持った子を作れるのですが……!?)


──だが、口に出せるわけもない。


「そ、そうですか……良く、決心してくださいましたね」


作り笑顔と共に、苦し紛れの返答を返す。


(……子ができたら、一旦中央神殿に戻って……距離を置こう)


やや遠い目をしながらそう思っていた教皇に、ベリルコートはふっと柔らかく笑って、こう言った。


「……教皇様の中には、きっと、ずっとカトレアさんの存在が消えないのだと……僕は思っています」


その一言に、教皇の表情がわずかに揺れた。


「……それは……」


驚きと戸惑いが交差する。


“カトレア”という名が口にされた瞬間、まるで長く眠っていた箱の蓋を静かに開けられたような気がした。


だが、ベリルは首を横に振り、微笑みを崩さなかった。


「……良いんです。

だからこそ、僕は──男のままでいることに決めました」


静かな、でも確かな宣言だった。


「なので、ひとつだけ……ワガママを言ってもいいですか?」


教皇は、息をひとつ呑みながら頷いた。


「なんでしょう……?」


「子供を、二人……作りませんか?」


「………………え?」


思わず目を見開く教皇。


「ひとりだと……きっと、その子は早くに教会へ行ってしまって。

僕のもとから、遠くへ行ってしまう気がして……。

だから……二人。兄弟なら、きっと離れずにいてくれる……そんな気がして」


震えるような声ではない。けれど、そこには確かな“孤独”への恐れが込められていた。


教皇は、ゆっくりと姿勢を正した。


「……それは……。

ですが……あなたに、恋人ができたらどうするおつもりですか?」


やわらかく問いかけながらも、彼の声にはほんのわずか、掠れるような苦味が混じっていた。


「その恋人に、その子を育てさせるおつもりですか?」


ベリルコートは、一瞬きょとんとして──


しかし、すぐに、そっと微笑んだ。


「僕は……もう誰とも、結婚するつもりはありません」


その言葉に、教皇は目を伏せた。


「いいえ、そんなことはありませんよ」


小さく、だがはっきりとした声で告げる。


「私は不老の身です。

過去に妻を得て……そして死別し、もう二度と誰も愛さないと心に誓いました。

……それでも私は、何度も“再婚”をしてきたのです」


静かに、記憶をなぞるように言葉を紡ぐ。


「人は、誰かを求めてしまう。

どれだけ孤独に慣れようとしても──

愛する人は、必ずまた……現れてしまうものなんです」


ベリルは、その言葉にぐっと目を伏せた。

まつ毛の影が頬に落ちる。

けれど、そのすぐあと──まっすぐに顔を上げた。


瞳は震えず、まるで一筋の祈りのように澄んでいた。


「……なら、ついでに僕に……教皇様の“時間”をいただけませんか?」


「……時間?」


教皇は反射的に聞き返した。


ベリルは、ゆっくりと言葉を選ぶように、しかし確かな意志で続ける。


「何も、必ず“男女”でいなければならないというわけではないでしょう?

結ばれる形がどうであれ──僕は、あなたの長い時間の中に……

ほんの少しだけでいい、“僕”を置いていただけませんか」


教皇は……言葉を失った。


さすがに想定外だった。いや、もはやすべてが想定外だった。


(なぜ、こんな展開に……!?)


額にうっすらと汗がにじむ。

視線を逸らすように、クラウディスの落とした玩具を拾い上げながら、

教皇は猛烈な勢いで思考を回した。


“距離を置くつもり”だったのに──

“子どもを二人”という要求にさえ折れそうだったのに──

今度は、“人生の一部”を願われている。


(……どう考えても、これ……感情の“告白”なのでは?)


困惑しかない。ほんとうに困惑しかない。


──だが、ふと。


先日聞いた、ベリルコートの幼少期の話が脳裏によぎった。


親に道具のように扱われ、家の名を背負わされ、

“美”という外殻だけを称賛され、心の中には誰からも触れられず──

ようやく、自分で見つけた“温もり”にすがるような今。


(……ここで、壊せば……)


(きっと、この人は、もう立ち直れなくなってしまう)


わかってしまった。だから──突き放せなかった。


「……仕方ありませんね」


ようやく出た言葉に、ベリルがぱっと顔を上げた。


「……っ、教皇様……!」


瞳が希望に満ちて、光をたたえている。

その姿を見て、教皇は少しだけ目を伏せた。


(……ああもう……本当に……)


「……ですが、こちらからも──条件があります」


ベリルがすっと姿勢を正す。


「なんでしょう?」


「もし、あなたが今後──“愛する女性”と出会った場合」


教皇は、いつになく静かな声音で言葉を紡いだ。


「……そのときは、子どもは教会で引き取り、あなたの記憶を操作し、

私との時間を──あなたの中から消し去ります」


ベリルは目を見開いた。


「……それでもいいのなら。

子どもは二人、そして……あなたが望む限り、私の側にいることを許しましょう」


言い終えたとたん、ベリルの目が潤み──そのまま飛びつかんばかりに手を取られた。


「教皇様っ……!! はいっ! はいっ!! ありがとうございますっ!!」


泣き笑いのような顔で何度もうなずくその姿に、

教皇は……ただただ、呆然とするしかなかった。


(……完全に……根負け、しました……)


自分でも驚くほどあっさりと、覚悟の崩壊を感じながら、

教皇は椅子にもたれ、小さく息を吐いた。


そして──天井を見上げて、遠い目をする。


(……さて、これを夫人にどう説明したものでしょうか)


人生最大の難題が、またひとつ増えた気がした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ