占い師ステラ1
『エヴァ、起きて!』
ペチペチと顔を叩かれた。冷たくてプニプニしたものが私の頬に当たる。
「……う〜ん、クロ? どうしたの?」
やけに重たい瞼を開けると、目の前には私を覗き込むクロの可愛い顔と、見知らぬ天井が見えた。
「っ!!?」
一瞬で目が覚めて、慌てて跳ね起きた。
「私、そういえばマダムの家にいたんだ……」
閑散とした部屋の中を見回して、少しだけ冷静になった。
昨日は泣き疲れてそのまま眠っちゃたみたい……
いつの間にか毛布が掛けられていて、たぶんマダムのおかげだ。
昨晩泣きすぎたせいか、瞼は腫れぼったいし、ちょっとこめかみの辺りが重い感じがする。
『マダムが朝ごはんだって』
クロが、朝の挨拶も兼ねて私にグリグリと鼻先を押し付けてきた。
ここだけはいつもと変わらなくて、少しだけホッとした。
「そっか、ありがとう」
私はめいいっぱい、クロの顔周りをくしゅくしゅと撫でてあげた。
ダイニングキッチンに顔を出すと、マダムがお湯を沸かしていた。
お店に出ていた時とは違ってシンプルなワンピース姿だけど、一つにまとめられた黒髪も真っ直ぐな背筋も、凛としていて綺麗でかっこいい。
テーブルの上には、すでに二人分のパンとスープが置いてあった。
お世話になってる身なのに何もできていないことに、私はちょっぴり恥ずかしくなった。
「マダム、おはようございます! 昨日はごめんなさい。それから、毛布もありがとうございます」
「おはよう。いいのよ、このぐらい。昨日は大変だったわね」
「はい……」
「ほら、座って。一緒に朝ご飯を食べましょうか」
マダムに促されて、私は席に着いた。
マダムが、目の前でティーポットにお湯を注いでくれた。
清々しいローズマリーの香りがふわりと立ち込めて、少しだけ頭の重みがスッキリしたような心地になった。
「さぁ、召し上がれ」
「ありがとうございます。いただきます!」
私は手を合わせてお礼を伝えた。
パンのお供は、マダムの家で採れたブルーベリーのジャムだ。
スープは、じゃがいもと玉ねぎとベーコンが入ったシンプルなものだ。
どれもとてもおいしかったし、マダムの優しい心配りがとても嬉しかった。
朝食が食べ終わってハーブティーを飲んでいると、マダムが尋ねてきた。
「ステラちゃんは、いつからお店に出られそうかしら?」
「ステラ」は、私の占い師名だ。
私がお店に出れば、個室ブースを一つ占領しちゃうことになるし、占いの館の運営者なら確認しておきたいことよね。
「そうですね……今日の午後からでもいいですか? 先に母の実家に手紙を送っておきたいんです」
昨日は急に追い出されてバタバタしていたから、母様の実家──ハートネット伯爵家に連絡することをすっかり忘れていた。
ハートネット伯爵家も古くからある魔術師の家系で、特に魔術教育に強い。それに「円卓の魔女」の家柄でもある。
今は母様のお姉様──私の伯母様が家督を継がれている。
「そうよねぇ。ハートネット家には伝えておかないとね。エヴァちゃんが、ハートネット家の子になったりして」
マダムがくすりと艶麗に微笑んだ。
艶やかな美女なので、朝から非常に目に眩しい。
「どうでしょう……私、今は平民になっちゃいましたし、ハートネット家にはもう後継ぎの従兄弟がいますし……」
私は「円卓の魔女会議」で伯母様とは何回も会ってるし、伯母様はいつも私のことを優しく気にかけてくださるから、正直そうなれたら嬉しい。
でも、ハートネット家の都合もあるし、ダルトン家を追い出された私なんかが転がり込んで来たら迷惑だろうし……
私があれこれ考えて思い悩んでいると、
「あら、ハートネット家と血の繋がりがあるわけだし、きっと大丈夫よ。そうじゃなくても、ステラちゃんは優秀な魔術師で、人気の占い師よ。いろんなところで引く手あまたよ。あなたなら強く生きていけるわ」
マダムが優しく励ましてくれた。
「……そうですよね」
そうだった!
マダムの言う通り、別に私は一つしか生き方を選べないわけじゃないんだった!
今までは貴族として、ダルトン子爵家を継ぐ者として生きてきた。けれど、そうじゃない生き方だって今の私にはある──それこそ手に職があるのだから、占い師として身を立てて生きていける! 魔術も使えるわけだから、冒険者や魔術師としてもやっていけるはず!
「なんだかマダムと話してると、また頑張ろうって気持ちになれますね」
「あら、私も占い師よ。誰かの悩みを聞いて、相談に乗って、その人が『また人生頑張ろう』って前向きに生きていけるように背中を押してあげるのが私の仕事よ」
マダムにいたずらっぽく言われ、私も「そうでした!」と妙に納得した。
「さぁ。私は後片付けが済んだら、お店の方に行くわ。ステラちゃんも後からいらっしゃい」
マダムはそう言うと、席を立った。
マダムが食べ終わった食器に手を伸ばしていたから、私も慌てて片付けの手伝いをする。
「はい! 今日からよろしくお願いします!」
私はにっこり笑って、元気よく言った。
***
「ハートネット家と、あとは円卓の魔女の家にも手紙を送らないとね」
マダムが占いの館「ルナテミス」に出勤した後、私はダイニングキッチンにあるテーブルの上に便箋を広げた。
自分の部屋に机は無いから、マダムに許可を取って使わせてもらってる。
ハートネット家の伯母様宛ての手紙には、ダルトン家を追い出されたこと、マダム・アンタレスの家でお世話になっていること、しばらくは占い師として生計を立てる予定だということを書いた。
円卓の魔女の家の当主宛ての手紙には、「円卓の魔女会議」へはもう私は参加できないこと、次からの参加者はハリー・ダルトンになるはずだが、彼が参加するかどうかは分からないことのお詫びを書いた。
手紙を、クロが運びやすいように折りたたんでいると、無性に「本当にもうダルトン子爵家の者じゃないんだ」って実感が湧いてきた。
いっぱい泣いてスッキリして踏ん切りが付いたと思っていたけれど、改めて文字にして誰かに伝えるとなると、「これっきり」という事実を突きつけられているような思いだった。
「クロ、ごめんね。今日はいっぱい手紙を運んでもらうわ」
『いいよ。いつかこうなると思ってたし』
私はクロの首輪に手紙を括り付けた。
クロのあっけらかんとした物言いには、私はもう苦笑いしか出なかった。
クロの顎下を指先で撫でてやると、ゴロゴロと機嫌よさそうな鳴き声が聞こえてきた。
『他のは首輪に付けなくていいよ。適当に運ぶから』
「あ……」
クロは私が止める間もなく、自分の影にバサバサと残りの手紙をしまい込んだ。
『じゃあ、行ってくるね。エヴァも占いのお仕事頑張って!』
クロはにゃ〜んとひと鳴きすると、私の影に潜って行った。
「ありがとう、クロ……さて、私も準備しなきゃ!」
パシンッと両頬を打って気合を入れ直すと、私はお店に出る準備を始めた。