セルゲイの研究2
黒の本はまたきっちりと封印をされて、元あった本棚に戻された。
セルゲイが戻って来ると、私はとりあえず訊いてみた。
「それで、私は何をすればいいのかしら?」
「そうだな……今までは占いスキル自体を観察するために質問内容は適当だったが、今回は『将来』について占ってもらおうか」
「分かったわ。将来のことを占うのね。ただ、一つだけ注意点があるわ」
「何だ?」
私が説明しようとピンと一本指を立てると、セルゲイが訝しげに尋ねてきた。
「タロットカードの将来予測は、だいたい今から三ヶ月、長くても一年くらいまでしか効力がないの」
「なぜだ?」
「タロットカードでの将来予測は、『今の状態のあなたを占った結果』なのよ。だから、たとえば占われる人の意識が途中で変わって、選ぶ選択肢が変わったとしたら、将来の結果はどんどん変わっていってしまうのよ」
占いの館「ルナテミス」でも、私が占っている途中から「今の状態のあなた」が変わっていくお客様を何人も見てきた。
私の占いを通して、クヨクヨ悩んで塞がっていた気持ちが整理できて前向きになったり、考えが整理できて今まで見えていなかった選択肢が見えてきたりすると、悩みで視野が狭くなっていたお客様が、全く新しい選択肢を選んで行動するようになる──そうすると、お客様の未来が変わっていくのだ。
結果として占い結果は外れてしまうけれど、私はそれでいいと思ってる──それは、お客様が「今の状態」を変えたからこそ掴み取った「新しい未来」だからだ。
こんな風に大きく変化する人もいるけれど、人間は基本的には「今まで通り」が大好きだし、ガラッと大きく変えることには抵抗がある。
とはいえ、日々の生活の中で小さな変化はいっぱいあるし、新たな気づきを得ることはままあることだし、周囲の環境自体が変化してしまうこともある。そうやって、少しずつ周りや自分が変化して、考え方や感じ方や価値観が変化していくことは普通のことだ。
三ヶ月、一年も時が経てば、「今の状態のあなた」は少なからず何かしらが変化しているはず──そうなると、タロットカードでの将来予測もどんどん変わっていくのだ。
「……そうか。ということは、黒の本のように『将来起こることを決める』という類のものではないのだな?」
「そうね。でも、『将来のことを扱う』という点では一緒だわ」
「そうか、その違いも考慮しないとだな……」
セルゲイは顎先に指を置くと、熟考するように押し黙った。
その間に、私は作業机のそばにあった椅子を引き寄せて座った。
悪いけど、机の上にあったインク壺や描きかけのスクロールなんかは、端の方に寄せて場所を開けさせてもらう。
私は持って来たポーチからタロットカードを取り出すと、作業机の上でかき混ぜるようにシャッフルを始めた。「セルゲイの将来について教えて」と心に念じながら。
いつものようにタロットカードの束を三つの山に分けてカットしたり、カードの束を上から六枚捨てて、七枚目のカードを一枚だけ表面を伏せて置いた。
「いきますよ?」
私はセルゲイとシュウに軽く確認した。
二人とも無言で頷く。
私がタロットカードをひっくり返すと、『恋人』のカードだった。
ローブを深くかぶった賢者の前で、手を取り合う白い人物と黒い人物が描かれたカードだ。まるで結婚式のバージンロードにいるようなシーンで、カード上部には目隠しをされたキューピッドが弓矢を引き絞っている姿が描かれている。
私は「ブッ」と吹き出しそうになったのを、すんでのところで思いとどまった。
一瞬だけ、以前セルゲイがルナテミスで私の占いを受けた後に、テーブルの上に残っていたタロットカードが思い浮かんだ──あの時も確か『恋人』のカードだった。
……落ち着いて、エヴァ。別に『恋人』のカードが出たからといって、なんでもかんでも恋愛とか結婚に結び付けて読み解くものじゃないから!
私はできるだけ表情に出ないように、冷静に、努めて冷静に、自分の気持ちを落ち着けようとした。気を鎮めるように呼吸を繰り返すと、バクバクと早鳴る鼓動が少しずつ穏やかになっていく。
「それで、どうなんだ?」
焦れたセルゲイが、何も知らない真面目な顔で訊いてきた。
私は占いの先生「ステラ」モードになって、お客様に接するように微笑んで顔を上げた。
「このカードは、タロットカードの絵柄の中で一番登場人物が多いんです。なので、特に人間関係を通じてセルゲイが今後成長していくということを示しています。たとえば、全く新しい人脈が広がったり、今までとは違った人間関係が築かれて、セルゲイの考え方や価値観に影響を与えて視野が広がることで、セルゲイの自分自身や周囲への理解が深まったりすることを示してます」
私が「ステラ先生モード」に入っているせいか、スラスラと言葉が流れるように出てきた。
もちろん、『恋人』のカードは「理想のパートナーとの出会い」みたいな恋愛や結婚の意味合いが強いカードだ。ただ、それを今この場で言うのは、なんとなく気が引けて言い出せなかった。
「ほぉ……」
セルゲイは、ただ静かに私の解説に耳を傾けていた。
特に当たっているとも、当たっていないともコメントは無かった。
将来のことを占っているから、まだ結果が見えてなくて仕方がないけど。
「まぁ、確かに。最近は君のように新しく誰かと知り合うことが多いな……」
セルゲイは印象的な青い瞳を伏せて考え込むと、何か思い当たったかのようにぽつりと呟いた。
「なぁ、なぁ! 俺のことも占ってくれよ!」
「いいですよ」
シュウがうきうきと私の周りを元気に飛び回った。
私は今度は「シュウの将来について教えて」と心に念じながら、セルゲイの時と同じようにタロットカードを引いた。
シュウのカードは、『女帝』だった。
青い蓮の花を胸に抱いた女性が描かれている。彼女は青い玉座に座り、まるで赤子を抱くように、たおやかに円を描くように腕を曲げたポーズをとっている。彼女のお腹は、妊娠しているかのようにふっくらと丸くなっている。
彼女は、彼女から見て左側を向いている状態だ。私たちからは彼女の横顔しか見えない。
「これはどういう意味なんだ!?」
シュウは今度は、『女帝』のカードの周りをくるくると忙しなく飛び回った。
「この絵柄の女帝は、妊娠しているんです。人は十月十日かけてお腹の中で赤ちゃんを育てて出産します。つまり、『長い間あたため続けてきたことが、日の目を見る時がくる』という暗示です。子供を育てるということは、とても大変なことです。なので、周囲の助けが必要です。『女帝』は、受け取ることがテーマのカードです。シュウがもし誰かの助けが必要なら、素直に周りの人を頼るといいです。頼られた人は、シュウのことをきっと助けてくれるでしょうし、シュウが求めているものも得られるでしょう」
私は『女帝』のカードについて説明した。
「クハッ。それはいいな」
シュウは嘲笑うように、でもどこか嬉しそうに笑うと、チラリとセルゲイの方に視線を向けた。
「……」
セルゲイは、無表情のまま黙ってシュウを見つめ返していた。
その場の沈黙がなんとも気まずくて、私はわざと明るい声で二人に尋ねた。
「ねぇ、他に何か訊きたいことはないかしら?」
「……いや、今日のところはもう大丈夫だ。魔力の様子も観察できたし、占いの内容も聞けたからな」
セルゲイが淡々と答える。
シュウも「ありがとよ」とからりと笑って、くるりと宙返りをした。
「あ。そういえば! 私、まだ呪い返しも習ってなかったけど、黒の塔に入って大丈夫だったかしら?」
私はとても大事なことを思い出した。
黒の塔は来客でさえも容赦なく呪われることがあるとの、もっぱらの噂だ。
呪い返しが使えない私は、きっと格好の的のはずだ!
「ああ、それなら大丈夫だ。俺の研究室には、部屋の外から呪いをかけられないように魔術を敷いてある。屋敷から直接黒の塔に転移する分には、塔の他の魔術師に会うことはないし、呪いをかけられることもないだろう」
セルゲイが、私の疑問に答えてくれた。
そっか! だから、わざわざオルティス侯爵家に私を呼んでから、黒の塔にあるセルゲイの研究室に転移魔術で向かったのね!
……ちゃんと私の安全のことも考えてくれてたんだ……
「そうだったのね。私に呪いがかけられないように気遣ってくれたのね、ありがとう」
私は素直にお礼を言った。
セルゲイは出会ってからずっとぶっきらぼうで、どこか距離があって少し冷たい印象があったから、あまり他人のことに興味が無いのかと思ってた。……でも、少し見直したかも。
それに、普通のことなんだろうけど、私のことを気にかけてくれたことが、ちょっぴり嬉しかった。
セルゲイは一瞬きょとんとして固まっていたけど、急に少し照れたようにそっぽを向いた。
「……帰るぞ……」
セルゲイは私に背を向けると、ぼそりと呟いた。長い脚でさっさと魔術陣の方まで歩いて行ってしまう。
結構不器用なのかもね、セルゲイって。
私は彼の後について、この研究室に来た時と同じ魔術陣の上に乗った。
隣を見上げると、すっかりセルゲイはいつもの無表情に戻っていて、なんだかちょっぴり残念な気がした。
私たちは、またオルティス侯爵家の離れに戻った。




