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140.戦いの歴史

戦場から少し離れた場所。

そこには、地属性魔法で構築された貴族専用の“休息地”があった。


見上げるような石造りの建物の壁面は、太陽の光を受けてきらきらと輝いている。

素材の一部にはなんと金属、特に金が使われており、まるで移動式の王宮のような風格さえ漂わせていた。


中へ一歩足を踏み入れると、空気はひんやりと涼しく保たれており、戦場の焦げた匂いとは無縁の世界が広がっている。


そんな中、ベインダルはふと隣を歩く少女に視線を落とした。


「リセ、魔法を使うなよ。魔力も練るな」


唐突な忠告に、エンリセアはぴくりと肩を震わせる。


「なっ……! わ、わかってますわよ……っ」


言葉ではそう言いつつも、口元には引きつったような笑みを浮かべていた。

しかも、怒り筋が額に一本くっきりと浮いている。


(この男……婚約してからというもの、わたくしへの遠慮も配慮も、どこかへ置き忘れてしまったようですわね……)


そんなことを内心でぶつぶつと呟きながら、エンリセアは不機嫌そうに横目で彼を睨んだ。


しかし──


「言ってる側から……」


ベインダルはため息まじりに呟くと、次の瞬間、彼女の体をひょいと軽々と抱き上げた。


「なっ……!?」


目をぱちくりとさせながら、エンリセアの体がふわりと宙に舞う。


「ここは金属でできた建物のようだからな。お前の魔力では溶けかねない」


その一言は、まるで事務的な報告のようだった。


けれど、耳元でさらりとそんなことを囁かれては、頬が自然と熱くなる。


(う……っ、この男……!)


運ばれるようにして部屋へ入ると、ベインダルはそのまま立ち止まる。


そして、抱き上げたままの状態で、ほんのわずかに指先を動かした。


シュウゥ……ッ。


その動きに反応するように、床の一部が白く染まり、まるで波紋が広がるように氷が形成されていく。

たった一本の指から放たれた冷気が、滑らかで優美な椅子の形を造り上げていく様は、芸術品のようだった。


「っ……」


エンリセアは、思わず息を呑んだ。


(この人、本当に……魔力の繊細な制御がずば抜けてますわ……)


ベインダルは何事もなかったかのように、その氷の椅子へ腰を下ろすと、膝の上に彼女をそっと座らせた。


「なっ……な、なぜそこまでしますの……?」


思わず目を逸らしながら、頬を赤らめて呟くエンリセア。


それでも、体は彼の膝の上でしっくりと収まってしまっている。

自分でもなんとなく安心してしまっているのが、悔しい。


「無理して……大人の真似事をしなくていい」


ベインダルはそう言いながら、ふと彼女の髪に触れた。


(……わたくしは、もうすぐ17歳。この男にとって、“子ども”に見えるのかしら)


けれど、そんな疑問はすぐに胸の内で打ち消される。


エンリセア・アルディシオンは十六歳。

たしかに年若い。だが、王国一の名門令嬢として育ち、貴族としての作法も知識も、誰よりも学んできた。

淑女としての誇りも、魔力の理論も、誰にも劣っているとは思っていない。


(わたくしは……この男の隣に、すでに立っているつもりですわ)


だからこそ、ふと口を開いた。


「……ベインダル様。どうして、この地は……いまだに戦争を続けているのですか?」


穏やかな問いかけ。

けれどその瞳は真剣だった。


ベインダルは、少しだけまばたきをして、エンリセアを見下ろす。

そして、氷のように澄んだ声で問い返した。


「何? アルディシオン公爵家では、教えられていないのか?」


「ええ……教えられたのは、魔力の扱いと王国の歴史くらいですわ。

戦争のことは、“遠くの誰かの話”としてしか語られませんでした」


エンリセアの言葉には、わずかな苛立ちが混じっていた。


(国の未来を担う者に、なぜこうした現実を伝えないのか……)


ダックルス辺境地。

この場所こそが、王国で唯一、いまだ戦火の只中にある領地。

けれど、他の貴族たちにとっては、どこか遠い、絵空事のように語られている。


本当の現実を知るのは、ごく一部。

“当主”という重責を背負う者のみだった。


ベインダルは少し目を細めた後、ふっと息をつきながら口を開いた。


「……ふむ。馬鹿力だから男かと思っていたがな」


「なっ……!?」


エンリセアの額に、瞬時に怒りの筋が浮かぶ。


「……っ! ふ、ふんっ……!」


睨みつけるように顔を背けながらも、瞳には小さく揺れる羞恥と苛立ちが混ざっていた。


ベインダルは、それに動じることもなく、氷のように静かに続けた。


「魔力を練るな。阿呆」


その一言に、エンリセアの頬がカッと赤く染まる。


(ぐ……っ、落ち着きなさい、エンリセア・アルディシオン……わたくしは王国一の淑女ですわ……っ)


ぐっと奥歯をかみしめ、気品を装いながらベインダルの膝の上で姿勢を正す。


そんな彼女の様子を横目に見ながら、ベインダルはやがて話し始めた。


「……いつの代か、教会にいた一人の教皇が、弟子を取った」


語りはじめた声は、まるで古い物語を読み聞かせるようだった。


「その弟子は、やがて教皇の中で最も優れた才を持つ“一番弟子”になった。だが──その才と魔力ゆえに、やがて教皇に背いた」


「……っ」


「そいつは国を築き、かつての師である教皇に牙を剥いた。

そして、今なお──教皇を憎み、攻撃を続けている。それが、敵国ゲルセニアの始まりだ」


ベインダルの言葉に、エンリセアは息を呑む。

それは教科書にも載っていない、血と誓いの裏側の歴史だった。


「けれど……王国にとって、教皇は必要な存在。

国の均衡を保ち、結界を敷き、魔力の流れを調整する唯一の存在だ。だからこそ、王国は教皇を“守らねばならない”立場にある」


彼の言葉には、一切の飾りがなかった。

それゆえに、重く、深く、心に突き刺さる。


「でも……でしたら……」


わずかに首を傾けながら、瞳をまっすぐに彼へと向ける。


「ゲルセニアは、他の国を通って……そこから我が国を攻めればよろしいのではなくて?

わざわざこのダックルス辺境地を正面から叩く必要など、ないでしょう?」


問いかけは、論理的で的確だった。

思考は冷静、かつ理にかなっている。さすがはアルディシオン公爵令嬢──


だが、ベインダルは淡々と首を横に振る。


「……その“他の国”にも、教皇を守る弟子がいる」


「……え?」


「教会は──唯一、どこの国にも属さない組織だ。中立であり、全国家に均等な監視と庇護を求める存在。

そして、教会は“大陸全土”に、強力な結界を敷いている。

その結界がある限り、他国を通って王国に攻め込むのは難しい」


説明するその声に、苛立ちや怒りはなかった。

ただ事実を、冷ややかに、そして僅かに疲れたような口調で語る。


「……隣接するこのダックルス辺境地だけが、その結界の“外縁”に直接接している」


ベインダルは視線を窓の方へ移し、外に広がる荒野のような風景をぼんやりと眺めた。


「だから……この地だけが、“壁”として戦っている。

我が国のすべての平和は、この辺境地が“割に合わないこと”を請け負っている上に成り立っているんだ」


その言葉に、エンリセアは言葉を失った。


重たい沈黙が、金属と石でできた部屋に広がっていく。

魔法で冷やされた空気が、肌に触れてひんやりと感じられたのは、室温のせいだけではない。


彼の表情は、いつもと変わらず無表情に近い。

だが、よく見れば──目元に、ほんの少し、憂いのようなものが滲んでいた。

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