106.ようこそ、騒がしくて温かい食卓へ
ルーンガルド邸の食堂は、いつもより賑やかだった。
長いダイニングテーブルの上には豪華な料理が並び、温かなロウソクの灯りが食器の銀をやわらかく照らしている。
今夜は、ベリルコートを迎えての“ちょっとした歓迎の夕食”──の、はずだったのだが。
「あっ、す、すみませんっ!」
「ひゃっ、ごめんなさい、お皿……っ!」
料理を運ぶ新人メイドたちは、次々と些細なミスを繰り返していた。
ナイフを逆に置いたり、ナプキンを落としたり、スープをこぼしかけたり──。
──その原因は明らかだった。
彼女たちの視線の先には、食卓の端に座るひとりの美しい青年。
長い銀髪に整った顔立ち。まるで物語から抜け出した貴族のような風貌のベリルコート・アイスベルルクが、静かにスープをすくっていた。
新人メイドたちは、完全にその美貌に“当てられて”しまっている。
それに気づいたベリルは、スプーンを置き、静かに言った。
「……僕は仮面でもつけた方がいいだろうか」
その言葉に、ディーズベルダはスープを吹き出しそうになりながらも、慌てて笑みを作る。
「大丈夫よ。あの子たちは新人なだけだから。許してあげて」
にこっと笑って見せたあと、続けて肩をすくめるように言った。
「ベテランのメイドたちはね……エンディの顔で鍛えられてるから、今では完全に“空気”として扱ってるの」
「……それは……よかったような、悲しいような」
ベリルは複雑そうに微笑みながら、小さくため息をついた。
──すると。
「お前たち」
エンデクラウスが真顔で声を発した。
背筋をピンとのばしたまま、淡々と──けれど妙に“真剣な声”で新人メイドたちに視線を向ける。
「俺と義兄君、どちらの方が顔が良いですか?」
「ちょっ……!? 何聞いてるのよ突然!」
ディーズベルダが箸を落としかけ、思わず声を上げた。
「ななにーえんのお!」
隣でクラウディスが口いっぱいに果物を入れながら、エンデクラウスの真似をする。
なんとなく雰囲気は伝わったらしく、“何言ってるの”的なノリになっている。
質問を投げられた新人メイド──名前はリーサ──は、真っ赤になって震えた。
「お、お許しくださいっ……! 比べるなんて、とても……!」
顔を両手で覆い、首をぶんぶんと振る。
それはもう、どちらが上とは言えませんという全力の拒否反応だった。
「エンディ……心配しなくても、大丈夫。この国で一番はあなたよ」
ディーズベルダはそう言って、やれやれといった様子でエンデクラウスの肩に手を置いた。
「だから……新人メイドを困らせてあげないで」
その言葉を聞いた瞬間、エンデクラウスの表情がふわっとほどける。
まさに「その言葉を待ってました」とでも言いたげに、ニッコリと満足げに笑った。
「ここ、良い雰囲気だね」
スープを飲みながら、ふいにベリルがぽつりと漏らす。
「家では……一切音がない。ディーズベルダがいた頃は、まだマシだったのにね」
その声はどこか沈んでいて、どこか寂しげだった。
ディーズベルダはスプーンを持つ手を止めて、少しだけ目を細めた。
どうやら──私がアイスベルルク邸を出たあと、屋敷はすっかり静まり返ってしまったらしい。
「リセちゃんが騒ぎそうだけど?」
軽く返すと、ベリルは小さく首を振った。
「リセは……もともと物静かでした。ある時から、急にああなったんです。」
「……そうなの?」
ディーズベルダは小さく首をかしげながら、意外そうに呟いた。
あのリセちゃんが、もともとは物静かだったなんて──
あのエネルギー全開の“愛されお姫様モード”は、生まれ持ったものではなかったのだ。
「確かに、僕もずっと騒がしいイメージしかなかったんだけど……」
ベリルはパンに手を伸ばしながら、穏やかな声で続けた。
「家ではね、本当に静かなんだよ。自分の部屋に籠もって、本を読んでいたり……。だから、外での様子を見ると、ちょっと不思議な気分になる」
「そうだったんだ……」
ディーズベルダは少しだけ切なそうに笑った。
すると、エンデクラウスがフォークを置き、静かに言葉を挟んだ。
「アイスベルルク侯爵家には、間者や敵がいないからですよ。リセも、心から気を抜ける家に戻れば、自然と本来の姿に戻れるのでしょう」
「──え?」
ディーズベルダが驚いて顔を上げる。
「それって……アルディシオン公爵家には“いる”ってこと?」
ディーズベルダがフォークを止めて、眉をひそめたまま問い返す。
その問いに、エンデクラウスはひと呼吸おいてから、淡々と答えた。
「はい。父上からの監視従者と……王からの間者が。今はもう、いないとは思いますが」
「……そ、そんなのが普通にいたの?」
思わず目を見開くディーズベルダに、エンデクラウスは少し首を傾げながら、さらっと言葉を足した。
「まあ、アイスベルルク侯爵家には……俺の間者くらいしか、いませんでしたので」
「──ぶーっ!!」
その瞬間。
豪快な吹き出し音が食卓に響いた。
犯人はクラウディス。口に入れていたパンをぶーーーっと前方に飛ばしながら、器用に母の真似まで完遂した。
「ぶーーーっ!!」
「ちょっ……!? クラウ!? わたしの反応、真似しなくていいから!!」
ディーズベルダが大慌てでナプキンを手に取り、クラウディスの口元とテーブルを拭き始める。
「奥様、わたくしどもが……!」
と、慌てて駆け寄るメイドに、
「いいの、いいの。自分でやるわ……!」
やや引きつった笑みを浮かべながら、ディーズベルダは手際よく拭き取る。
「……いつから、そんな“間者”なんて……」
ナプキン片手に、目を細めたままエンデクラウスを見つめるディーズベルダ。
その問いに答えたのは、ベリルだった。
パンをひとかじりしながら、まるで天気の話でもするかのような口調で──
「ディーズベルダ、気づいてなかったのかい? お前が……九歳の頃からだよ」
「………………」
ディーズベルダの動きが止まる。
じわりと、ジトッとした目で隣の夫をにらみつけた。
「エンディ………………」
「………………」
エンデクラウスはすぐに目をそらし、食器の位置を直すふりをしながらスープに視線を落とした。
「え、いや、あの、その……その頃の俺は、若くて……」
「若くても。九歳よ、私」
「……反省しています」
クラウディスはというと、「きゅーさい!きゅーさい!」と楽しそうにパンを握りしめていた。