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151.微笑みの裏に牙を

王城を後にし、用意された馬車に乗り込むと、

ディーズベルダは小さく息を吐いて座席に腰を下ろした。


扉が静かに閉まり、空間がふたりきりになる。


しん……とした沈黙の中、対面の座席には、腕を組んでじっと窓の外を睨んでいるエンデクラウスの姿があった。


無言。笑わない。微動だにしない。


──明らかに機嫌が悪い。


「……気分が最悪です」


ぽつりと、エンデクラウスが呟いた。


その一言は、ただの不快の吐露ではなかった。

長年連れ添った夫婦であるからこそ、ディーズベルダにはわかる。


それは本気で、心の底から“最悪”なのだと。


(……えっ)


一瞬、言葉が出なかった。


(え……ちょっと待って……エンディが、私の前でここまでしっかり不機嫌になったことなんて……)


思い返しても、彼がここまで感情を隠さず“苛立ち”を見せたことはほとんどなかった。


眉間にはしっかりと皺が寄り、足はきちんと組まれているのに、膝の角度がやや強め。

手の組み方も、いつもの優雅な構えより、微妙にきつく握られていた。


(こういう時って……どうすればいいのかしら……)


謝るべき? でも、私が悪いの? いや、悪いのはコーリックでは?

でも、でも……手を取られたのは確かに私で……っ!


視線を右へ、左へと泳がせながら、ディーズベルダは内心大混乱。


そんな彼女の戸惑いなどまるで知らないかのように、エンデクラウスは低く静かに告げた。


「このまま、領地へ帰りましょう」


声音は静かだったが、その落ち着きが逆に、不機嫌さをくっきりと際立たせていた。

まるで表面だけを取り繕った氷のように、ひび割れ寸前の冷たい圧が滲んでいる。


ディーズベルダは、正面に座るエンデクラウスの表情をそっとうかがい、困ったように小さく首を傾けた。


「うん……でも……」


言いにくそうに目を泳がせながら、彼女はそっと両手を膝の上に重ねる。

そして──すっ、と上目遣いで彼を見上げた。


「……エンディの機嫌は、どうすれば……治せるの?」


一瞬、馬車の中の空気が凍った。


エンデクラウスは、視線を窓の外に向けたまま、なぜか返事をしなかった。

そして、わずかに眉をしかめたまま──一呼吸置いて、ぼそりと呟いた。


「…………やっぱり……一泊していきましょうか」


「え?」


ディーズベルダの目が大きく開いた。


(え? さっき帰るって言ってたじゃない。急にどうして?)


まるで何がどうして変わったのか分からず、彼の顔を凝視する。


だがその直後、エンデクラウスは目を閉じ、小さく首を振った。


「……いや、一刻も早く帰らねば……」


「えぇええ!? どっちなの!?」


本気で困惑するディーズベルダ。思わず身を乗り出しかけるが、そのタイミングで──


「コンコン」


馬車のドアが、外側から軽くノックされた。


エンデクラウスがぴくりと眉を動かし、「なんだ」と少しだけ刺々しい声で返すと、

扉越しに騎士の声が続いた。


「ディバルス様が、お顔を出せとのことです」


その一言に、空気が凍りついた。


エンデクラウスの顔に、ふっと影が差す。


「…………チッ」


小さく舌打ち。


あからさまに、顔の端がぴくりと引きつっている。


ディーズベルダは、そんな夫の様子に思わず思った。


(こっわ……! こんなエンディ、見たことないんですけど!?)


そして、エンデクラウスは深く一呼吸おくと、口調だけはやわらかく──だが、瞳は笑っていなかった。


「ディズィ、すみません。やはり王都に、一泊しなければいけなさそうです」


「え……えぇ、じゃあ、私も一緒に──」


「いえいえ、ディズィの目に、あんな“汚物”を見せるわけにはいきませんから」


いつもの穏やかな微笑を浮かべていた。

──けれど、それは“抑えた怒り”が濃密に混じった、極めて危険な微笑だった。


(…………自分の父親を“汚物”呼ばわり……!?)


エンデクラウスは席を立ち、静かに扉を開けた。


その直前、いつものやわらかな声で振り返る。


「行ってきます、ディズィ。すぐに戻りますので」


「……えぇ」


ディーズベルダは、うなずきながらもその背中を見送った。


──そして。


再び馬車の中に、一人きりになる。


エンデクラウスが姿を消してからも、ディーズベルダはしばらく黙っていた。


そして、ゆっくりと目を閉じ、車内の座席に背を預ける。


(……まぁ、理解はできるかも)


窓から差し込む夕日に、長い睫毛の影が落ちる。


(私も、両親と今でこそ“仲良さげ”にしているけど──

あれは、私の財力があってこそ成立している、ただの“家族ごっこ”)


彼女の心の奥には、今でも忘れられない記憶があった。


──冷たく突き放された幼少期。

──兄たちと共に、耐え抜いた暗い時代。


どれだけ笑顔を見せられても、どれだけ今の関係が“穏やか”に見えても。

その傷が癒える日は、まだ──来ていなかった。


(……エンディも、そうなのかもしれないわね)


そう思ったとき、窓の外の風景が、ゆっくりと変わり始めていた。

石畳の振動がわずかにやわらぎ、車輪の音が緩やかになっていく。


──馬車は静かに、王都のルーンガルド邸へと到着していくのだった。

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