ダルトン子爵家の現状
私がフレデリカ様の魔術の授業を終えて、ハートネット家に戻って来たのは、日もとっぷりと暮れた後だった。
屋敷内に入るとすぐに、なぜかお義母様──ハートネット伯爵家当主の執務室の方に通された。
執務室に入ると、正面には立派な当主の机があり、お義母様が座られていた。
そして、ふと私は部屋の端に控えている使用人に目を向けた。
「ニコラス!? どうしてここに!?」
私はびっくりしすぎて大声をあげてしまった。慌てて気が付いて、自分の口元を両手で抑える。淑女としてあるまじきことだわ。
ダルトン子爵家の家令のニコラスは、いつものように白髪をきちんとなでつけて、ピシリと執事服を着こなしていた。
どこかやつれたような疲れた雰囲気をしていたけれど、久々の再会に笑顔で涙を滲ませていた。
「お嬢様! お元気そうで何よりです!! 以前よりも肌艶も良くなられて、お美しくなられましたね!!!」
激情家のニコラスが声をあげて、ボロボロと泣き始めた。ポケットからハンカチを取り出して目元を拭きつつ、「歳を取ると、涙もろくなってかないませんな」と呟く。
「ニコラスはハートネット家の新しい使用人よ。エヴァ直筆の紹介状を持ってきたの」
お義母様が、見覚えのある手紙を見せてくれた。
私のサインが入った紹介状には、随分と皺や汚れが付いていて、ニコラスがどんな思いでここに来てくれたのか察せられて、胸が締め付けられるようだった。
「ありがとうございます、お義母様!」
私は鼻の奥がツーンと痛むのを我慢して、お礼を言った。
「いいのよ。義娘が随分世話になったみたいだから。それに、彼は優秀で働き者なのでしょう?」
「はい!」
お義母様に訊かれ、私は目尻に薄らと浮かんだ涙を拭いつつ即座に頷いた。
ニコラスはずっとダルトン子爵家で仕えてくれて、ソフィア母様が亡くなられた後も、陰ながら私を支えてくれた人だ。心から信頼できる人だ。
「でも、ニコラスがハートネット家に来てくれたのなら、手紙で教えてくれればよかったのに……」
私はポケットから、使い魔のクロがサンドイッチと一緒に持って来てくれた手紙を取り出した。
手紙には、ただ「エヴァに縁のある人が、今ハートネット家に来ている」と連絡事項だけがそっけなく書かれていた。
「私がお嬢様の邪魔をしたくなくて、私の名前をあえて書かないでくださいとお願いしたのです。子供の頃から魔術の勉強をとても楽しみにされていたのに、ここ数年はそうすることも叶いませんでしたので」
ニコラスが、すっかり真っ赤になってしまった目元を三日月型に緩めて、教えてくれた。
確かにそうね。私だったらきっと、ニコラスがハートネット家で待ってるからと、魔術の授業を早めに切り上げてもらったり、彼にまた会えることが嬉しすぎて授業に集中できなかったかもしれない……
ニコラスの気遣いに、また胸がじーんと震えた。
「そ、そうだったのね……! ありがとう!」
「ええ。お嬢様には、生まれた頃よりお仕えしておりますから。私めのことが気になって、勉強の方が手につかなくなることもお見通しですぞ」
ニコラスが朗らかに言われ、私は図星すぎて苦笑いするしかなかった。
ニコラスとの再会で昂ぶっていた気持ちが少し落ち着いてくると、私はふと今のダルトン子爵家の状況が気になった。
あの家を支えてきた家令が、出て行ってしまったのよね。それでちゃんとダルトン子爵家のことを回していけるのかしら……?
今さら追い出された家を気にするのもどうかとは思うけれど、同じ貴族として、他家の情報は握っていて損はない。
お義母様もそのつもりのようで、訊きにくい私の代わりに、尋ねてくださった。
「それで、ダルトン子爵家の今の状況はどうなの? もし、秘密保持魔術契約があって話せないようなら、言わなくて結構よ」
「その魔術契約は、先代当主のジェイコブ・ダルトン様がお亡くなりになられてからは、更新されておりません。ハリー・ダルトン様が当主になられてからのことでしたら、お話しすることが可能です」
ニコラスが、元家令らしく冷静に答えた。
……つまり、父がダルトン子爵家を継いでからのことは、何でもリークし放題だってことだ。
本来なら、貴族の家ではこういったことが起きないように、重要なことを知る立場にある使用人に対しては、どこからか秘密保持魔術契約が使える魔術師を引っ張ってきてでも、魔術契約で縛るものだ。魔術師家系なら特に。
「まずはどこからお話しをすれば……」
ニコラスが考え込むと、
「そうね。長くなりそうだから、座って話しましょうか」
お義母様が、私とニコラスに応接スペースのソファを勧めてくださった。
「そもそもハリー・ダルトンは、仕事をしているのかしら? 私が先日手紙を送った時も、何も音沙汰が無かったわ」
お義母様も応接スペースの席に座って、早速質問を始めた。
「ハリー様は、相変わらずお仕事は使用人に押し付けられてますね。エヴァお嬢様がいなくなり、お仕えする必要もなくなりましたので、私は暇をいただきました」
ニコラスが丁寧に答えた。
「今は誰がダルトン子爵家を回しているの?」
私も気になって、ニコラスに尋ねてみた。
「奥様の伝手で最近入ってきた、新米の執事が全て担当しております」
「……新米執事……」
私はよりにもよって、とガックリと肩を落とした。当主の仕事を新人に丸投げというのも無責任すぎるけど、何より彼は──
「以前から少々手癖の悪い者で目を光らせていたのですが、私が引退すると知って、嬉々として家令の仕事に名乗りをあげておりましたよ」
「あら、まぁ……」
ニコラスの追加情報に、お義母様が目を丸くして言葉を失っていた。
新米執事が一体何を喜んでいるのかは、火を見るより明らかだった。
父は、そんな信頼できない人物に大事な当主の仕事──引いては、ダルトン子爵家のお金を任せてしまっても大丈夫なのかしら?
まぁ、本人にそれができれていれば、こんなことになっていないのでしょうけど……
ともかく、もう私は追い出された人間だし、ダルトン子爵家については何も忠告することもできなかった。
「それから、正式にミアお嬢様が、アラン・ロッドフォード伯爵令息と婚約を結ばれました。もしダルトン子爵家が今後も残っていくようであれば、彼らが引き継がれるかと思います」
ニコラスがほの暗い笑みを浮かべて、報告をしてくれた。
……ええ、そうよね。
全く当主の仕事にはノータッチな父。
浪費癖の激しい元義母シエンナと元義妹ミア。
ただでさえ借金まみれのダルトン子爵家。
そこにトドメを刺すかのような、腹に二心ありそうな新米執事任せの運営。
何も知らない元婚約者のアラン様には申し訳ないけれど、ミアの方を選んだからには、責任を取って彼女と一緒に頑張ってもらいたいものだわ……
お義母様の方を見れば、ダルトン子爵家のあまりの惨状に、表情がすっかり凍りついていた。
「…………そう、ダルトン子爵家の状況はよ〜く分かったわ。彼らのことだから、自らで自らの首を絞めていきそうね」
お義母様は扇子で口元を隠した後、気を取り直すようにコホンと一つ咳払いをした。
「あら?」
パサリと、一枚のタロットカードが私の足元に落ちた。
驚いて拾い上げると、『吊るされた男』のカードだった。上下逆さまに磔られた男が描かれている。
「エヴァ、このカードは……?」
「『吊るされた男』のカードです。彼らに苦難の時が訪れるようですね。この絵柄みたいに、身動きが取れなくなるような状況になるみたいです……」
「まぁ……」
私がカードの説明をすると、お義母様は「そうなるでしょうねぇ」と甚く納得されていた。
「でも、彼らが窮地に陥るということは、もしかしたらエヴァを探して縋ってくる可能性もあるということよね? 窮鼠猫を噛む──本当に追い詰められた人間は、何をしでかすか分からないわ」
お義母様はパシリと扇子を畳むと、凛と言い放った。
「……そうでしょうか?」
私は、お義母様の意見には半信半疑だった。
長年の邪魔者だった私を追い出した時点で、彼らは十分満足しただろうし、追手も何もかからなかったから、もう完全に私のことは興味を無くして放って置かれたものだと思っていた。
「エヴァがいた時の方がダルトン子爵家がちゃんと回っていたのなら、子爵家が上手く回らなくなったと気づいたら、エヴァを連れ戻そうとするかもしれないわ。彼ら、勝手すぎるもの」
「……あ」
お義母様に指摘され、私も「確かに」と思った。
ニコラスの方を振り向けば、うんうんと激しく相槌を打っている。
「何か対策を講じなきゃね」
「はい……」
お義母様の言葉に、私は頭を抱えて頷いた。




