呪いの加護
今日も呪い返しの練習をしに、私はオルティス侯爵家を訪れていた。
先日のサイモンさんのアドバイス通りに、私は最近、呪い魔術関係の辛い記憶やその時の感情を紙に書き出したりして整理している。
けれど、その度に辛い記憶や感情が蘇ってしまって、なかなか先に進めてはいなかった。
特に父や元婚約者から言われてきた心無い言葉は、私の中で深く根付いてしまっているようだった。
でも、少しだけ進歩もあった。
以前よりも少しだけ、私は呪い魔術が怖くなくなってきていた。
自分の記憶や感情を整理していくうちに、呪い魔術についての誤解が解けてきているからかもしれない。
改めて整理してみると、当時の私の周りにいた大人たちは、誰一人呪い魔術に適性がなくて、呪い魔術についての正確な知識もなかったのだ。
そんななんとなくの知識とイメージだけで、大人たちは呪い魔術を「怖いもの」として扱っていた。だから子供の頃の私も周りの大人たちの反応を観察して、呪い魔術をなんとなく「怖いもの」「下手に手を出したら大変なもの」と恐れていたことがハッキリと分かった。
そのことに納得がいった私は、穏やかに「呪い魔術に対する無知」を手放すことができた。私たちは無知だからこそ恐れてきた。だったら、これから知っていけばいい、って──
セルゲイと約束があることをオルティス家の門番に伝えると、私はいつものように離れの方に案内された。
今日は珍しくセルゲイに先客がいたようで、ちょうど離れの出入り口のところで鉢合わせた。
「エヴァ?」
「エッジワース伯爵? ご無沙汰しております!」
エッジワース伯爵が、驚いて目を丸くされた。
伯爵の隣には、私よりも背の低いドワーフの職人さんがいた。
「エヴァ、知り合いか?」
「ええ。当主代理の仕事をしていた時に知り合ったの」
セルゲイに訊かれて、私は頷いた。
……嘘はついてはいないけど、本当は円卓の魔女関係でね。
オルティス侯爵家ではフレデリカ様が現役だし、まだ誰が後継になるかは決めてはいないようだから、このことは言わない方がいいわね。
「今度、転移門を作ることになったんだが、フレデリカに相談したら、セルゲイ君が転移の魔術陣を描いたと聞いてな。参考までに見せてもらってたんだ」
「まぁ、それで……!」
エッジワース伯爵は、王国一の魔道具師と言われていて、王都でも有名な魔道具師工房もお持ちだ。もしかしたら、どこからか転移門制作について依頼を受けているのかもしれない。
「そうだ、紹介が遅れた。娘の婚約者のタネリだ。ドワーフの魔道具職人なんだ」
「エヴァ・ハートネットです。よろしくお願いします」
エッジワース伯爵から紹介され、私は微笑んで挨拶をした。
タネリさんも、にこやかに「よろしく」と返してくださった。
……あれ? セルゲイはエッジワース伯爵から娘婿にどうかって誘われてたと聞いたような……?
エッジワース伯爵とタネリさんは次の予定があるということで、足早に帰られて行った。
離れの玄関口には、私とセルゲイだけがぽつんと残された。
「セルゲイは、エッジワース伯爵から娘婿にならないかって誘われてるって聞いたけど?」
私は世間話をするように、隣のセルゲイを見上げて軽く確認してみた。
「……何年前の話だ。マルガレーテ嬢は魔道具作りが上手くて、エッジワース伯爵のように巌のような見た目の職人タイプが好みだからと流れた話だが?」
セルゲイは冷めた表情をして、さっさと奥の転移魔術陣がある部屋へと向かって行った。
セルゲイの態度はちょっと気に食わなかったけれど、でもなんだかホッとしたかも……
うん? なんで私、ホッとしてるんだろう?
私が何かが引っかかって思わず首を捻っていると、セルゲイに急かされた。
「エヴァ、行かないのか?」
「い、行きます!」
私は転移魔術陣がある部屋へと急いだ。
***
私がセルゲイと一緒に黒の塔にある彼の研究室に向かうと、すでにサイモンさんとシュウが待っていた。
「お、来た来た」
シュウが嬉しそうに、私たちのところにピュンッと飛んでやって来た。
「俺、どんな呪いになるか決めたぜ!」
「…………」
開口一番いきなりそんなことをシュウに言われて、セルゲイは目を大きく見開いて固まってしまった。
セルゲイは、シュウから呪い魔術について教わる代わりに、シュウを呪い魔術に変える契約を結んでいる。
でも、セルゲイは師匠で友達のシュウを失いたくなくて、彼を呪い魔術に変えない方法を探していた。
──それなのに、こんなにも早くシュウが呪い魔術になることを言い出すなんて……!
「え、ちょ、ちょっと待って! それってシュウが誰かを呪って消えちゃうってことだと思うのだけれど、いいの!?」
私は慌てて、シュウに考え直してもらおうと、本気なのかを確認した。
「いや、俺は誰も呪わないぜ!」
「え、それなら……」
シュウは消えたりなんかしないよね……?
「俺は呪いの加護になるんだ! 誰かを呪う呪いじゃなくて、セルゲイとエヴァを守る呪いになるんだ!」
シュウはドヤッと自信満々に言い放った。
「呪いの加護って何よ……」
シュウが誰かを呪って不幸にするような魔術になるのではなくて良かったけれど、でも「呪いの加護」って一体……?
それに、シュウ自身はどうなってしまうの……?
「そうだなぁ〜。セルゲイには『致命的な呪いや呪い返しを一度だけ防ぐ加護』かな。研究の延長線上で、何かやらかしそうだしな。エヴァは呪い返しが下手だから、『呪い返しが上達して、呪いにかかりづらくなる加護』かな。俺ってば大物精霊だから、二人分の加護が授けられるんだぜ!」
シュウが意気揚々と答えてくれた。ぐるぐると勢いよく私たちの前を飛び回っている。
「…………」
聞きたいのは加護の内容のことじゃないのよ……!
私が頭を抱えていると、今度はセルゲイの方から確かめてくれた。
「……シュウ、それは今すぐじゃないとダメなのか? それに、加護になってしまったら、結局シュウは……」
セルゲイが今にも泣き出しそうなほど真剣な眼差しで、シュウを見つめていた。
「俺もそろそろ頃合いだからな! 呪いの精霊はいつか世界に還るものだ。それにずっとここにいたら、居心地良すぎてずっと還れなくなっちまいそうだからよ……!」
シュウがそう言った瞬間、シュウの闇のように真っ黒な色がだんだんと淡い薄墨色に変わっていった。まるで、この世界に溶け込んでいってしまうように──
「シュウ!?」
「待ってくれ!!!」
私もセルゲイも、思わずシュウの方に手を伸ばしていた。
いつもはシュウに触れると、呪い特有の冷たくて肌が粟立つような感覚があるのだけれど、この時ばかりは包み込まれるようなあたたかい感じがした。
「セルゲイにもエヴァにも感謝してるぜ! 誰かを呪って消えるもんだと思ってた俺の可能性を広げてくれたからな! 友のために呪いになれるなら、俺にとっては最高の精霊生だったぜ!」
シュウは私たちの手の中で、笑顔のまま呆気なく透明になって消えていった。
「ゔぅっ……シュウ……」
あまりにも突然で呆気ない別れに、私はただただ涙が溢れ出て止められなかった。
「シュウ……」
セルゲイは、最期にシュウがいた手のひらを、ただひたすらに眺めていた。
私たちがただそうしていると、不意に誰かが近づいて来る気配がした。見上げてみると、サイモンさんだった。
「サイモンさん、シュウが……」
「うん。立派な最期だったね。僕が見てきた中で一番素晴らしい呪いだったよ」
「…………!」
サイモンさんの言葉に、私は胸がいっぱいになりすぎて、また涙が溢れてきた。
「君は、まだ呪い魔術は怖いかな?」
泣き止めない私に、サイモンさんが穏やかに尋ねてきた。
頭の先が痺れてジンジンする。まともに何かを考えられそうになかった。
でも、これだけはハッキリと分かった──
「いいえ、全然怖くないです……」
呪い魔術がこんなにあたたかいものだったなんて、私は知らなかった──