表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/17

ただのエヴァ

「マダムーッ! やっと解放されたのよ!! 私は自由っ!!!」


 王都一の占いの館「ルナテミス」の事務所で、私はテンションも高く両手を上げてくるくると回った。

 母様に似た紫がかった淡い水色の髪が、バサバサと跳ねる。ここ数年は碌に手入れもできてなかったから、毛先がパサついてるし、ほとんど伸び放題だった。


「おめでとう。ステラちゃんもこれでやっと自分の人生を歩めるわね」


 艶やかな漆黒の髪に、芳醇なワインレッド色の瞳をした美女が、長いパイプから紫煙を燻らせて微笑んだ──この占いの館を取り仕切るマダム・アンタレスだ。


 私、エヴァは、ルナテミスで占い師「ステラ」として、息抜きも兼ねて時々こっそり働いていた。


 マダム・アンタレス自身も「直感」スキルの持ち主で、この道五十年のベテラン占い師だ。

 私のスキル「占い」を見抜いて、この道に誘ってくれた大恩人だ。



 ダルトン子爵家を追い出された後、私は水魔術で服や髪を乾かして、すぐさまルナテミスの事務所に向かった──私があの家を追い出されることは、自分の「占い」スキルでとっくに分かっていたことだったからだ。



***



 何ヶ月も前に、私は気まぐれに自分の将来を占ってみた。


 展開されたタロットカードを見て、はじめは自分で自分の占い結果が信じられなかった。

 私はダルトン家の長女で、祖父から直接、父の次の当主だと指名されていたからだ。実質、私が当主として仕事をしていたし、父でもこの指名は覆せないと思っていた。


 はじめは無理やり押し付けられた当主代理の仕事だったけれど、仕事を通して、一緒に領地経営を頑張ってくれる仲間ができた。母様が亡くなった後も、私のためにダルトン家に残ってくれた使用人もいた。


 そんな彼らを残してダルトン子爵家を出ていけないと思ったし、さらには、自分が築いてきた大事なもの全てを、父や義母や義妹に横から掻っ攫われることが、すごく悔しくてやるせなかった。


 でも、自分の占いの的中率は、自分でもよく分かっていた。


 だから、どうしても割り切れなくて、私はマダムに相談した。



 マダムも、改めて私のことを占ってくれた。

 広げたタロットカードをさらりと眺めると、穏やかな表情で、シンプルに質問してきた。


『ねぇ、ステラちゃん。ダルトン家の当主になることが、あなたの本当の幸せかしら?』

『マダム……』


 占断を何も言われないってことは、きっとマダムの占いの結果でも……


『お祖父様の遺言通りに家を継ぐことを、ステラちゃんは本当に心から望んでいるの?』


 長男だから、長女だから、次期当主に指名されたから、そうなる──貴族社会では当たり前のことすぎて、「自分が本当に心から望んでいるのか」なんて考えたことも無かった。

 それに──


『でもそうなると、また円卓の魔女の家系が消えちゃいます……』


 ダルトン子爵家は「円卓の魔女」の一角だ。

 円卓の魔女は、ドラゴニア王家を建国当初から支えてきた魔術師の家系で、当初は十三家あった。お家断絶なんかがあって、今では五家しか残っていない。

 でも、今でも定期的に円卓の魔女の家系の当主が集まっては、情報交換をしている。


 当主の仕事を私に全て押し付けていた父は、円卓の魔女のことはおそらく知らないと思う。

 円卓の魔女会議でも、父が参加したことは無いって聞いていたし。


『時代よねぇ、仕方ないわ。何でも物事は移り変わるし、どんなに栄華を極めても、最後は終わっていくものよ。ダルトン家もそう、円卓の魔女もそう』


 マダムは、一度広げたカードを元の束に戻して言った。


『…………』

『まだ時間はあるわ。ゆっくりステラちゃんの気持ちを整理していけばいいのよ』

『……私があの家に残ることは……?』


 私がどうしてもハッキリさせたくて訊くと、マダムは小さく首を横に振った。


 マダムがカードの束をテーブルの端に避けようとして、一枚だけひらりと落ちてきた。


『ああ、そう。さっきの占いでもそうだったけど、ステラちゃんに出ていたこのカードがとても印象的だったの』


 マダムは、一枚だけ落ちてきたカードを、スッと私の前に置いた。


『愚者』

『そう、新たな出発ね』


『愚者』は、新緑のように瑞々しい緑色の服を着た人物が描かれたカードだ。その表情は真っ直ぐ堂々と前を見つめていて、まるで今にもカードから飛び出してきそうな躍動感のある絵柄だ。


……身一つで新しい世界に飛び込む……


 今まで築いてきたものも何も持たない旅立ち。

 自由で何にも縛られない分、何者でもない。だけど、そこに無限の可能性がある……


『はぁ……』


 私は両手で自分の目元を覆った。

 私も占い師だ──カードが私に何を伝えようとしているのか、痛いほどよく分かった。


──愚者のようにバカになってさ。何も考えずに、飛び込んじゃえよ。新しい世界に──


『何もいじわるで、このカードが出ているわけではないのよ。あなたの進む道がここにあるということを、カードはただ示しているだけだから』

『……そうですよね……』


 マダムに優しく諭すように言われ、私はただ頷くことしかできなかった。



***



「幻の占い師ステラもついに常勤ね。ステラちゃんはよく当たるし、お客様からも人気が高いから嬉しいわ……でも、今日はしっかり休んだ方がいいわね。私の家の場所は分かるわよね? これが合鍵よ」


 マダムはにっこり微笑んで、鍵を一本渡してくれた。


 何ヶ月もかけて、私は独り立ちの準備を進めていた。

 生活が落ち着くまでは、しばらくマダムの家でお世話になることも約束していた。


「ありがとうございます。鍵、お借りしますね」


「好きなだけ居てくれていいわよ」


 事務所を出がけに不意にマダムに声をかけられて、私はなんだか急に胸がいっぱいになった。ぺこりとお辞儀だけして、逃げ出すように事務所を飛び出した。



 マダムの家は、お店から少し離れた王都の郊外にある。

 小さな庭付きの一軒家だ。


 ハーブとじゃがいもだけの、ささやかな家庭菜園。

 常連のお客さんからもらった淡い紫色のミニバラは、根が生えてきたため小さな植木鉢に植え替えられている。

 お隣さんとの境目に生えているのは、ブルーベリーの木だ。


 煉瓦造りの家はこまめに手入れがされていて、ポーチは綺麗に掃かれている。


 私はマダムから預かった鍵を差し込んだ。

 苦もなく回すと、カチャリと音を立てて扉が開いた。


 中に入ると、あたたかい陽だまりと同じ、なんだかいい匂いがした。


 荷物を運んだりするのに、何度か通ったマダムの家。

 私はあらかじめ相談して決めていた、一階の元物置部屋に向かった。


 ベッドと小さなクローゼットだけが置いてある簡素な部屋だ。


「……ふぅ……」


 私はとりあえずベッドに座った。ずっと緊張しっぱなしだった分、自然と大きな溜め息が漏れる。

 今日はいろいろありすぎて、気持ちの方はもういっぱいいっぱいだった。


 家を着の身着のまま追い出されるなんて、いくら心の準備をしていたとしても、実際に体験することには敵わなかった。



『エヴァ。落ち着いた?』

「クロ……」


 私の足元の影から、子猫のような使い魔のクロが飛び出して来た。

 薄い金色の瞳で私を見上げて、念話で語りかけてきた。


『サンドイッチ、食べる?』

「うん」


 クロが一つしかないベッドの上に飛び乗って、かごに入ったサンドイッチを魔術で出してくれた。


 この部屋にテーブルは無いから、行儀は悪いけどベッドの上で食べるしかない。

 サンドイッチにかぶりつくと、一気に緊張の糸が切れて、ぶわりと涙が浮かんできた。


『エヴァ?』

「…………あんなに頑張ったのに、全部、なくなっちゃった」


 ポロリと本音がこぼれ落ちた。

 マダムの前では、心配をかけたくなくてわざと元気な振りをしていた。


 ダルトン家では……あんな家で、あんな人たちがいる所で、涙なんか見せたくなくて強がってはいたけれど、やっぱり無理だったみたい……


『うん』

「ニコラスを屋敷に置いてきちゃった。領地の人たちも、せっかく一緒にここまで頑張ってきたのに、これからだったのに……」

『うん』

「あの人たちは、彼らに何にもしてあげられないんだよ……私がいなくなったら、領もあの家も…………」


 三年間、頑張った。

 はじめは押し付けられたものだった。

 でも、領民たちと接していくうちに、彼らを守りたいと思うようになった。


 そして、領を発展させて、彼らを守ることも私の仕事になっていた。


『でもそれは、エヴァのせいじゃない』


 クロが、猫背なのにしゃんと背筋を伸ばして、私を見つめた。

 私と同じ薄い黄色の瞳と目が合う。


『本来はハリーが負うべきだった。ハリーが招いた結果だ』


 クロがザリッと私の頬を舐めた。

 しょっぱそうに目をつぶる。


 私は、ヒクッと鼻をすすって、熱い息を不器用に吸った。


『ニコラスにも、エヴァはできるだけのことをしてあげた。領民にも、ハリーにめちゃくちゃにされたものを、まともにしてあげたんだ』


 クロはフイッと背中を向けた。

 トンッと、ベッドから軽やかに下りて床に着地する。


『エヴァはもういい加減、あの家から解放されるべきだ』


 クロはそう念話で伝えると、トプンと影の中へと沈んでいった。


 私を一人きりにしてくれたみたい。



「ゔぅっ…………うわぁあああぁ〜〜〜ん!!!」


──あの家の何もかもが、ただただ私には重かった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ