118.ちび天使、やきもちを焼く。
魔王城の子供部屋。
午後のやわらかな光が差し込むその空間には、穏やかで、ほんのり甘い空気が流れていた。
「可愛い~~~っ!!」
思わずそんな声を上げたのは、若い侍女のひとり。
その目線の先には──ベビーベッドの上で、静かに寄り添うふたりの兄弟。
クラウディスが、ヴェルディアンの隣にちょこんと座り、ふわふわの手でそっと弟の頭を撫でていた。
「おしおし……」
彼はまるで宝物に触れるかのように、やさしく、丁寧に小さな手を動かす。
撫でるたびにメイドたちをちらりと振り返り、期待を込めた目で見つめながら──
「えあい? えあい?」
と、尋ねるように首をかしげる。
(偉い?って……もう、なんて可愛いの!?)
メイドたちは、そのあまりの破壊力に頬を押さえながら、今にも倒れそうだった。
「偉いですぅぅぅっ……!!」
「天使だ……ここに天使がいます……!!」
子供部屋は、すでにクラウディスという名の“ちび天使”によって支配されていた。
「もう、クラウったら……」
ディーズベルダはクスッと笑いながら、その様子を愛おしそうに見つめる。
ヴェルディアンもスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていて、兄の撫で方がよほど心地いいのか、まるで微笑んでいるかのよう。
そんな癒しの時間の中──
「ディズィ、少しいいですか?」
不意に、部屋の扉がノックされ、エンデクラウスがひょっこり顔を覗かせた。
「あら、どうしたの?」
彼女が首をかしげながら立ち上がると、エンデクラウスは扉の前で真面目な表情のまま説明を始める。
「ここへ来る前に、鉄の加工や溶接作業ができる者を数名、技術職として雇っておきました。
今、その者たちをここに住まわせようかと考えているのですが……」
「え?」
思わず目を瞬かせるディーズベルダ。
(加工技術……? あれ、それって──)
「ディズィの役に立つんじゃないかと思って」
エンデクラウスは柔らかく微笑んで、少しだけ照れたように視線をそらした。
(……っ、そうよ……! 私、今まさに洗濯機を作ろうとしてたんだった!)
彼女の頭の中では、設計途中の構造図や試作図が一気に再生されていく。
鉄板の切断、接合、耐圧実験、撥水コーティングの手伝い──どれも、人手と技術が必要だった。
「エンディ……あなた、最高だわ!!」
叫ぶように言ったその瞬間、彼女は思わずエンデクラウスに駆け寄り、その胸に抱きついた。
「っ……!」
突然のハグにエンデクラウスは少し驚いたものの、すぐにその腰に腕を回し、柔らかく微笑んだ。
「……ディズィがそう言ってくれるなら、連れてきた甲斐がありました」
メイドたちはふたりの甘いやりとりを見ながら、心の中で「わああ…!」と盛大にときめきの嵐を巻き起こしていたが──
その視線に、ディーズベルダは気づかぬふりを決め込んでいた。
……が、そのとき。
「きゃっ!?」
ビュッ、と突然水しぶきが飛んできて、ディーズベルダの肩口を直撃した。
思わず小さく悲鳴を上げる。
だが次の瞬間──
ふわりと暖かな風が吹いた。
エンデクラウスはすぐさま火の魔力を繊細に操り、濡れた部分をまるで風が撫でるように、あっという間に乾かしてしまった。
(……さすがね。)
そう思った瞬間──
「まま! まーまー!!」
今度は、部屋の隅からふくれっ面のクラウディスが駄々っ子モードに突入。
ぶんぶんと両手を振って、自分の存在を全力でアピールしている。
「どうしちゃったの、クラウ?」
ディーズベルダは笑いながら近づき、ちょこんと彼を抱き上げた。
すると、クラウは唇を尖らせて、じーっとエンデクラウスを睨むように見上げる。
「……これは、もしかして──」
エンデクラウスがスッと近づき、クラウを軽々と抱き上げると、そのまま侍女に託す。
そして、何が何だかわからぬままのディーズベルダを、ふわりと自分の腕の中に引き寄せた。
「えっ!? ちょっと、なに……!」
突然の抱擁に戸惑うディーズベルダ。
その髪にエンデクラウスは優しく手を置き、ゆっくりとなでなでした。
──そのときだった。
「むきゃーーー!!」
バシャァッ!
今度はクラウが、怒りの魔力操作で水を飛ばそうとした──が、
エンデクラウスがそれを事前に察知し、ぴたりと空中で微弱な火を使い相殺する。
「……どうやら、ヤキモチを妬いているようですね」
「えぇぇっ!?」
ディーズベルダは、思わずクラウを見た。
クラウは頬をふくらませて、腕を組んでプイッと顔を背けている。
「ほんっ!! むんっ!!」
ぷんすか怒っている様子は、まるで小さな王様のようだった。
「これからは注意が必要ですね。ヴェルに何か“対抗意識”を燃やすかもしれません」
(……そっか。クラウったら、ちゃんと“成長”してるんだわ)
ディーズベルダは苦笑しながらクラウのもとに近づき、ふわりと頭を撫でた。
「んー!! まま! まま!!」
べったり甘えてくるクラウ。
そこへエンデクラウスが手を伸ばすと──
「ぶーーー!!」
口をとがらせて、今にも水を飛ばしそうな勢いで威嚇するクラウに、思わずディーズベルダも吹き出しそうになる。
「ふふっ……クラウ、パパ悲しいぞ?」
エンデクラウスはしれっと言いながらクラウを抱き上げ、ぽんぽんと背を軽く叩いてあやす。
「やーーー!! やーーーっ!!」
ばたばた暴れるクラウを抱えながらも、エンデクラウスはまったく動じない。
「ディズィ、あとは任せてください。
ジャケルのところへ行って、例の“部屋割り”の件をお願いできますか?」
「ええ、わかったわ。じゃあ、よろしく頼んだわよ。」
「お任せを。……少し躾けてやらないといけませんね。」
「やりすぎないでね?パパ~」
ディーズベルダは苦笑しながら手を振って、部屋を後にする。
その背中を見送りながら、エンデクラウスは、泣きじゃくるクラウを器用にあやしていた。
(……可愛いな、まったく)