136.子供が欲しい
魔王城一階、執務室。
広げられた大地の地図の上に、丁寧な筆致で新たな地形が描き加えられていた。
教皇は落ち着いた手つきで線を引きながら、柔らかな声で説明を添えていく。
「こちらに、山を作りました。そして、このあたりには鉱山があります。鉄分の多い地層ですので、採掘の価値もあるかと」
「なるほど……」
地図を覗き込みながら、エンデクラウスは真剣な眼差しで頷いた。
指先で示された地形の構造に視線を走らせ、思考を深く巡らせていく。
「ちなみに……この“魔石”ですが──」
彼は懐から一つの石を取り出し、教皇の前にそっと置いた。
「これは……あの装置でしか作れないものなのですか?」
教皇はその石を指先でつまみ、軽く光にかざしてみせた。
「はい。これは、私の固有能力による“錬成装置”で生み出した特殊なものです。
自然界には存在しない……この地では、採取は不可能でしょう」
「そうですか……」
エンデクラウスの表情は少しだけ曇り、唇を引き結んだ。
「これがどれほど持続するのか……ご存知ですか?」
「おおよそですが──二年、でしょうか。魔力が尽きるまで、安定して動力を供給してくれますよ」
「二年も!? 長すぎない?」
思わず身を乗り出していたのは、ソファに腰かけていたディーズベルダだった。
青い瞳を丸くして、魔石を凝視する。
「はい。これは、神が与えてくれた奇跡のような石ですからね。
私の装置でも、特定の“海域”でしか生み出せませんでした」
教皇の言葉には、少し懐かしむような響きがあった。
そんな大人たちの会話の横で──
クラウディスは一人、部屋の中をちょこちょこと駆け回っていた。
ころころと笑いながら、時折立ち止まっては、胸の前で手を組んでポーズを取り──
「せーのっ……!」
聖属性の光を、手のひらからふわりと放出して、見守るメイドたちの歓声を誘っていた。
「きゃ……クラウ様、まぶしい……!」
「ほんとに天使みたい……!」
あっという間に囲まれて、ほっぺたをぷにぷにされたり、抱きしめられたりと、完全に“囲い”状態。
ディーズベルダは苦笑しながらも、きっぱりとした声で呼びかけた。
「クラウ、他の人にその属性を使っちゃダメって言ったでしょ? わかった?」
クラウディスはぴたりと動きを止め、ほんの少し不満げに頬をふくらませた。
「……はーい」
トコトコと戻ってきて、ディーズベルダの足元にちょこんと座る。その姿があまりに可愛らしくて、思わず笑みがこぼれる。
そんな光景を静かに眺めていた教皇が、ふっと柔らかな声を落とした。
「……いいですね。子供というのは」
「え?」
不意にかけられた言葉に、ディーズベルダは軽く目を見張った。
教皇は静かな微笑を浮かべながら、クラウディスを目で追っていた。
まるで何か、遠い日々を思い返すように──どこか、寂しげな目で。
「久しぶりに、子を持ちたくなってきましたよ」
その呟きに──
「……妻はダメですよ」
エンデクラウスが即座に返し、言葉と同時にディーズベルダの肩をぐっと抱き寄せた。
軽く笑っているようで、目だけは冗談を許していなかった。
すると、教皇は軽く片手を胸元に添え、やや大げさに眉を下げて答えた。
「どうかご安心ください、ルーンガルド様。私は“教会”の代表にして、人を導く立場の者。
他人の妻を横取りするなどという、不徳な行いをいたすつもりはございません」
その物腰はあくまでも貴族らしく丁寧で、余裕を滲ませている。
しかしその言葉の奥には、ほんのりと「茶目っ気」のようなものが見え隠れしていた。
「それを聞いて、安心しました」
エンデクラウスは、ようやく緊張を解いたようにふっと息をつき、抱き寄せていた腕をそっと緩める。
「とはいえ──」
教皇は再び地図の方に視線を戻しながら、淡々とした口調で続けた。
「この地は非常に特別な場所です。魔王としての私のかつての拠点であり、今も尚、世界の要の一つと言っても過言ではありません。
その未来を託す存在を……いずれ“例の装置”で、私自身の手で生み出すつもりです」
「──え?」
「真面目な話ですよ。さすがに私自身の身体を用いるわけにはいきませんが、領民の中から、適性のある者にご協力いただければと。
男性でも女性でも構いません。遺伝子情報を少々いただければ、それで……」
その瞬間、執務室に静かな衝撃が走った。
「「それはダメです!!」」
ディーズベルダとエンデクラウスの声が、ほぼ同時に重なる。
二人の表情には、明らかな拒絶の色が浮かんでいた。
「……はい?」
教皇は、少しだけ目を見開きながらも、どこかとぼけたような反応を返す。
ディーズベルダは思わず一歩前に出て、両手を腰に当てながら言った。
「誰でもいいなんて、そんなの絶対にだめ。いくらなんでも無責任すぎるわ」
その隣で、エンデクラウスも静かに頷き、低く穏やかな声で続けた。
「教皇様。もしどうしてもというのなら、その候補は我々ルーンガルド側で選ばせてください。
装置の管理上、慎重に進めるべきですし……“あなたの子”であれば、なおさら、こちらも責任を持たねばなりません」
一瞬だけ、教皇の瞳が細くなった。
だがすぐに、ふわりと笑みが戻る。
「……なるほど。ごもっともですね。
ご夫妻の慎重さと責任感には、心から敬意を表します。では──候補者の選定については、そちらに一任しましょう」
その言葉に、ディーズベルダは小さく安堵の息を吐き、エンデクラウスはわずかに顎を引いて答える。
「ありがとうございます。それなら、我々も安心してお手伝いができます」
教皇は微笑を絶やさず、穏やかに頷いた。
「ええ。私は急ぎません。準備が整い次第、お声がけいただければ──
それにしても、本当にお似合いのご夫婦ですね。……あなた方のような“芯のある人間”に出会えて、嬉しい限りです」
そう語る教皇の声は、やはりどこか演者めいていて。
けれどその中に、確かに“本音”のような温度が感じられたのだった。




