入塔試験(実技)
「すーっ、はーっ……」
私は自分の部屋にある物書き机のところで目を瞑り、ゆっくりと呼吸をして気持ちを整えた。
物書き机の上には、一組のタロットカードが束になって置かれている。
私は自分の気持ちが整ったのと同時に、カードの束に手を伸ばし、机の上でぐるぐるとかき混ぜるようにシャッフルを始めた。
心には一つ──「今日の試験についてアドバイスをください」と思い浮かべて。
今日は、ドラゴニア王立特殊魔術研究所の実技試験の日だ。
私はなんとなくアドバイスが欲しくて、一枚だけタロットカードを引くことにした。
意識を集中させたまま、カードをまた一つの束に戻す。
カードを三つの山に分けて、適当な順番でまた一つの束に戻す。
そして、左手にカードの束を取ると、上から六枚カードを捨てて、七枚目を物書き机の上に伏せて置いた。
神妙な気持ちでそのカードをめくると、『塔』のカードだった。
私の最初の感想は──「いや、確かに塔を目指してるのだけれど」と、思わず苦笑いが溢れた。
『塔』のカードは、堅牢な塔が背景の激しい稲妻とドラゴンの口から吐き出される炎によって崩れかけている絵柄だ。空にはオリーブの枝を咥えた鳩も描かれていて、「どんなトラブルがあっても心の平和を保つことの大切さ」や「チャンスの到来」を表している──そう、このカードは、「衝撃」や「突発的」みたいな「急激な変化」という意味合いが強いけれど、それはプラスにもなるしマイナスにもなるのだ。
「……いきなりの変更とかトラブルがあっても、慌てないようにしないとね……それに、『塔』ということは、塔の煉瓦のように今まで積み上げてきたものがあるということだし、カードの絵柄もかなり勢いがあるから、『今まで特訓してきた成果を、思いっきりぶつけてきなさい』ということかしら……?」
私はじっとカードを見つめて、心に思い浮かんだことをとにかく口に出した。そうすることで、タロットカードが私に伝えたいメッセージをハッキリさせるのだ。
私は時々、タロットカードの一枚引きをするようにしている。
以前は練習も兼ねてほぼ毎日引いていたけれど、ダルトン子爵家の当主代理の仕事をするようになってからは、気持ちに余裕が無くなって疎遠になってしまっていた。
タロットカードの一枚引きは、ハートネット家に引き取られてから復活した習慣だった。
一枚引きはシンプルだけど、とっても使い勝手のいい展開法だ。
単純な「Yes」「No」を知ることもできるし、「本日のアドバイス」から「今日一日はどうだった?」や「相手の気持ち」みたいな状況把握まで、自由自在にいろいろカードに訊くことができる。
その時、私の影から使い魔のクロがのっそりと出てきた。
両方の前足を突っ張ってしなやかに伸びをすると、くわっと小さな口を大きく開けて半分眠たそうにあくびをする。
『エヴァ?』
「うん? クロ、おはよう」
『おはよう。緊張してる?』
「もちろんしてるわよ〜」
私が苦笑いして答えると、クロがぐりぐりと小さな頭や鼻先を押し付けてきた。
『エヴァ、きっと大丈夫』
「うん、ありがとう!」
私は子猫のように可愛らしいクロに、ほっこりと癒された。
なんだか今日は一日、しっかりやれそうな気持ちになった。
***
試験会場は、王宮魔術師団が入っている建物内だった。
王宮の敷地内にある赤煉瓦積みの建物で、一棟丸々を王宮魔術師団が使用しているらしい。
実技試験に入る前に、小さな会議室で私の魔力量と魔力属性の測定が行われた。
魔道具を使った測定で、久しぶりに受けたけれど、魔力属性は火水風地の四大と呪いで、魔力量も上級並みだった──幼い頃に測定した時と特に変わりはなかった。
測定が終わると、すぐに私は建物の中庭にある訓練場へと案内された。そこで実技試験が行われるみたい。
中庭には、入り口から十メートル程先のところに盛り土がされていて、いくつも的が置かれていた。
中庭を囲うように結界が張られているらしく、誤って建物の方に魔術が飛んでいっても、余程威力のある上級魔術でなければ被害は出ないようになっているみたい。
今日は実技試験があるから、一時的に訓練場の使用は禁止されているらしい──ただし、ここは王宮魔術師団の建物の中庭だ。前後左右を囲む建物の窓や廊下から、私の試験の様子は見学できてしまうみたいだった。
ぐるりと上を見回せば、思いの外、見学席は大盛況で、私の心はガクブルと震えていた。
しかもイレギュラーなのは、それだけじゃなかった。
「ハートネット嬢、お久しぶりです」
さらりと輝く長いプラチナブロンドに、深い紫色の瞳をした冷ややかな美貌が、穏やかに微笑んだ──イリアス・ブレイザー魔術師団長だ。
「ごきげんよう、ブレイザー魔術師団長」
私は淑女のように微笑んで、にこやかに挨拶を返した。
「今日は私と副団長のユルゲンが試験官を務めさせてもらいます」
「……!?」
ブレイザー魔術師団長のとんでもない一言に、笑顔を作った自分の頬がピキリと固まるのが分かった。
「副団長のユルゲン・アルブレヒトです。フレデリカ団長がまさか弟子を取られていたとは……本日は楽しませていただきますよ」
ブラウンの髪を長く伸ばした見た目三十代半ばくらいの魔術師が、にこやかに挨拶してくださった。
副団長様は一体、何を楽しみにされてるのかしら!?
私はただ試験を受けに来ただけなのに!
そう、今日こんなにも実技試験の見学者が多いのは、魔術師団長と副団長が揃って試験官を担当しているから──建物の窓や廊下で見学しているギャラリーからは、「お二方が揃って試験官をされるなんて、初めてじゃない?」とか「あれがフレデリカ団長の弟子か?」みたいなお喋りが聞こえてくる。
そして、王宮魔術師団の魔術師たちの興味本位やら嫉妬やらいろいろな視線が私に突き刺さった。
…………ヒィイイイィイイッ! 魔術とは全く関係ないところで、プレッシャーが半端ないんですけど!!!
私が内心慌てていると、不意に今朝引いた『塔』のカードが思い浮かんだ。
そうだったわ!
今日は突発的なイレギュラーが発生する日!
私の心の中では、オリーブを咥えた鳩が「平常心、ポッポ〜!」と鳴いて飛び回った。
「ちなみにフレデリカ様からは、『私の弟子だから、思いっきり試してくれていい』と言伝を承ってます」
ブレイザー魔術師団長が愉しそうにニヤリと微笑んだように見えた気がした。
フレデリカ様!?
なぜ大切な実技試験の難易度を上げられたんですか!!?
私はハートネット家で新しく見繕ってもらった杖をキュッと握り締めて、深呼吸をした。
頭の中で「平常心、ポッポ〜!」の声が鳴り響いて、私は覚悟を決めた。
***
魔術師団の訓練場で、一人の少女が魔術を連発していた。
彼女は淡く紫色がかった水色の髪を振り乱し、動く的を魔術で正確に撃ち抜いていった。
ファイアボール、ウォーターランス、ウィンドカッター、ストーンバレットと、器用に次々と手を変え魔術を変えて放っていく。
彼女の試験を見学している魔術師たちからは、時々「おぉ」と感嘆の声が漏れ出ていた。
「へぇ〜、あの子がうち志望の子?」
試験会場が見渡せる三階の廊下の手すりから、色鮮やかな山吹色の髪をした大男が身を乗り出していた。
暗い紫色の王宮魔術師団の制服とは異なる軍服風の全身黒の制服を身にまとっていて、ガタイも非常にたくましく、その威圧感は異様だ。
「そうだ。エヴァ・ハートネット伯爵令嬢だ」
大男の隣には、彼と同じ制服の上に黒い立派な魔術師のケープを羽織った細身の男性がいた。深紅色の髪と瞳をしていて、その面立ちは繊細に整っている。
「何度か黒の塔に来てた子だな」
「いたのか?」
大男がぼやくと、細身の男性が彼を見上げた。
「見てはいないが、匂いで分かる。セルゲイの研究室ぐらいにしかいなかった」
「彼女は、元魔術師団長のフレデリカ・オルティス侯爵の弟子だそうだ」
細身の男性が、エヴァの素性を軽く説明した。
「ほーん」
大男が間の抜けた相槌を打つ。
「魔術の腕前は悪くないな。術の発動はスムーズだし、威力も安定してる」
「実技は特に問題なさそうだな」
大男のエヴァの評価に、細身の男性が小さく頷いた。
「この分だと、面接が楽しみだな」
細身の男性が溢した。
「そろそろ業務に戻りますか?」
「ああ、そうしよう」
大男に訊かれ、細身の男性が頷いた。
──次の瞬間には、二人は王宮魔術師団の建物から消えていた。