悪縁撃退
「エヴァ、ちょっと……」
「どうされたのですか、お義母様?」
その日の朝、お義母様に手招きされて近づいて行くと、窓の外を見るよう視線で合図された。
ハートネット家のタウンハウスの塀の向こう側にある通りには、一台の馬車が停められていた。それも、ハートネット家の門からの出入りを窺うような位置に停まっている。馬車に付いている紋章は──
「……は? えっ、ロッドフォード伯爵家の馬車???」
「そうなのよ。特に訪問の予定もないし、先ぶれも届いてはいないし……それで、朝からずっとあそこに停まっているみたいなのよ」
「えぇ……」
ハートネット家とロッドフォード家は、特に仲が良くも悪くもない。むしろほとんど交流は無かったはず。
それなのに、まるで出待ちするかのようにあんな場所に馬車を停めているということは……
「まさか、ね……?」
もしかして、アラン様?
この前の魔物討伐作戦で会ったから、ここが分かったの??
でも、何のために???
私はもう正式にハートネット家の養子になっているし、もうアラン様の婚約者でもない。
今さら来られても困るのだけれど……
「今さら何の用事なのかしらね?」
お義母様が、外の馬車を鋭く睨み付けるように目を細められた。
「あら? フィン兄さん?」
私たちがこそこそと二階の窓から様子を窺っていると、フィン兄さんが肩をいからせて、門の方までズカズカと歩いて行くのが見えた。
フィン兄さんが門の前まで近づくと、馬車は慌てて逃げるように発車して去ってしまった。
「はぁ、もう何なのかしらね?」
お義母様は呆れたように溜め息を漏らされた。
私たちが一階の玄関ホールに向かうと、フィン兄さんがちょうど屋敷の中へ入って来たところだった。
「エヴァ、しばらくは外出しない方がいいかもしれない。さっきの馬車に、アラン・ロッドフォードが乗っているのが見えたんだ」
フィン兄さんが随分と渋い表情で教えてくれた。
私もお義母様も、おそらく「うわぁ……」という顔をしていたのかもしれない。フィン兄さんが「まぁ、そうなるよね」と頷いた。
「エヴァはこの前プレゼントされた魔道具があるだろう? もし何かされそうになったら、すぐに逃げるんだよ?」
「そうね、分かったわ」
フィン兄さんが心配そうに私を覗き込んできた。私も素直に頷く。
アラン様が一体何の目的でハートネット家を張っていたのかは分からない……でも、おそらく目的は私だ。
「ロッドフォード伯爵家には苦情を入れておくわ。フレデリカにも頼んで、本家の方からも釘を刺してもらおうかしら」
お義母様はスンと澄まして、静かに言われた。ただ、声のトーンには沸々とした怒りが込められていた。
***
翌日の午後、私はお義母様の執務室に呼ばれた。
執務机の上には、一通の手紙が封を切られて置かれていた。
「ロッドフォード伯爵から詫び状が届いたわ。アラン・ロッドフォードがエヴァに近づかないよう厳重注意してくださるそうよ」
お義母様が手紙を渡してくださった。
「随分対応が早いですね」
私はロッドフォード伯爵からの手紙を受け取ると、ざっと目を通した。
手紙には簡単な謝罪と、アラン様にはもう私やハートネット家に無闇に近づかないよう、よく言い含めておくと書かれていた。
「ハートネット家からも苦情を入れたけど、本家のオルティス家の方からも釘を刺してもらったからね。それに、婚約解消した相手に付きまとうなんて外聞が悪すぎるわ。ダルトン子爵家から婚約破棄を言い渡されても仕方がないことをしているのよ」
私がお義母様の説明になるほどと頷いていると、外の方から怒鳴り声が聞こえてきた。
「エヴァを出せ! わが家はあの魔女に呪いをかけられたんだぞ!!」
お義母様と私は、同時に額を押さえた。今度は何なのよ、一体!
執務室の窓からこっそりハートネット家の門の方を確認すると、父のハリー・ダルトンが、まるで猛獣のように門の鉄柵にしがみついてガタガタと乱暴に揺らしているのが見えた。
門番が止めようとしているのだけれど、「俺は子爵だぞ! さっさとここを通せ!!」と怒鳴られていた。
「アラン様に続いて父まで……」
私を追い出した人たちに限って、一体何をやっているのかしら……!
彼らの望み通り私はあの家を出て行ったし、婚約解消もした。もう彼らに関わる気もさらさら無いのだから、そっとしておいてもらえないものかしら?
私のせいでハートネット家に迷惑がかかっていることに、非常に居た堪れない気持ちになった。
とにかく、あの人には帰ってもらわなければ……!
「……行ってきますね……」
「あら、エヴァが行かなくていいわよ。ここはハートネット伯爵家当主の私が行くわ」
私が観念して出て行こうとすると、お義母様にガシッと肩を掴まれて止められた。
お義母様はバサッと勢いよく扇子を広げると、「エヴァはそこで隠れて見てなさい」と指示されて、部屋から出て行かれた。
心なしか、お義母様の背中から猛々しい闘気が見えたような気がした……
***
「あらあら、何の騒ぎかしら? 貴族としての礼儀すらもお忘れになってしまったのかしら、ダルトン子爵?」
お義母様は門の前まで行かれると、さらりと嫌味を言われた。
「エヴァを出せ! ダルトン家はあいつの呪いのせいで大変なことになったんだ!!」
顔を真っ赤にした父が、魔物のフォレストエイプのように門の柵をガンガンと揺らす。
「証拠はございますの?」
「……は?」
お義母様の静かな一言に、父の動きが止まった。
「ハートネット家の義娘に対してそこまでおっしゃるのなら、もちろん確たる証拠がおありなのでしょうねぇ? それともまさか単なる言いがかりでここまでいらしたの? さ、早く証拠を出していただきましょうかしら?」
お義母様が父を煽るように、証拠の提出を促された。
「証拠など、今わが家に起こっている不運そのものだ!!」
父は両腕を広げ、大見得を切った。
「あらそう?」
お義母様は冷静に話しの続きを促された。
「執事に勝手に私名義で金を借りられて、持ち逃げされたのだぞ!!」
「その執事を雇うまでにしっかり身辺調査はされたのよね? それとも何かしら? 家人が雇ったから調べもせずにそのまま使用していたの? そんなのどんな輩が家に入り込んでも、文句は言えないわよね?」
「ぐっ……、そもそもその執事を雇ったのはシエンナだ! 私の責任ではない!! それにシエンナは犯罪者と付き合いがあったのだぞ! そういう輩を招き入れる可能性は十分にあった!!」
「あらそれ、シエンナ夫人が人間関係にだらしがなかったということでしょう? それこそエヴァには関係のないことじゃない。それに家人がしたことの責は当主が負うものよ? そんなこともお分かりにならないのかしら」
お義母様は煽るように口元でヒラヒラと扇子を揺らして、「呆れたこと」と言われた。
「くっ、エヴァは仕事を中途半端に放り出して家を出たのだぞ!? どれだけ支払いの督促状が届いていると思ってるんだ!? 国への報告もしとらん!! ミアも仕事をせずに茶会に出て遊び歩いてばかりいるし、全ての皺寄せが婚約者のアラン君にいってるのだぞ!?」
「そもそも自分たちでエヴァを放り出しておいて、いまさら何を世迷言を言っているのかしら? エヴァはもうハートネット伯爵家の義娘よ。そんなことをする責任も義理も何もないわ! それに、ミア嬢をそういう風に教育したのは、あなたとシエンナ夫人でしょう? 後継者として不足があるなら、首根っこ捕まえてでも、あなたたちが再教育すべきではなくて?」
お義母様は、こちらにまで聞こえてしまうほど大きな溜め息を吐かれた。
「そもそもあなた、仕事しているの? それらは全てダルトン子爵家当主の仕事よね? 誰かにやらせる前に、まずはあなた自身がやるべきではなくて?」
お義母様は父のとんでもない言いがかりに、一つ一つ論理的に返されていった。お義母様に論破されていくにつれて、父の顔色は赤色から青色へとサーッと変わっていった。
私は執務室の窓にかじり付いて、「もっと言ってやって!」とこっそり心の中でお義母様を応援していた。
教育者は時にしっかりと生徒を叱らなければいけない。普段は落ち着いて凛とした雰囲気のお義母様だからこそ、特に本気の怒りはとんでもなく恐ろしいものなのかもしれない。
「……だが、だが……」
まるで叱られた生徒が言い訳するように、父がもごもごと何かを反論しようとしていた。
「何よ、話を聞いてみればどれもこれも呪いなんてなくても、全く同じ結果になっていたのではなくて? 不運も何も、結局、あなたたちの身から出た錆でしょう? こんなくだらないことを他家の義娘のせいにするなんて、人として恥ずかしくないのかしら?」
お義母様がたっぷりと蔑んだ声でおっしゃった。そして、パシッと扇子を手で打って閉じられた。
「よくもまぁこれほどまでにハートネット家の義娘に、『呪われた』なんてありもしない言いがかりをつけてくれたわね? もちろん、それ相応の誠意を見せていただけるのでしょうね? それとも何? そんなことも分からずに、ここにいらしたのかしら?」
お義母様が真っ直ぐに父を見据えた。その背中からは、少し離れた場所にいる私でも分かるくらい、怒りのオーラが漏れ出ているように見えた。
分が悪いとやっと察したのか、父は門の柵から手を離し、今度はガタガタと自分自身が震え始めた。
「……こ、これは何か行き違いが……」
「二度とエヴァの前にその顔を見せないで!!」
「ヒッ!」
お義母様が扇子を持った手で追い払うように一薙ぎすると、父は腰を抜かしたように背後に倒れ込んだ。
「ヒィッ!!」
お義母様がさらに一歩近づこうとすると、父は転げるように逃げて行った。
私はすぐに玄関ホールへと向かった。
入り口から戻られたお義母様の元へ、すぐさま駆け寄る。
「お義母様! ありがとうございました!」
「あら? 当たり前のことを言ったまでよ。それにしても、エヴァも大変だったわね。あんな話が通じないのを相手にしなければいけなかったなんて……」
お義母様は頬に手を添えて、しみじみと言われた。
……これで父も少しは反省して、もう二度とここには近寄らないでもらいたいものだわ……
それにしても、お義母様に、今まで私が言えなかったことをいろいろと代弁してもらえたから、スッと胸がすく思いだったわ。