ハートネット伯爵家へようこそ1
私がマダムの家にやって来てから数日たったある日。ちょうど、私とマダムで朝ご飯の後片付けをしていた時だった。
「にゃーん」
カリカリと玄関の扉を引っ掻く音がした。
マダムが扉を開けると、使い魔の魔法猫が入って来た。
魔法猫は、見た目はほぼ普通の猫だ。
短毛も長毛もいるし、毛色も柄も大きさもさまざまだ。
普通の猫と違うのは、魔術を使えることと、紫系統の瞳の色をしていることだ。
ふくふくとしたまん丸の顔に、綺麗なグレーの毛並み。ずんぐりむっくり体型のモフモフで、尻尾も太くて長い。ただの猫ではなくて魔法猫だということを表すキリッとした青紫色の瞳は、アーモンド型だ。
「あら、誰の使い魔かしら?」
遠慮なくテテテッと侵入して来る魔法猫に、マダムは驚いてその動きを目で追った。
「伯母様の使い魔です……シャルちゃん、ありがとね」
シャルちゃんは、私の前にちょこんとお座りすると、首元に付けられた手紙を見せてきた。
私はモフモフの毛皮に埋もれた手紙を発掘して、受け取った。
手紙は、伯母様の綺麗な文字で流れるように綴られていた。
「思ったより早かったわね」
「……どうやら、ハートネット家が迎えに来てくれるみたいです」
私はざっくりとマダムに手紙の内容を伝えた。
手紙には、私に今まで辛い思いをさせてしまって申し訳なかったという詫びの言葉から始まり、私をハートネット伯爵家に迎え入れる準備ができていること、希望するなら、今まで滞っていた魔術や教養などの勉強の教師を手配することなどが綴られていた。
私が十三歳の時、母様が亡くなってすぐに、父が私の家庭教師を全員追い出してしまった。だから、私の貴族としての淑女教育や魔術の勉強は、そこで止まっていた。
今は、生きていくために何かしら手に職や強みを身につけたいと思っていたから、教師を手配してくださることはすごくありがたいし嬉しい。
それに、ハートネット伯爵家は魔術教育に強い家系だ。
きっと、良い先生とのご縁もあるはず。
「良かったわね、ステラちゃん」
マダムが柔らかく微笑んで、祝福してくれた。
「はい……でも、またお店に出られなくなっちゃうかもしれないです……」
ハートネット伯爵家に入るということは、「占い師ステラ」はどうしてもお休みしなくちゃいけなくなる。
マダムには、仕事も住む場所もこんなにお世話になっているのに、私、あまりにも何も返せてない……
「いいのよ、ステラちゃんが幸せになれるなら」
「でも……」
「そんなに気になるっていうのなら、貴族のお客様をうちの店に紹介してくれてもいいのよ?」
マダムが、茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
私も思わずつられて笑ってしまう。
「それなら、とびっきりのお客様を紹介しますね! もちろん、落ち着いたら『占い師ステラ』としてまた出演させていただきますから!」
「ええ、もちろんよ。期待して待ってるわね」
私たちは朗らかに笑い合った。
とにかく、伯母様に返事を書かないとね!
私は、うちのクロと鼻先をくっつけ合って挨拶しているシャルちゃんの方を振り向いた。
「シャルちゃん、伯母様への手紙をお願いしてもいいかしら?」
「にゃん!」
シャルちゃんは一声鳴くと、鞠のようにぴょんっと弾んでやって来た。
私はダイニングキッチンのテーブルを借りると、伯母様への返事の手紙を大急ぎでしたためた。
***
ハートネット伯爵家の家紋が入った馬車がマダムの家にやって来たのは、さらにそれから数日後のことだった。
馬車から降りて来たのは、従兄弟のフィン兄さんだった。
フィン兄さんは、ハートネット家特有の、少しだけ紫がかった淡い水色の髪をしていて、瞳は綺麗なすみれ色だ。垂れ目で人好きのする優しい顔立ちをしている。
母様が生きていた頃は、しょっちゅうハートネット家に遊びに行っていた。だから、二つ年上のフィン兄さんとはよく一緒に遊んだものだった。
「フィン兄さん、久しぶり!」
「エヴァ、本当に久しぶりだね」
私が出迎えに行くと、フィン兄さんがニコッと微笑んでくれた。
「しばらく見ない間に綺麗になったね」
「フィン兄さんも、背が伸びてカッコ良くなったわ!」
「ようこそいらっしゃいました」
私たちが挨拶を交わしていると、マダムが後から出迎えにやって来た。
美人なマダムに、フィン兄さんは一瞬頬を赤らめてポーッと固まっていたけれど、すぐに持ち直した。
「わざわざお出迎えありがとうございます。それに、エヴァを保護していただきありがとうございます」
「私にできることをさせていただいたまでですよ」
フィン兄さんが緊張したままお礼を言うと、マダムはにっこりと艶麗に微笑んだ。
ハートネット家の馬車に、ささやかな分量の私の荷物を詰め込むと、そろそろお別れの時間になった。
「マダム、本当にありがとうございました。落ち着いたら、また来ますね」
「ええ、待ってるわね。ステラちゃんも、あちらの家に行っても元気でね」
「マダムも、お元気で」
別れの挨拶を交わすと、私たちはハグをした。
今生の別れではないけれど、マダムと離れるとなると、なんだかとても寂しい気分だった。
マダムにはものすごくお世話になったから、感謝の気持ちを込めてぎゅっと抱きついた。
フィン兄さんと私を乗せた馬車が出発すると、フィン兄さんがぽつりと呟いた。
「とても素敵な方だったね」
「そうなの。マダムは美人すぎて近寄り難く見えちゃうけれど、優しくて、頼りになって、とってもあったかい方よ!」
私はほっこりとあたたかい気持ちで答えた。
「あの家を追い出されて、すごく凹んでるんじゃないかって心配してたんだけど、杞憂だったみたいだね」
フィン兄さんが、優しいすみれ色の瞳で私を見つめてきた。
「はじめはショックだったわよ〜。あんな家でも、一応生まれ育った家だし。三年も頑張ったのに、全部パーよ!」
「……そうだね。もっと早くにエヴァを迎えに行けたら良かったんだけど……」
私がそう言うと、フィン兄さんの表情が少し曇った。
「兄さんたちのせいじゃないわよ! 私を放り出すなら、母様が亡くなった時にしなかった父が悪いのよ! そもそも当主の仕事自体も、本来なら父がすべきことだし!」
私は慌てて否定した。
フィン兄さんにそんな顔をさせたかったわけじゃないし、何より諸悪の根源は父だからね!
「それもそうだね。それから、母さんがすごい張り切ってたよ。『念願の女の子だ!』って。部屋もドレスもすごいことになってるから、期待してて」
フィン兄さんが、いたずらっぽくクスクスと笑った。
「えっ!? そんな、悪いわよ!」
「もうハートネット家の子供になるんだから、そんなこと気にしなくていいのに」
「気にするわよ!」
伯母様って、いつも行動が早すぎるのよね。伯母様のことだから、張り切って、あれもこれも買い込んでそう! ドレスなんて、必要な分だけあれば十分なのに!
私の気持ちも知らずに、馬車は軽快にハートネット伯爵家へと向かって行った。




