155.それでもいいと思えたから
「僕……ここ数日、教皇様と一緒に過ごして……決心がついたんです」
そう口にしたベリルコートは、少し照れたように視線を伏せながら、それでもはっきりとした声で言葉を続けた。
「教皇様となら、僕……親になれる気がします」
ふわりと微笑むその顔は、まるで聖歌隊のような清らかさを帯びていた。
教皇は、その言葉に対してゆっくりとまばたきをし──
内心では盛大に頭を抱えていた。
(いや、そんなに頑張らなくても、錬成で子どもは“出来てしまう”んですが……)
(むしろ、あなたの精神的決意にかかわらず、私は素材と魔力さえあれば、即、理想的に育つ知識と特性を持った子を作れるのですが……!?)
──だが、口に出せるわけもない。
「そ、そうですか……良く、決心してくださいましたね」
作り笑顔と共に、苦し紛れの返答を返す。
(……子ができたら、一旦中央神殿に戻って……距離を置こう)
やや遠い目をしながらそう思っていた教皇に、ベリルコートはふっと柔らかく笑って、こう言った。
「……教皇様の中には、きっと、ずっとカトレアさんの存在が消えないのだと……僕は思っています」
その一言に、教皇の表情がわずかに揺れた。
「……それは……」
驚きと戸惑いが交差する。
“カトレア”という名が口にされた瞬間、まるで長く眠っていた箱の蓋を静かに開けられたような気がした。
だが、ベリルは首を横に振り、微笑みを崩さなかった。
「……良いんです。
だからこそ、僕は──男のままでいることに決めました」
静かな、でも確かな宣言だった。
「なので、ひとつだけ……ワガママを言ってもいいですか?」
教皇は、息をひとつ呑みながら頷いた。
「なんでしょう……?」
「子供を、二人……作りませんか?」
「………………え?」
思わず目を見開く教皇。
「ひとりだと……きっと、その子は早くに教会へ行ってしまって。
僕のもとから、遠くへ行ってしまう気がして……。
だから……二人。兄弟なら、きっと離れずにいてくれる……そんな気がして」
震えるような声ではない。けれど、そこには確かな“孤独”への恐れが込められていた。
教皇は、ゆっくりと姿勢を正した。
「……それは……。
ですが……あなたに、恋人ができたらどうするおつもりですか?」
やわらかく問いかけながらも、彼の声にはほんのわずか、掠れるような苦味が混じっていた。
「その恋人に、その子を育てさせるおつもりですか?」
ベリルコートは、一瞬きょとんとして──
しかし、すぐに、そっと微笑んだ。
「僕は……もう誰とも、結婚するつもりはありません」
その言葉に、教皇は目を伏せた。
「いいえ、そんなことはありませんよ」
小さく、だがはっきりとした声で告げる。
「私は不老の身です。
過去に妻を得て……そして死別し、もう二度と誰も愛さないと心に誓いました。
……それでも私は、何度も“再婚”をしてきたのです」
静かに、記憶をなぞるように言葉を紡ぐ。
「人は、誰かを求めてしまう。
どれだけ孤独に慣れようとしても──
愛する人は、必ずまた……現れてしまうものなんです」
ベリルは、その言葉にぐっと目を伏せた。
まつ毛の影が頬に落ちる。
けれど、そのすぐあと──まっすぐに顔を上げた。
瞳は震えず、まるで一筋の祈りのように澄んでいた。
「……なら、ついでに僕に……教皇様の“時間”をいただけませんか?」
「……時間?」
教皇は反射的に聞き返した。
ベリルは、ゆっくりと言葉を選ぶように、しかし確かな意志で続ける。
「何も、必ず“男女”でいなければならないというわけではないでしょう?
結ばれる形がどうであれ──僕は、あなたの長い時間の中に……
ほんの少しだけでいい、“僕”を置いていただけませんか」
教皇は……言葉を失った。
さすがに想定外だった。いや、もはやすべてが想定外だった。
(なぜ、こんな展開に……!?)
額にうっすらと汗がにじむ。
視線を逸らすように、クラウディスの落とした玩具を拾い上げながら、
教皇は猛烈な勢いで思考を回した。
“距離を置くつもり”だったのに──
“子どもを二人”という要求にさえ折れそうだったのに──
今度は、“人生の一部”を願われている。
(……どう考えても、これ……感情の“告白”なのでは?)
困惑しかない。ほんとうに困惑しかない。
──だが、ふと。
先日聞いた、ベリルコートの幼少期の話が脳裏によぎった。
親に道具のように扱われ、家の名を背負わされ、
“美”という外殻だけを称賛され、心の中には誰からも触れられず──
ようやく、自分で見つけた“温もり”にすがるような今。
(……ここで、壊せば……)
(きっと、この人は、もう立ち直れなくなってしまう)
わかってしまった。だから──突き放せなかった。
「……仕方ありませんね」
ようやく出た言葉に、ベリルがぱっと顔を上げた。
「……っ、教皇様……!」
瞳が希望に満ちて、光をたたえている。
その姿を見て、教皇は少しだけ目を伏せた。
(……ああもう……本当に……)
「……ですが、こちらからも──条件があります」
ベリルがすっと姿勢を正す。
「なんでしょう?」
「もし、あなたが今後──“愛する女性”と出会った場合」
教皇は、いつになく静かな声音で言葉を紡いだ。
「……そのときは、子どもは教会で引き取り、あなたの記憶を操作し、
私との時間を──あなたの中から消し去ります」
ベリルは目を見開いた。
「……それでもいいのなら。
子どもは二人、そして……あなたが望む限り、私の側にいることを許しましょう」
言い終えたとたん、ベリルの目が潤み──そのまま飛びつかんばかりに手を取られた。
「教皇様っ……!! はいっ! はいっ!! ありがとうございますっ!!」
泣き笑いのような顔で何度もうなずくその姿に、
教皇は……ただただ、呆然とするしかなかった。
(……完全に……根負け、しました……)
自分でも驚くほどあっさりと、覚悟の崩壊を感じながら、
教皇は椅子にもたれ、小さく息を吐いた。
そして──天井を見上げて、遠い目をする。
(……さて、これを夫人にどう説明したものでしょうか)
人生最大の難題が、またひとつ増えた気がした。




