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125.遠くない未来の戦争に備えて

魔王城一階、執務室。

窓から差し込む午後の陽が、濃い木目のデスクを淡く照らしていた。


今日、主の席──その中心に座っているのは、ディーズベルダだった。


きちんと結い上げた銀髪に、書類を読む青い瞳。

キリッとしたその表情は、誰が見ても立派な“領主”そのものだった。


彼女は整然と並べられた封筒の束から五通を抜き取り、机の前で控えていた係の者に手渡す。


「これを、すぐに各地に届けてちょうだい」


「はっ、かしこまりました!」


係の者がぴしっと立ち、封筒を大切に持って執務室を出ていくのを見届けると──

近くの椅子に座っていたエンデクラウスが、軽く首を傾げた。


「……各領地に発注をかけるおつもりですか?」


「えぇ。今回は“外壁”の素材のこと。なるべく頑丈なものにしたくて」


ディーズベルダは手元の図面に目を落としながら答えた。

そこには外壁の設計案や資材リストが整然と並んでいる。


「……しかし、まぁ……グラニットとは、また豪勢な」


「ふふ、この城にも使われてる素材よ。

この耐久性と保存力は、もう実績が証明してくれてるわ」


エンデクラウスは、少しだけ目を細めた。


「ディズィ……また私財から、ですね?」


「もちろんよ。問題ないわ。

最近は領民たちの生活も安定してきたし、私財に頼らなくても今は回るわ」


「なら、俺も支援します。ちょうど良い機会ですし──外国からの調達も、俺が受け持ちますよ」


「……え?」


ディーズベルダは意外そうに顔を上げる。


「ディズィの苦手な“外国語”も、今はある程度扱えますから」


その言葉に、ディーズベルダは顔を引きつらせた。


「さ……流石ね……」


(はぁ……外国語……未だに記号にしか見えないわ……)


思わず内心でため息をつきながら視線を逸らす。

前世・日本人としての意識が抜けきらないせいか、異世界の筆記体系はアラビア語や呪文のようにしか感じられなかった。


そんな彼女の様子に気づいたのか、エンデクラウスはふと立ち上がると、書棚から世界地図を一枚抜き出し、

ディーズベルダの目の前に広げた。


「ここを見てください。左側、ここがルーンガルドの西端です。

このまま壁を真っ直ぐ伸ばすと──マーメレン王国と接触してしまいます」


「ん? そんなに近いの?」


ディーズベルダが地図の該当箇所に指を置き、目を凝らす。


「はい。実際には、国境線に明確な柵はなく、地形で区切られているだけです。

ただ、幸いなことに──マーメレンも“ルーンガルドのモンスター対策”として、壁を立て始めているようです」


「えっ、それって……」


「えぇ、逆手に取れるチャンスです。

彼らが壁を築く方向に合わせ、我々も領土の一部を“緩衝地帯”として譲ったような形で、壁を建てましょう。

実際には、あくまでこちらの都合での建設ですが」


「なるほど……あちらにとっても都合がいいから、問題にはならないと」


「その通りです。そして、遠くない将来……マーメレンと、この地は、衝突する可能性があります」


エンデクラウスの言葉は淡々としていたが、その奥にある覚悟は重く響いた。


「……えぇ……」


ディーズベルダは自然と指を握りしめていた。


(エンディが“戦争の可能性がある”っていうなら……

それは、現実として備えなきゃいけないってことよね)


ふたりは黙って地図を見つめた。


エンデクラウスはそのまま地図の右端に指を移しながら、続ける。


「こちらがベルンダウン側です。

こちらは、もともと城壁が何層にも張り巡らされていて、警戒も強化されています。

我々が新たに壁を築く場合は、既存の構造に沿う形で、このラインに──」


「そうね……じゃあ、エルキン村との中間にも出入り口を設けて、門番を置くとしましょう。

そのあたりを監視地点にしておけば、出入りも記録しやすいし」


「悪くない案です」


エンデクラウスの低く落ち着いた声が響く。


地図の上、交差するふたりの指先が、一瞬だけ触れ合った。

ディーズベルダは、そのわずかなぬくもりに小さく笑ってから、ふっと視線をずらしながら呟く。


「……にしても、ディルコフ……体がもつかしらね」


苦笑混じりの声だった。

虫の世話に始まり、建材の搬入管理、今度は外壁の建設まで。

頼りにしすぎているのは分かっている。でも、他に代わりが思いつかないのも事実だった。


エンデクラウスはその言葉に静かに頷いたあと、まっすぐな眼差しでディーズベルダに向き直る。


「……なら、彼には“一生遊んで暮らせるだけの給与”を与えましょう。俺の個人資産から支出します」


「──えぇ!?」


ディーズベルダは思わず身を乗り出して、目を丸くした。


「そ、それっていくらくらいの話になるの?」


「計算はまだですが、家一軒分では足りないでしょうね。

でも、それでもいい。彼には、それだけの価値がありますから」


エンデクラウスの声は、本気だった。

冗談めかした調子も一切なく、その表情からも、彼がどれだけディルコフの働きを評価しているのかが伝わってくる。


「……エンディって、本当、こういうところで太っ腹よね」


ディーズベルダは小さくため息をついた。

けれど、それは呆れでも否定でもない。むしろ、その優しさに心がじんわりとあたたまる感覚だった。


「でも、そうね……私も彼には感謝してる。誰よりも体を動かしてくれてるし、嫌な顔ひとつせずに。

私だったら、とっくに“無理です”って言ってるわ」


「ふふ、それを言うなら俺も同じですよ。

あなたのお願いだから、みんな必死についてきてくれているんです。……その中心に、ディルコフがいてくれることは、本当に大きい」


エンデクラウスの言葉には、静かな敬意が滲んでいた。


それを聞いたディーズベルダは、つい目を細めて、柔らかく笑みを深める。


「……でも、ほんと。楽しみだわ」


「……何がです?」


「大金を手に入れた時の、ディルコフの反応よ。ふふっ、きっと――」


椅子の背にもたれて、ちょっと上を見上げながら、ディーズベルダは想像をふくらませていく。


その横顔はどこか楽しげで、ほんの少し、いたずらっぽい。

次にどんな騒動が待っているのか──

その想像すら、今のふたりには心地いい時間だった。

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