呪い返し1
今日はセルゲイに呪い返しを教えてもらう約束の日だ。
オルティス侯爵家に到着すると、すぐに離れの方に案内された。セルゲイが出迎えてくれたけれど、ものすごくいつも通りの彼だった。
今日は黒の塔に出勤するからか、セルゲイは軍服風の真っ黒な塔の制服姿だった。
フレデリカ様によく似た見事な金髪は、瞳と同じ青色のリボンで研究の邪魔にならないようにまとめていた。
先日のルナテミスでのことは夢か幻だったんじゃないかって思えるくらい、セルゲイは平然としていて、いつも通りの無表情寄りの表情で、雰囲気も淡々としていた。
私たちは、また離れの奥の部屋にある転移魔術の陣から、黒の塔のセルゲイの研究室に移動した。
セルゲイの研究室に到着すると、作業机のところでシュウともう一人、初めて見る男の人が談笑していた。
「サイモン! いつの間に……」
セルゲイが目を丸くして声をかけた。声のトーンは、珍しくどこか親しげだった──そんな姿、初めて見たかも。
「やあ、セルゲイ」
私たちに気づいた男性が、こちらを振り返った。
セルゲイに柔らかく笑いかける。
彼は青紫色の髪を長く伸ばしていて、かなり細身の男性だ。顔立ちは整っているのだけど、頬も薄くて少し痩けている。まるで外に出たことがないかのような日光を知らなそうな青白い肌をしていて、余計に不健康そうに見える。
でも、色鮮やかな黄金色の瞳は、室内の明かりで煌めいていてすごく印象的だ。
セルゲイと同じ黒の塔の制服を着ているから、塔の魔術師なのかも。
「シュウに呼ばれたんだ。話し相手になって欲しいって」
「最近のセルゲイは忙しすぎて、全っ然構ってくれないんだ!」
サイモンさんが少し困ったように言い訳をすると、彼の隣でシュウが同調するように空中でぴょこんと跳ねた。
「そっちの子は? 見かけない子だね」
「俺の研究を手伝ってもらっている、エヴァ・ハートネット嬢だ」
「エヴァ・ハートネットです」
サイモンさんに訊かれて、セルゲイが私のことを紹介してくれた。
私も淑女らしく微笑んで挨拶をする。
「へぇ、君も呪い属性持ちなんだね。僕はサイモン・バールです。セルゲイの先輩だよ」
サイモンさんは微笑んで挨拶を返してくださった。
「えっ……そうですね。でも、バール魔術伯爵は、なぜ私が呪い魔術に適性があると分かったのですか?」
「サイモンでいいよ。……そうだね、なんとなく分かるんだ」
私がびっくりして尋ねると、サイモンさんはたださらりと一言だけそう言った。
……さすが黒の塔……規格外の魔術師が多いって、本当のことなのね。普通、魔道具で調べるか、鑑定魔術でも使わない限り、誰にどんな魔術適性があるのかなんて分からないのに……
私が驚いていると、セルゲイがシュウに質問していた。
「シュウ、サイモンを呼ぶなんて、急にどうしたんだ?」
「そろそろ満願が叶うかと思って、サイモンに相談してるんだ! 俺はどんな呪いになれるかってな!」
「なっ……!」
シュウの想定外の言葉に、セルゲイが表情を強張らせてピシリと止まった。
「えっと、シュウ? それって、どういうことかしら?」
占いの館で先日、セルゲイからシュウのことについて話は聞いていたけれど、私はあえて知らないふりをして詳しく尋ねてみた。
たぶん、今のセルゲイだとショックで固まっちゃって訊けなそうだし……
「俺が呪い魔術になって、この世界に還るんだ!」
シュウはとっても嬉しそうな表情で、堂々と言い放った。ぶるぶると勢いよく震えて、真っ黒な身体から真っ黒な靄がもわもわと舞って出てくる。
「シュウは珍しいくらい大きな呪いの精霊だからね。ちょっとした呪いでは消えきれないからね」
サイモンさんが、シュウが魔術になって消えてしまうことをさも当然のように語って、私はとてもじゃないけど信じられなかった。
セルゲイも私と同じ気持ちみたいで、サイモンさんの方に真っ青な顔を向けていた。
「クハッ! しけたツラしてんじゃねぇよ、相棒! 呪いの精霊にとって呪いに還ることは、卒業みたいなもんだ。祝うもんで、悲しむものじゃないんだぞ!」
シュウは陽気にセルゲイの周りをぴょんぴょん跳ねて飛んで回った。
「……いや、だが……」
セルゲイは顔色も悪く、口をもごもごと動かしていた。
仲が良かったシュウといきなり「お別れ」みたいなことを言われて、心の方の処理が追いついていないのかもしれない。
「すまない、忘れ物を取りに行って来る」
セルゲイは急にくるりと方向転換すると、オルティス侯爵家の離れと繋がる魔術陣の方に小走りで駆けて行った。私たちが止める間もなく、サッと魔術陣が光って、セルゲイは消えてしまった。
「あっ、セルゲイ!? ……行っちゃった……」
えっと……私、セルゲイが戻って来るまで置いてけぼり?
……でも、まぁ、今のセルゲイには気持ちの整理も必要よね……
「セルゲイも行ってしまったし、こっちに来て座りなよ。しばらくは戻らないと思うし」
サイモンさんに手招きされて、私はとりあえず作業机の所の空いてる席に座った。
「俺、セルゲイにも祝ってもらいたかったんだけどな……」
「仕方がないよ。人間は僕たちとは感覚が違うから」
シュウがしょんぼりと呟くと、サイモンさんが慰めていた。
シュウはガッカリしたようにふらふら飛んで、作業机の上に着地した。
心なしか、シュウが載ってる部分の机の天板が、じわじわと黒ずんできているような……きっと、元からよね? うん、元からかも……
「そういえば、私、塔の魔術師を目指してるんです!」
とにかく今の湿った雰囲気を変えたくて、私は話題を変えてみた。あえて元気よく話を振ってみる。
「へぇ、君が?」
サイモンさんが、視線をシュウから私に向けた。黄金色の瞳の中には細やかな星がキラキラ輝いていて、興味深そうに私を見ている。
「エヴァは、セルゲイの研究を手伝う代わりに、呪い返しを教えてもらうんだって!」
シュウが私の代わりに説明してくれた。
「そうだね、この塔に入りたいなら呪い返しは必須だろうね。君なら他にもいろいろ呪い魔術は使えそうだけど」
「い、いえ! 呪い返しだけで十分です! 呪い魔術って、自分にも危害が及ぶんですよね? 私、そういうのは怖くって」
私が慌てて答えると、サイモンさんは「そっか、呪い魔術ってそう見られてるのか……」と感慨深そうに呟いた。
「僕は、呪い魔術は便利だと思ってるけどな。代償を用意すれば自分の実力以上の効果を得られるし、やり方次第では応用が効くからね」
サイモンさんが、彼の呪い魔術についての考えを語ってくれた。
私は「その『代償』が問題なんです!」とは言えずに、ただ苦笑いをした。
「サイモンさんはいつから黒の塔の魔術師をされてるんですか?」
「そうだね……百年くらい前かな? この塔では僕が一番の古株だよ」
「わぁ、そうなんですね! すごいですね!」
私はとりあえず当たり障りのない話題を振っていった。
サイモンさんは見た目はどこかホラー寄りでいろんな意味で少し怖そうだけど、人当たり良く答えてくれた。
「君はなぜ黒の塔を目指すのかな? 呪い魔術に適性はあるから、目指す分には問題ないとは思うんだけど、呪い魔術自体は恐れているみたいだし」
サイモンさんが私の目を見つめて、穏やかに尋ねてきた。
……確かに、はじめは魔術関係の仕事に就きたいけれど、王宮魔術師団には元婚約者や義妹がいるから避けたいっていう理由だった。
黒の塔──ドラゴニア王立特殊魔術研究所に狙いを定めたのも、新たにそういう選択肢があると知ったってことと、「王宮魔術師団じゃない」っていう理由が大きい。
でも──
「最近、私は王国騎士団と王宮魔術師団の合同の魔物討伐作戦に参加したんです」
「へぇ?」
私の話を、サイモンさんは真面目な顔で聞いてくれていた。
「それで、実際に魔物と対峙したんですけど、私は戦闘タイプの魔術師じゃないなって、心底思い知ったんです」
あの時、確かに私はアイスサーベルに魔術を当てることができた。でもそれだってまぐれのことだし、戦場で元婚約者とばったり会ってしまって全く身動きが取れなくなってしまった──きっとこんなことが続いてしまえば、いつか戦場で命を落としてしまってもおかしくはない。
それに、フレデリカ様の魔術訓練は非常に実戦的で深い学びが得られるし、どんどん上達していく魔術を楽しいとは感じているけれど、私はその魔術を使って「戦いたい」とは思えなかった。
「私は魔術を戦闘に使うために磨くよりも、『知りたい』って思ったんです。魔術自体だけじゃなくて、魔術教育にだって興味もありますし、それから、自分のスキルについても──とにかく、戦うための魔術ではなくて、魔術を研究して自分の知識やできることを広げていきたいと思ったんです」
私はここ最近の出来事を整理して、今の私の考えを伝えてみた。
「知識欲か……確かに、君の場合は戦闘を生業にする魔術師団よりも、研究メインの黒の塔の方がしっくりくるだろうね」
サイモンさんは静かに相槌を打ってくれた。
私は三年前に父に当主代理の仕事を押し付けられて、家庭教師も解雇されて、それまで続けていた勉強もできなくなってしまった。
だからこそ余計に、「学びたい」「知りたい」って気持ちが強くなったのかも。
──その時、研究室の隅にある転移の魔術陣が光った。
「すまない、遅くなった」
まるで何事もなかったかのように、セルゲイが戻って来た。
普段からぶっきらぼうでそこまで表情豊かな方ではないけれど、ここまで気持ちを隠せるのも見事だわ、と私は感心してしまった。
「僕は自分の部屋に戻るよ」
サイモンさんが席を立った。「また後で来るよ」と言葉を残して、彼は研究室を出て行った。
「さぁ、呪い返しをやるか?」
「うん、お願いするわ!」
セルゲイが普段通りに訊いてきたから、私もいつも通りに答えた。




