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139.焦熱の乙女と氷の騎士

――遡ること、数日前。


ここは、ダックルス辺境地──戦火にまみれた最前線。

空はどんよりと濁り、地鳴りのような音が絶え間なく耳を打つ。

そして、大地を囲むように、幾重にも張り巡らされた巨大な土の防壁があった。


その中心に立つのは、地属性魔法を操る名門・ダックルス家の血を引く戦士たち。


「……くっ。もう度目だ……。」


ひとりの貴族が、額に汗を浮かべながら呪文を詠唱し、またひとつ防壁を築き上げていく。

その姿はまるで、終わりのない土木作業に追われる職人のようで──もはや誇りなど捨て去らなければ務まらぬ戦場の現実がそこにあった。


しかし──


ドォン!!


爆音とともに、土壁の一角が砕け飛んだ。

敵国の兵士たちが、裂け目から一斉に雪崩れ込んでくる!


「させるか」


冷ややかな声が、割れた隙間に響く。

次の瞬間──


キィィィン……!


大気が凍りつき、氷柱が空から何本も何本も降り注いだ。

それはまるで、空が怒りをぶつけたかのような、苛烈な氷の雨だった。


「……チッ。妹の言葉を借りるなら、まるでモグラ叩きだな……」


防壁が破られた瞬間に現れたのは、銀髪をなびかせる男──

氷魔法の名門貴族、ベインダル・アイスベルルク。


淡々と呟きながらも、彼の瞳には凍てつくほどの殺気が宿っていた。


再び防壁が築かれるが──

次に現れた敵は違っていた。燃え上がるような紅蓮の衣を纏い、火属性の魔法をまとった魔導士たちがこちらへ迫ってくる!


「来ましたわね……!」


ベインダルの隣に立つのは、紅いリボンを翻しながら気高く構える少女。

彼の婚約者であり、アルディシオン公爵令嬢──エンリセア。


その瞳が怒りに燃え上がった瞬間、彼女の掌には、灼熱の炎が灯った。


「酷いですわ!あんまりですわ!わたくし、婚約旅行だと聞いておりましたのに!」


叫びと同時に、紅蓮の業火が敵の軍勢を焼き尽くしていく。

空気が震え、周囲の温度が一気に上がった。爆風とともに敵兵たちは吹き飛ばされ、再び土壁が築かれる。


「少なくとも……私はそのつもりだが?」


横からベインダルが平然と告げる。


「どこがですの!? こんな戦地につれてきて!しかも、敵国の奴らが“不死身”だなんて聞いておりませんわ!!」


エンリセアは怒りの火花を纏いながら、敵へと更なる魔炎を放つ。


ベインダルは、迫る敵兵を氷の剣で刺し貫きながら静かに告げる。


「怖気づいてここへ来なくなる貴族が多いからな。……秘密にされている」


「令嬢を戦地へ送るその神経を疑いますわ!!」


その怒りと同時に放たれた炎が、敵の火属性魔法を上回り、戦場に紅い嵐を巻き起こす。


「何を今更……。お前は何年私を追いかけ回し、その愛らしい唇で私への愛を紡いできたんだ?

全てを愛しての行動ではなかったのか?」


ベインダルは静かに語りながら、氷の鎖で敵兵を拘束し、動きを止めていく。


「……ああいえばこういいますわね!!」


エンリセアの頬がほんのり赤く染まりながらも、怒りのままに更なる業火が炸裂した。


だが──


そのとき、地面がぐらりと揺れ、突然防壁が崩れ落ちる。


「っ……不味いな」


ベインダルの声が一気に鋭くなる。


「もぉぉぉぉぉぉぉ!!! 我慢なりませんわ!!!」


激情を燃やすエンリセアが、頭上に両手をかざす。炎が渦を巻き、巨大な火球が空に現れる。


「おい、何をする気だ!」

「獄炎の業火に焼かれて、大人しくしててくださいまし!!」


戦場の空に、灼熱の太陽のような火球が浮かび上がる。


ベインダルがすぐに前線の味方に向かって叫んだ。


「全員、避難しろ!! 一気に来るぞ!!」


兵たちは慌てて後退し、直後──崩れた防壁の隙間から、敵の大軍がなだれ込んでくる!


その瞬間を見計らい、エンリセアが叫んだ。


「燃え尽きなさい!! 愛の怒りを知りなさいませぇぇぇっ!!」


彼女が腕を振り下ろすと同時に、巨大火球が火の鳥のように唸りを上げて戦場へと落ちていく。


次の瞬間──


爆音と熱風が、戦場のすべてを覆い尽くした。


地が裂け、風が焼かれ、熱風が周囲をなぎ払っていく。

防壁の向こうにいた敵軍は、逃げる間もなく火の海に呑み込まれ、絶叫すら燃え尽きて消えた。


あたり一帯に、ただ燃え上がる音だけが残る。


「……なんてパワーだ……」


ダックルス家の魔法兵たちが、口をぽかんと開けたまま、目の前の惨状に言葉を失う。

中には、唾を飲み込むことさえ忘れた者もいた。


だが、感傷に浸っている暇などなかった。


「驚いている暇はない。防壁を再構築しろ」


氷の冷気を纏った声が、鋭く空気を裂く。

ベインダルが鋭く指を突き出し、即座に指示を飛ばした。


「は、はっ!」


魔法兵たちが慌てて駆け出そうとした──だが、足が止まる。

火球が直撃した地帯は、灼熱の焼け跡を残し、赤く脈打つように地面が今なお熱を持っていたのだ。


一歩でも踏み出せば、足元から焼かれてしまう。

炎は消えたが、その“残り火”はなおも牙を剥いていた。


ベインダルはすぐに状況を察すると、手をすっと掲げた。


「仕方ないな……」


冷気が舞う。

彼の指先からは、まるで雪の結晶が舞うように繊細な氷が広がっていく。


ひとひら、またひとひらと落ちるたびに、焼けた地面が音もなく冷却されていく。


その技は、ただの氷魔法ではない。

温度調整と氷の形状制御を極限まで緻密に計算された“精密冷却”だった。


やがて、赤く焼けた大地が徐々に白く変わり始める──だがそのとき。


「う……ああっ……!」


「し、聖騎士様!? おい、これは……火傷!? まさか……残り火が!?」


その声に、ベインダルがすぐに振り返る。

視線の先には、炎の余波に巻き込まれた五人の聖騎士たちが、苦しげに地に伏していた。


彼らの鎧の一部には、エンリセアの火球によって残された魔炎の名残が、淡く纏わりついていた。


(……やはり、威力が強すぎたか)


「急げ、冷却する!」


彼はすぐに駆け寄り、ひとりひとりの体から残り火を丁寧に氷で冷却し始める。

だが、あまりにも急いだその手は、熱に焼かれ、指先に赤い痕が浮かび始めていた。


「おい、やり過ぎだ……!」


エンリセアに向かって、怒りではなく困惑混じりの声で呟いた。


だが、彼女はむすっと頬を膨らませたまま、ツンとそっぽを向く。


「ふんっ。戦場へわたくしを連れてきたのがいけないのですわ」


「戦地へも連れて行きたいほど、片時も離れたくないという私の気持ちが……わからないようだな」


氷のような口調とは裏腹に、どこか真剣な響きを含んだ言葉だった。


「なら、わたくしに戦闘指示を出さないでくださいまし!」


睨みつけながらも、また火花が散りそうな勢いで彼に噛みつくエンリセア。

二人の言い合いは、もはや戦場では恒例行事のようになりつつあった。


だが──


「……っ! 敵軍、全滅確認!」


「復活には時間がかかるはずです! いまのうちに態勢を整えましょう!」


副官たちが急ぎ報告をあげる。

先程の火球が与えたダメージは絶大で、敵国の兵士たちは骨も残らぬほど焼き尽くされ、魔法の復活術も効果が出るには時間を要する状態だった。


それを確認したベインダルは、一度ちらりと、先ほど負傷した聖騎士たちに目を向ける。

治療を受けながら苦しむ彼らの姿が視界に入ると──


(あの聖騎士たちに火傷を負わせるとはな……。凄まじい威力だ)


心の奥底で、ほんの僅かに感嘆が漏れた。


「リセ。休憩に戻るぞ」


声をかけながらも、表情は変わらない。ただ、軽く手を差し伸べるように動いたその仕草に、優しさが滲んでいた。


「むぅぅぅぅぅぅ!!」


エンリセアはまだ膨れっ面のまま、肩を怒らせて彼に背を向ける……が、結局、その後ろをしぶしぶついていった。


文句を言いつつも、足取りは彼と同じ速さで。


互いにぶつかり合いながらも、けして離れない。そんな二人だった。



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