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120.虫は大丈夫ですか?

ルーンガルドの畑に隣接した貯水層。

そこでは、エンデクラウスが水の魔力を操作しながら、広大な畑へ向けて水を引いていた。


その腕の中には、ぴょこっと抱っこされているクラウディス。

小さな指先を前に向け、真剣な顔で叫んだ。


「みじゅー!!」


それと同時に、エンデクラウスの指先から魔力が発動し、貯水層に勢いよく水が流れ込む。


「はい、上手ですよ、クラウ。いい魔力操作です」


「ふふふっ……」


ディーズベルダは少し離れた場所からその様子を見守りながら、ふわりと笑った。


(ほんの少し前まで、“みぅ”だったのに……)


クラウは「水」の発音がうまくできず、ずっと「みぅ」と言っていた。

でも今日ははっきりと「みじゅー!」と叫んでいる。


(子どもって、成長が早いなぁ)


しかも──昨日はあんなにエンディにやきもちを焼いて大泣きしていたくせに、

今日はもう、何事もなかったかのようにパパにベッタリだ。


「フフ……気づいてますか? ディズィ」


「ん? なに?」


エンデクラウスが穏やかに口を開いた。


「クラウの歯、とうとう十六本になったんですよ」


「えぇ!? もう!?」


思わず声を上げて駆け寄るディーズベルダ。


エンデクラウスがクラウの口元を指で優しくなぞると、クラウは「へっへー」と自慢げに笑った。


「はい。今朝確認したところ、しっかりと生え揃っていました」


「なんだか感動しちゃう……。ちゃんと育ってるんだね、クラウ……」


ディーズベルダは愛しさで胸がじんわりと熱くなりながら、クラウの頬をそっと撫でた。


「よし、クラウ。水出しはこれでおしまいだぞ」


「おわーり!」


そう言って手をぶんぶん振るクラウ。

その可愛さに、ふたりは思わず目を細めた。


──と、そのとき。


ふわり、と目の前を横切った白い影。


「ん!?!?」


ディーズベルダが思わず小さく跳ねる。


「どうしました? ディズィ」


「まって……あれ……!」


彼女の視線の先には、ひらひらと優雅に舞う、白くてふわふわした蛾のような虫が一匹。


「ちょっと、待ってーっ!」


ディーズベルダはスカートの裾をつまんで、虫の後を追いかける。


「ディズィ!? 危ないですよ!」


エンデクラウスもクラウを抱っこしたまま慌ててついていく。


虫は低空を漂いながら、畑の隅のほうへ飛んでいった。

ディーズベルダはしゃがみ込み、そっとその動きを観察する。


(飛べないって聞いてたけど……これは……)


目を凝らしてその姿をじっと見る。


白くてふわふわ。背中の模様、羽の縁の形──


(間違いない……!)


「……野生のカイコ……!」


彼女の声がかすれたように漏れる。


「……ディズィが虫に興味があるなんて、初めて知りましたよ」


少し離れた場所からエンデクラウスが、クラウを抱いたまま首をかしげる。


「違うのよ。この蛾は特別なの」


ディーズベルダは振り返り、力強く言い切った。


「これをたくさん捕まえる必要があるわ。いや、正確には──森に入って、幼虫を探さなきゃ」


「……ほう。また何か、新しい発明ですか?」


「ええ。これはね……“シルク”。」


「シルク……あの、幻の生地?」


「そう。遠い地にはあるって聞いたけど、滅多にお目にかかれない高級品。

でも、この蛾の繭さえ手に入れば……」


ディーズベルダは熱のこもった目で、蛾の消えていった方向を見つめた。


「繭を紡いで、糸にして、織るの。ふわふわで、軽くて、通気性も抜群の最高級素材──

それが、あの蛾から生まれるのよ!」


「……なるほど。これはもう、捜索隊を組まねばなりませんね」


「ふふっ、わかってるじゃない」


「ただし、森にはまだ魔物が潜んでいます。装備も慎重に。

騎士団に正式な探索命令を出しておきましょう」


その頼もしさに、ディーズベルダは軽く微笑みながらうなずいた。


その頼もしさに、ディーズベルダは軽く微笑みながらうなずいた。


(問題は……育てる人ね。今、領民で手が空いてる人なんていたかしら……)


彼女が静かに考え込んでいると──


「おーい! ディーズベルダ様ーーー! エンデクラウス様ーーー!」


のんびりした呼び声が、畑の向こうから風に乗って届いてきた。


ふたりが顔を上げると、陽炎のように揺れる視界の奥から、ひとりの騎乗者が砂煙を巻き上げながら近づいてくる。


「……あれって──」


ディーズベルダが目を細めたその横で、エンデクラウスが静かに言葉を添えた。


「ドルトール伯爵ですね」


その声に続くように、馬上の人物が大きく手を振りながら叫ぶ。


「やっと到着しましたよ〜!」


そう言いながら軽やかに馬を降りたのは、ディルコフ・ドルトール伯爵。

明るい笑顔と、どこか飄々とした空気は以前と変わらず──朗らかでマイペースな雰囲気を全身にまとっていた。


「いやぁ、少し遅くなりましてね。荷物の準備とか、王都の手続きとかで……」


笑顔で帽子を取るその姿に、ディーズベルダはふらりと近づき、ぽんっと彼の肩に手を置いた。


「……え?」


ディルコフが戸惑いの表情を浮かべる。


ディーズベルダはにっこりと微笑んで、唐突に尋ねた。


「ドルトール伯爵……虫は大丈夫ですか?」


「虫……ですか? ええ、もちろん。幼い頃はよく虫取り網を持って森を駆け回ってましたよ。

カブトムシにクワガタ、ミツバチの巣に突っ込んで泣いたことも……あれは痛かったなぁ……」


懐かしげに語り始めるドルトールを前に──


ルーンガルド夫妻の表情が、フッと陰を落とした。


ニコニコ……いや、ニタニタ。


「「それは……素晴らしいですねぇ……」」


ふたりの口元が、妙にそろって“邪悪な”角度で笑う。


それだけではない。抱っこされていたクラウディスまでもが、親の様子を見てか、まるで真似をするように口角を吊り上げる。


「にしし……」


「──な、なんです? この嫌な予感しかしない空気は……」


一歩引いたディルコフに、ディーズベルダが爽やかすぎる笑顔で言い放つ。


「しばらく、虫の世話をお願いね」


「……えっ?」


「どうしても人手が足りないの。虫の育成はとっても大事な仕事なのよ。お願いっ」


「ま、待ってください! 虫って、何を!? どこで!? どうやって!?!?」


「あと、大きめの虫小屋も建ててね? ある程度の湿度管理もできるやつで」


「えええええええええええええ!?」


ディルコフの絶叫が、畑にこだまする。


エンデクラウスは背後でクラウをあやしながら、静かにひと言。


「クラウ、虫さんのおうち作るって」


「おうちー!!」


にっこにこで拍手するクラウに、完全に逃げ道を失ったドルトールは、その場にガクッと膝をついた。


(虫係……虫係って……!!)

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