sideダルトン子爵家(アラン・ロッドフォード視点)
俺はアラン・ロッドフォード。ロッドフォード伯爵家の三男だ。
今日は婚約者のミア・ダルトンの父であるハリー・ダルトン子爵に呼ばれ、王都にあるダルトン家のタウンハウスに訪れていた。
ダルトン子爵直々に呼ばれることは滅多にない。俺は何か不手際があったか、それとも何か別の大事な用事かと、慌てて馬車を走らせた。
ダルトン家に着くと、ゴテゴテした壺や装飾品がこれ見よがしに置かれたいつもの応接室に通された。俺はソファに座り、しばし待った。
態度のあまりよろしくないメイドが淹れた紅茶に口をつけようとしたその時、応接室のドアがノックされた。
「おお、アラン君、よく来てくれたね!」
「ダルトン子爵! どうもご無沙汰しております」
ダルトン子爵が大らかな笑みを浮かべ、機嫌良さそうに応接室に入って来た。
俺もすぐさま紅茶を置いて席を立ち、ニコッと爽やかな笑顔を作って挨拶をした。
改めてダルトン子爵に席を薦められ、俺はまた同じ場所に座った。
「いやぁ〜、ミアからアラン君はとても優秀だと聞いているよ。それで折り入ってお願いがあるんだ」
「はい、何でしょうか?」
ダルトン子爵は、新たにメイドが淹れた紅茶に口をつけた後、早速話題に入られた。
それにしても、ミアはダルトン子爵にそんなことを言っているのか。やはりミアはエヴァとは違って人を見る目があるな。
「ミアがダルトン家の家督を継ぐだろう? そしてアラン君は、ミアのサポートについてもらう予定だ」
「そうですね」
ドラゴニア王国では、女性でも貴族家の家督を継ぐことができる。
この国では王族に火竜の血が流れ、火竜はより強く優秀な者がトップに立つという──ドラゴニア王国ではこれに倣い、生まれた順番ではなく兄弟姉妹の中で一番優秀な者が家督を継ぐことが多い。それには性別は関係なく、過去には女王がこの国に君臨することもあった。
ただし、兄弟間であまり力量に差がなければ、生まれ順が採用されることもしばしばだ──なお、ロッドフォード家はこれに当たる。
俺は運がいいことに、ミアの──貴族家の当主となる女性の婚約者になれた。
将来の伴侶が当主になるのであれば、俺がそのサポートにつくのは当たり前のことだろう。
「ミアにもそろそろ当主の仕事を引き継ぎたいのだが、あの子は天真爛漫すぎてな。少し手こずっているようなんだ」
ダルトン子爵は、少し困ったように言われた。
まぁ、ミアの性格上、細かい書類仕事は苦手そうだな。
俺は、ミアが大きな瞳をうるうると涙で滲ませて見上げてくる愛らしい姿が容易に想像できた。「アラン様ぁ、ミアできないの。助けて〜」と。
「そこでだ! アラン君にはミアの当主代理の仕事を手伝ってもらいたいのだ。将来的には、ミアと君の二人でこの家を継いでもらうことになる。追々とは思ってはいたが、早めに仕事に慣れてもらうのもいいかと思ってな」
ダルトン子爵は申し訳なさそうに眉を下げ、広い額の汗をハンカチで拭いつつ言われた。
確かにそういうことであれば、やぶさかでもないな。
結局、最終的に俺はこの家に婿入りしてミアを手伝っていくわけだし、それが想定よりも早まるだけだ。
──それに、ここで優秀な俺が力を発揮してミアをサポートすれば、ミアは俺にますます惚れるだろうし、俺を頼らざるを得なくなる。そうすれば、俺のダルトン子爵家での立ち場も盤石になるな。
「ええ、そういうことであれば構いませんよ。いずれはダルトン家に入ってミアをサポートする立場ですし、是非お手伝いさせてください」
俺は下心が悟られないよう、できる限り愛想良く答えた。
***
俺は早速、ダルトン家の執務室の方に案内された。
執務室は、奥の窓際に大きなデスクが一つあり、壁際には扉付きの大きなキャビネットがいくつも置かれていた。
パッと見、部屋の中もデスクも綺麗に整えられていて、使い心地の良さそうな部屋だった。
ダルトン子爵は「細かいことは彼に訊いてくれ」と、若い執事を紹介してすぐに部屋を出て行った。
年若そうな執事は、ダルトン子爵が出て行った後、睨むような視線で俺を見つめてきた。ボソボソと小声で「……よろしくお願いします」と、全く歓迎していないような雰囲気で言われた。
──全く、メイドといい執事といい、ダルトン家はなぜこんな者をいまだに雇っているのか……以前はこんな風にではなかったはずだが。
まぁ、俺がこの家に入って実権を握ったら、即クビにしてるだろうな。
執事は名前をジャンといい、やけに仕事がトロかった。説明を求めても曖昧で、資料を求めても出てくるまでにかなり時間がかかり、それでいて態度は最悪だった。
さらには、執事の癖にやけにいい身なりをしていた。髪型はまるでこれからどこかに出掛ける予定があるかのようにキメられ、シャツのカフスボタンには宝石がはめられていた。近づけば、プンプンと香水臭い──とにかく胡散臭い奴だった。
この日はろくな説明も受けられず、作業も進まずに日が暮れてしまった。
翌日、俺はまたダルトン家を訪れた。ミアの仕事を手伝うためだ。
だが、執務室の中には誰もいなかった。
「昨日の執事は……?」
俺は執務室まで案内してくれたメイドに確認した。
「ジャンでしたら、田舎に帰ると言って昨日辞めました」
メイドは眉をしかめて、ダルそうに答えた。
「何だって!!?」
昨日の今日で辞める奴がどこにいる!?
俺はほとんど何も引き継ぎを受けていないんだぞ!?
態度の悪いメイドを睨みつけたが、彼女は「仕事がございますので」とか何とか適当なことを抜かして、そそくさと逃げて行った。
「おいおい、俺にどうしろと……?」
俺は一人残された執務室で途方に暮れた。
とにかく何かしなければと、執務室内にある書類を漁ることにした。
この後、十分も経たないうちに、俺はこんな仕事を引き受けた昨日の俺を殴り飛ばしたくなった──
***
「何かね、アラン君? そんなに急いで……」
「とにかく大変なんです! すぐに執務室に来てください!」
俺は屋敷内でダルトン子爵を見つけると、その腕を掴んで執務室まで引っ張って来た。普段ならあり得ないことだが、今は緊急事態だった。
執務室は、床にまで書類が散らばっていた──ただ俺がキャビネットの扉を開けただけで、無理やり詰め込まれていた書類や手紙なんかが雪崩を起こしてばら撒かれたんだ。
あの執事、見た目だけ仕事をしているかのように整えて、実質何もやってなかったんだ!!!
「なっ、これは……?」
ダルトン子爵が驚愕の表情で床に散らばる書類を見つめていた。
「あの執事、何一つ仕事をしていなかったんです!」
「なっ!?」
「それに……!」
俺は動揺しまくっているダルトン子爵を連れて、執務机の裏まで引っ張って行った。
デスクの足元には、小さな金庫が置かれているが──
「な……」
ダルトン子爵は両手をブルブルと震わせながら、膝から崩れ落ちた。身を屈め、扉が開けっ放しの金庫の中身を覗き込む。
そこには何も入っていなかった。
「……ここには、いつも金が入っていたはずだが……」
「おそらく、あの執事が持ち逃げしたのでしょう」
呆然と口にするダルトン子爵に、俺はイライラと答えた。
そもそもこんな状態になるまで放置していたのも、目の前のこの人が原因だ──全く今の状況を把握してないということも、そういうことなんだろう……
「そういえば、ミアはどうしたんですか?」
「……あ、あの子は今日は茶会に……」
チッ。こんな大事な時に茶会なんて。
この時の俺は、これから降り掛かってくる災難にまだ気づいてはいなかった。