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115.傀儡の王女

王城・玉座の間。


その広い空間は、今や沈黙に包まれていた。


高くそびえる天井には繊細な金の装飾が施され、両側に立ち並ぶ石柱は、まるで王権の象徴のように重厚な存在感を放っている。

床には深紅の絨毯が敷かれ、その先にある、同じく深紅の玉座に──王、フィーサルド・ヴィ・グルスタントが座していた。


その横に立つのは、王女スフィーラ。

美しい金髪が怒りに震え、藍色の瞳は今まさに怒りに燃えている。


その視線の先に立つのは、ダックルス辺境伯、コーリック・ダックルス。


──人払いされたこの空間には、王と王女、そして報告のために呼ばれたコーリックだけ。


「……スフィーラ王女殿下は、エンデクラウス・ルーンガルド殿との接触を禁じられていたにも関わらず──

建国記念の式典にて、あえて接触し……あろうことか毒針を用いて、猥褻な行為に及ばれました」


低く、静かに。だが確実に玉座の間に響く声で、コーリックは事実を述べる。


淡々とした言葉の中に潜むのは、諦めと怒り、そして“公”としての覚悟だった。


「これは……いかに王女といえど、許されざる行為。

だが王族という尊き血をお持ちの方に、直接の刑罰を下すのは難しい」


一礼し、ゆっくりと顔を上げる。


「つきましては──殿下が今後、再び理性を失い問題を起こされぬよう……

心を鎮める薬の使用を、謹んで陛下よりお許しいただけますよう、お願い申し上げます」


言葉選びは丁寧で礼節に満ちていた。

だが、それはまさに“毒を包んだ金の皿”。王命としての処分を仰ぐ、冷徹な手続きでもあった。


スフィーラは、信じられないというように父を見つめる。


フィーサルド王は長い沈黙ののち、深く目を閉じた。


(……今、王国を支える力は、アルディシオン公爵家にある)

(ルーンガルド領の躍進も、彼らの連携がなければ成り立たぬ)

(ならば、スフィーラをかばい、国の屋台骨を揺るがすなど──ありえぬ)


「……致し方あるまい。これで、そなたが静かになるのならば……その使用を許可する」


その言葉が下された瞬間。


「お父様!!!! あんまりです!!」


スフィーラが激しい声をあげた。

涙を浮かべ、声を震わせ、まるで訴えるように玉座の王を見上げる。


「わたくしはっ……ただ、エンデクラウス様と、お話がしたかっただけなのに……!」


だが、王の返答は冷たかった。


「──あれほどのことをしでかしておいて、どの口がそれを言うか!!」


雷のように響く叱責。

スフィーラはその場に崩れ落ちそうになりながらも、拳を握り締め、唇を噛んだ。


その緊張に満ちた空間に、王が低く呼びかける。


「……ディバルス」


その名に応じるように、柱の陰から一人の男が現れた。


滑るように姿を現したのは、現アルディシオン公爵──ディバルス・アルディシオン。

漆黒の礼装を纏い、冷ややかな青い瞳に一片の動揺も見せぬ男。


「……お呼びに従い、参上仕りました」


ディバルスは片膝をつき、静かに王の前へ進み出た。


その手には、ひときわ目を引く緑色の小瓶。

握られた瓶は美しく、だがその中に込められた液体は、あまりにも危険なものだった。


「陛下。これは我が家に伝わる“密薬”でございます。

ご使用は慎重を極めるべき代物ですが……一滴で効果がございます」


「ふむ……これで、そなたの家の密薬は残り一本か?」


王が問うと、ディバルスはゆっくりと頷いた。


「はい。……ですが、王のお力となるのであれば──

たとえ秘薬を失おうとも、痛くも痒くもございません」


貴族としての誇りと忠誠をにじませる言葉に、王は満足げに頷き、瓶を手に取る。


そして、それをコーリックへと差し出した。


「……確かに、陛下より賜りました」


コーリックが静かにそれを受け取ったとき──


玉座の間の空気が、少しだけ、冷たくなった気がした。


──このとき、ディバルスは知らなかった。

王に渡したこの密薬を除いて、アルディシオン家に保管されていた“最後の一本”。

その中身は──

密かに、ベインダル・アイスベルクの手によって、すり替えられていたことを。


それがいつか、誰の口に運ばれ、どんな命令を受け入れるのか。

そしてそれが、

確実にディバルス自身の名誉と地位を、静かに、確実に蝕んでいくことになるとは──


今の彼には、知る由もなかった。


不気味な静けさに包まれた玉座の間で、

見えない罠の種が、音もなく蒔かれていった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


王都の華やかな祝宴のひとつ──

今日は、ダックルス辺境伯家当主コーリックと、王女スフィーラの正式な婚約式だった。


広間の中央には、白と金の装飾が施された豪奢な祭壇。

高く積まれた花々の間を、紅と青の絨毯が走り、まさに“王族の祝福”にふさわしい空間が広がっていた。


けれど──


「……あれ? ……なんだか、王女の様子が……」


並んで着席していたディーズベルダが、眉をひそめてつぶやく。

視線の先では、スフィーラ王女が無表情のままコーリックの隣に立ち、まるで機械のように笑っていた。


ぎこちなく、瞬きも少なく、誰とも目を合わせないまま、ただ手順通りに動いている。


(……明らかに“素”じゃない)


エンデクラウスは、ちらりと隣を見てから、ゆっくりと顔を近づける。


「(……気づかれましたか)」


耳元で、誰にも聞こえぬよう低く囁かれた声。

ディーズベルダはすぐに頷く。


「(えぇ。明らかにおかしいわ。あれ、ただの緊張じゃない)」


「(……密薬、ですね)」


エンデクラウスの紫の瞳が、静かにスフィーラの様子を観察している。

その視線はいつになく鋭い。


「(……え!? あの薬?)」


ディーズベルダの声がかすかに上ずった。

彼女の脳裏に、ある“事件”がよみがえる。


──それは、かなり前のこと。


ベインダルお兄様がなぜかアルディシオン公爵家から盗んできたという“密薬”。

その効果を試すため、強引にエンデクラウスに飲ませたことがあった。


(……あの時は……)


思い出すのは、「はい……」と無表情で言いなりになるエンデクラウス。


【3時間限定・従順モード】という、貴重な実験データである。


「(……たしか、あれって3時間で切れたはずじゃ……)」


「(……それは俺に耐性があったからですよ。

魔力耐性の低い者、あるいは素のまま飲めば……“永遠”です)」


「(とんでもない薬だぁぁぁぁぁぁっ!!)」


ディーズベルダは心の中で絶叫した。


──その薬を、スフィーラが。

──そしてそれを使ったのが、コーリックだというのなら。


表面上は“婚約”。

けれどその実態は、“傀儡”。

王族という名の鎖を、魔法の薬で完全に絡め取ったということに他ならない。


(とんでもないざまぁ結末じゃない……!)


冷や汗がにじむような恐怖と同時に、ディーズベルダの胸に浮かぶのは──

ぞわりと背筋を這う、“自業自得の報い”という言葉だった。

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