133.地下二階
魔王城の地下、研究室の重たい扉がきぃ、と音を立てて開いた。
「懐かしいなぁ……私の固有能力の源、ここに来るのは久しぶりです」
教皇が目を細めながら、部屋の中心にそびえる“装置”を見つめた。
その視線には、懐かしさだけでなく、少しの哀愁すら滲んでいる。
「実はこの装置、増殖できるんですよ。でも、こんな危険なものをいくつも設置するなんて、正気の沙汰じゃありませんからね」
「それに……動力源に“海”が必要でして」
「海!?」とディーズベルダが思わず声を上げた。
「はい。装置を動かすエネルギーは、海水と海の生き物たち。それがなければ起動しない仕組みなんです」
「えっ……でも、海って……この城から数日もかかる距離にあるはずだけど?」
困惑するディーズベルダに、教皇はふっと微笑む。
そして彼は、装置の足元にある四隅の床板に目をやった。
「ここです」
カチリと足元のロックを外すと、隠されていた床板が軽やかに持ち上がった。
そこには、らせん状に深く続く“さらなる地下階段”が現れたのだった。
「えぇぇぇぇぇっ!?!?」
ディーズベルダの声が、研究室に響く。
「……知らなかったのですか?」
教皇が振り返って、首を傾げる。
「知らないわよっ!誰も教えてくれなかったし、床が開くなんて思わないでしょ!」
ディーズベルダが思わず前髪をかき上げる横で、教皇は淡々と階段を下り始めた。
「こ、これは見に行かないと…!」
ディーズベルダとエンデクラウスも後を追おうとしたそのとき──
「……ぱぱ、こわい……」
エンデクラウスの腕の中で、クラウディスが小さな声でつぶやいた。
その顔は少し青ざめていて、不安そうに父の服をぎゅっとつかんでいる。
「怖いか……よし、じゃあここでお留守番してるか?」
クラウディスはこくんと頷いた。
エンデクラウスは、そっとクラウを地面に降ろし、側にいたジャケルを振り返る。
「ジャケル、頼んでもいいか?」
「はい、喜んで。──さぁ、坊ちゃん、こちらへ」
ジャケルが優しく手を差し出すと、クラウディスは少し迷いながらも、その手をぎゅっと握った。
「いってらっしゃい、まま!」
「えぇ、すぐ戻るわね」
そう言って微笑み返すと、ディーズベルダは息を整えて階段を下りはじめた。
──そして辿り着いた地下空間は、まるで“異世界”だった。
どこまでも広がる巨大な空間。
床のほとんどは金属の足場で覆われ、その下には、ゆったりと波打つ海水のプールのような貯水槽が広がっていた。
天井からは無数の配管がぶら下がり、遠くで低く唸るような音が反響している。
排水管は幾重にも重なり、まるで巨大な迷路のようだった。
そのスケールと異様さに、ディーズベルダは思わず叫んだ。
「な、なんじゃこりゃああああああ!!」
声が響き、反響し、彼女の混乱を余韻のように引き伸ばした。
隣でエンデクラウスも、言葉を失ったまま、ただその光景を見つめていた。
教皇は静かに言った。
「……これが、私の“始まり”です」
その言葉に、ディーズベルダは思わず息を呑んだ。
それほどまでに、この地下空間は“人の手によるもの”とは思えないスケールだった。
「始まりって……こんなの、どうやって作ったのよ……」
ディーズベルダの呟きは、ただの疑問ではない。
驚愕と好奇心が入り混じった、半ば信じたくない気持ちの吐露だった。
教皇はちらりとエンデクラウスに目を向け、少しだけ声を低める。
「これは……夫人にだからこそお話しできる内容です。
正直、エンデクラウス様には刺激が強すぎるかもしれません。納得のいかない部分も多くあると思いますが……よろしいでしょうか?」
その問いかけに、エンデクラウスは一切ためらわず、はっきりと頷いた。
「構いません。妻さえ隣にいてくれれば、あとのことはどうでもいいので」
ディーズベルダは思わずその横顔を見上げた。
(さらっと怖いこと言ってない……?)
彼の言葉に少し背筋がぞくっとしたが、それは同時に、強く守られている安心感でもあった。
教皇は笑みを絶やさず、言葉を続けた。
「私は……今でこそ“教皇”ですが、もともとは──チート能力を与えられた、ただの一般人でした」
「……チートがあるなら、もはや一般人じゃない気もするけど……」
ディーズベルダは心の中でそっと突っ込みながらも、黙って続きを促した。
「私は全ての属性魔法を扱え、そして“カタログ”に載っているあらゆるものを錬成できるという固有能力を与えられていました。
それを活かして、最初にこの世界でやったこと──それが、“海の拠点”の建設だったのです」
「え……まさか、この大陸……埋め立て地?」
「そうですね。一部はそうです。
いくつかの属性魔法を融合させて、地中から土や岩盤を引き上げ、強化して成形したものです。
この拠点を起点に、少しずつ、世界を“創って”いったのです」
「じゃあ、本当に、ここって……海と、繋がってるのね。」
「はい。海に行かれたことは」
「えぇ。人工的な盛り上がりや、不自然な崖が見えたから、なにかあるなとは思っていたけれど……まさか、これの出入り口だったなんて」
「その通りです。地下の排水管は直接、海と繋がっています。
ただし、外から危険な生物──たとえばサメやクジラなどが入ってこないよう、魔力によるフィルターを設けてあります。
このプールのような海水タンクでは、魚は釣り放題ですよ」
「……なるほどね」
この広大な地下空間──まるで近未来の施設のような構造も、彼の“チート能力”あってのこと。
しかし、その根底にあったのは、やはり“サバイバル”と“遊び心”だったのだろう。
「やっぱり……すごいわね。規格外すぎて、笑うしかないわ……」
そう呟いたディーズベルダの声は、どこか呆れながらも、確かに感動していた。




