129.戦場へ向かう名家、そして教皇の影
会議卓に置かれた宝玉越しでも、その凛とした立ち姿と声の張りには、まるで冷気を帯びたような威圧感があった。
「ルーンガルド殿のご事情は、我らも重々承知しております。
ならば、我がアイスベルク家がその一部を肩代わりすること──決して吝かではございません」
場が一瞬、どよめく。
「我が身と、そして婚約者であるエンリセア・アルディシオン嬢、
二名をもって、ダックルス辺境地へ援軍として差し出す用意がございます」
その言葉は、静かでありながら明確な“誓い”として響き渡った。
会議の場が水を打ったように静まり返る。
王はゆっくりと、視線をベインダルから左へと向ける。
そこに映るのは、炎のような気配をまとう、アルディシオン公爵──ディバルス・アルディシオン。
「公爵。娘を戦場に送ること、そなたも異存はないと見るか?」
その問いに、ディバルスは一拍の間を置いた後、静かに頷いた。
「娘は己の意思で選んだ者と、共にあらんと願うならば。
我が家の名に誓い、その誓約を支持いたします」
それは──娘を戦場に送るというよりも、
アイスベルク家との“確かな絆”を、王の前で誓ったに等しい言葉だった。
再び、会議の場にざわりと小さな波が広がる。
「おぉ……アイスベルクとアルディシオンの直結か」
「名門同士が手を携えるとは、心強いな」
「さすがは氷と炎の名家。時代の変化を感じる」
そう、会議の空気は確かに変わり始めていた。
ルーンガルドに向けられていた、どこか冷ややかだった空気も──
“婚姻による絆”という古くからの伝統がもたらす安心感によって、自然と緩和されていったのだ。
映像越しにその様子を見ていたディーズベルダは、胸の奥で小さく息をのむ。
(お兄様……ありがとう……)
ベインダルの発言が、ルーンガルドの負担を肩代わりしようというものだとわかっても、
あの人らしく、言葉を選んで、自分の面子も、相手の体面も立てる形で表現してくれた。
それが、どれほどありがたいことか──彼女には痛いほどにわかった。
だが、同時に別の不安も膨らんでくる。
(でも……リセちゃんが戦場なんて、ほんとに大丈夫かしら……)
華やかで活発なあの少女。
兄ベインダルがしっかり守ってくれるとはいえ、戦場という現実は、絵空事とはわけが違う。
複雑に揺れる感情を隠しながら、ディーズベルダは会議卓の下でそっと拳を握りしめた。
だが、会議は止まらない。
淡々と、次の議題が読み上げられていく。
「次。魔導具運用のルール整備について──」
王都の官吏が声を上げると、映像に切り替わったのは、研究を担うパーシブルスト公爵家の技官だった。
「はい。今年に入り、ルーンガルドにて発掘された“魔石”が、国内流通に乗り始めております。
従来より高い魔力伝導率を持ち、極めて優秀な素材と確認されておりますが……」
その表情が少し曇る。
「同時に、魔導具との組み合わせによっては、暴走の危険があると確認されました。
特に未熟な工房、または技術者の扱いによって、小規模ながら爆発・火災などの事故が複数件……」
一瞬、会議の空気が重くなる。
(あ……やっぱり魔石の流通、まだ早かったかしら)
ディーズベルダは反省するように小さく息を吐いた。
だが、技官は「だからこそ」と言うように口調を強めた。
「よって、魔石を扱う際の魔導具登録制度の導入と、各領地での監査制度の創設をご提案いたします」
数名の貴族が頷く一方、ディーズベルダも小さく返答した。
「その点については、ルーンガルドとしても全面協力いたします。
魔石の質と特性についての文献も、必要であれば提出いたします」
その一言で、再び場の空気が穏やかさを取り戻す。
続いての議題は「留学生受け入れと技術交流について」。
マーメレン王国を含む周辺国から、魔道や工学を学びたい若者たちの往来が期待されており、
この件に関しては各貴族からも比較的好意的な反応が続いた。
(でも……私としては、人の流れが増えるとスパイのリスクも上がるのよね)
ディーズベルダは言葉にこそ出さなかったが、慎重に資料へ目を通していた。
そして──
「……最後に」
低く落ち着いた声が、会議室の空気を一変させた。
その声の主が映像に現れると、場の全員が一瞬、息をのむ。
白銀の光に包まれたような法衣を纏い、ゆるやかに手を組む人物。
教皇──王国教会の最高位、信仰の象徴とも言える存在であった。
その顔には、不自然なほどの若々しさがあった。
肌は透き通るように滑らかで、瞳は深い湖のように静かで澄んでいる。
にもかかわらず、言葉ひとつ、所作ひとつに宿る重厚さは、
長い年月を越えてきた者でなければ纏えないもので──
その存在は、まるで“人間”と“神の使い”の狭間にあるかのようだった。
名は未だ明かされておらず、年齢も素性も全てが謎に包まれている。
ただ、確かに今、その姿が映像越しに現れたのだ。
(……あれ? この人……どこかで……)
ディーズベルダは胸の奥がざわつくのを感じた。
「ルーンガルドの地に……祈りを捧げに赴きたい」
その言葉が落ちた瞬間、映像に映る貴族たちがいっせいに息を呑んだ。
空気が凍るような、沈黙。
「──なっ」
思わず声が漏れたのは、どこかの領主か、それとも議会役人か。
ディーズベルダもまた驚きに目を見開き、隣のエンデクラウスへ視線を送る。
彼も同様に、眉をひそめて小さく息を吸っていた。
「教皇陛下……まさか、直接……?」
映像越しに呟かれた声は、小さくても会議の中で鋭く響いた。
その問いかけに対し、教皇はゆったりと頷いた。
その仕草だけで、どこか空気が重くなる。
「ルーンガルドには、いまだ教会が存在せぬと聞いております。
祈りの場が必要でありましょう。
この機会に、小さくとも礼拝堂を建て、長期の滞在と共に“信の根”をおろしたく思います」
静かに、しかし揺るがぬ決意を込めたその宣言に──
会議の空気が、再びざわめき始めた。
「……教皇陛下が、地方へ滞在……?」
「これまで、中央神殿を離れたことなど……」
「本気なのか……?」
誰もが疑いの目を向けたが、教皇の落ち着いた眼差しと微笑は微動だにしない。
その様子に、さしもの王フィーサルドも、わずかに眉を上げた。
「教皇自らが、一領地に滞在するなど……前例がない」
誰もが、王の言葉に頷くように沈黙した。
しかし、教皇は静かに、そしてあまりにも自然にこう続けた。
「人の住まう地には、祝福が必要です。
それがどれほど遠く、厳しい地であろうとも」
その瞬間、まるで時間が止まったかのような静寂が会議を包み込んだ。
ディーズベルダの胸にも、言葉では表現しきれないざわめきが生まれる。
(本当に……ただの“祈り”のため?)
しかしその疑念に答えるように──
「……その心、否とは申さぬが──それほどの力を振るうのならば、ダックルス辺境地の戦にも手を貸してほしいものだな」
王は、あくまで軽口を装いながら、真意を探るように視線を投げかける。
教皇は、間を置かずに答えた。
「承知いたしました。数名の聖騎士を、ダックルス領へ派遣しましょう」
その瞬間、ざわっ──と貴族たちの映像が一斉に揺れた。
「……聖騎士が……? 教会が軍事に?」
「そんなこと、過去にあったか……?」
「いや……百年ぶりだと記録には──」
どよめきが渦を巻き、会議全体の温度がぐっと変わっていく。
王フィーサルドは、わずかに口元を歪め、満足げに笑んだ。
「……なるほど。そこまで本気か」
その言葉の裏に、“ならば良いだろう”という意味が込められていた。
(なにが……起きようとしてるの?)
ディーズベルダは、誰にも聞こえない声で心の中に問いかけた。
ただの「信仰」や「布教」にしては──あまりにも周到で、大胆すぎる。
そして何より……あの教皇の顔。
(もしかして……)