エヴァ・ハートネット伯爵令嬢
私のハートネット伯爵家での部屋は、ありがたいことに元々は母様が使っていた部屋になった。
普通の令嬢が好みそうなフリルやリボンやぬいぐるみがいっぱいの可愛い部屋にされていたらどうしよう、ってドキドキしていたけれど、部屋に入った瞬間に拍子抜けした──むしろ、ホッと安心した。
「ソフィアはあまりゴテゴテしたのは好まなかったのよ。エヴァもそうかな、って思ってあまり手は加えてないわ」
伯母様がそっと教えてくれた。
私の新しい部屋は、白と水色を基調とした爽やかでさりげなく可愛らしい部屋だ。
窓辺には白いレースのカーテンと、青空のような水色カーテンがかけられている。優美な猫脚のソファやキャビネットが置いてあり、大きなベッドは天蓋付きで、女性らしくて優しい雰囲気がある。
きっと母様もたくさん使ったであろう物書き机は、天板に少し傷が付いていて、艶のある飴色に輝いている。
「とても気に入りました。ありがとうございます!」
私はにっこりと微笑んでお礼を言った。
母様が使っていたままの部屋を残しておいてくれた伯母様の気遣いに、胸がいっぱいになった。
「何か入り用になったら、遠慮なく言ってちょうだい」
伯母様も、優しく微笑み返してくれた。
後日、私は正式に手続きをしてもらって、ハートネット伯爵家と養子縁組をした。
つまり、「ただのエヴァ」から「エヴァ・ハートネット伯爵令嬢」になったのだ。
グレース伯母様も「お義母様」に、アンソニー伯父様は「お義父様」に呼び方が変わった。
でも、フィン兄さんは変わらずにそのままだ。
お義母様もお義父様もずっと娘が欲しかったそうで、私のことは大歓迎してくださった。
私の髪色もハートネット家特有の少し紫がかった水色だから、四人で並ぶと家族みたいにしっくりと馴染んだ。
私がハートネット家に来てからしばらくは、マナーや教養や魔術のチェックをお義母様から受けた。
現状を知らなければ、私にどんな教育が必要なのか、どんな先生が合うのか決められないからだ。
「エヴァはマナーは一通り大丈夫そうね。ただ、少し荒いところがあるから、一回復習しておきましょうか」
「あはは……」
お義母様に鋭く指摘され、私は乾いた笑いを漏らした。
ダルトン子爵家で当主代理をしていた時は、「お淑やかなお嬢様」では通用しないことが多かったのだ。
子供だからと、女だからと舐められるわけにはいかなかったし、特に領地の管理人たちは荒々しい人が多かったから、自然と私もそれに倣うようになっていった。郷に入りては郷に従え──彼らに溶け込む方が、彼らの信頼も得られて仕事がしやすくなったのだ。
「はい、『あはは』ははしたないわよ。扇子も使いなさい」
「はい」
私は扇子を取り出して、スッと口元を隠した。貴族の子女らしく穏やかな作り笑顔を浮かべる。
「知識や教養の面は、むしろ詳しすぎるぐらいだわ。こちらは特に教えることはなさそうね」
「はい、大丈夫です」
私は貴族の子女らしく、努めて淑やかに答えた。
当主代理の仕事をやっていたから、やっぱりある程度の知識や教養は必要だ。そうじゃないと仕事にならなかったし、ものによっては、全く習ったことがないことを調べながら仕事をしていた。
実際に仕事を通して身に沁みて経験していたからか、物覚えも良かった。
「あとは魔術の確認ね。庭に出ましょうか」
「はい」
私たちは、屋敷の裏庭に向かった。
***
ハートネット家の屋敷の裏には、魔術用の小さな練習場がある。盛り土に的が置いてあるだけのシンプルな訓練場だ。
ここには、ちょっとした攻撃魔術を撃っても外に漏れ出さないように、結界魔術が敷かれている。
私は、ハートネット家にあった生徒が使う練習用の魔術師の杖を貸してもらった。
樫の木でできた、魔石も付いていない一般的な魔術師の杖だ。
魔術師の杖を使わなくても魔術は使えるけど、特に集中して魔術を使ったり、攻撃魔術を撃つ際に狙いを定める時にはすごく役に立つ。杖によっては、魔力量や威力を一時的に上げるものもあるから、使い慣れておいて損はない。
「まずは基礎魔術から撃っていきましょうか。エヴァは確か、四大魔術と呪い魔術に適性があったわね?」
「そうです」
「それでは、まずは四大魔術の基礎魔術を順番にあの的に当てていきましょうか。呪い魔術は撃たなくていいわ」
お義母様に促されて、私は的から少し離れた場所に立った。
呪い魔術は、特殊な魔術だ。
攻撃魔術みたいに直接魔術を当てて相手にダメージを与えるタイプではない。呪い魔術をかけた相手にダメージを与える対価として、自分も同じだけのダメージを受ける非常に特殊なものだ。
呪い魔術に適性がある人自体、人数が少ないし、教えられる人に至ってはほとんどいない。
私も呪い魔術に適性はあるけれど、今まで使ったことはなかった。
「まずは火魔術からね」
「はい! ……ファイアボール!」
私は貸してもらった魔術師の杖を振って、的の方に向けた。
魔力を練って呪文を唱えると、杖の先に小さな火の玉が現れて、的へ向かって飛んでいく。
ドコッ!
「あぁ……」
私のファイアボールは、残念ながら的から外れて盛り土の方に当たってへこみを作った。
何年もブランクがあるから仕方がないけど、威力もあまり出てなくてちょっとショック……
「あら、久しぶりにしては筋がいいわね。次は水魔術を撃ってみましょうか」
お義母様は的の方を眺めながら、褒めてくださった。
「はい。……ウォーターランス!」
私は負けじと、今度はもっとしっかり魔力を練った。
さっきよりも少しだけ大きくて威力のあるウォーターランスが、的に向かって飛んでいく。
そうして、風魔術と地魔術も同じように基礎魔術を的に向かって撃っていった。
久々に魔術を使ったせいか、四回も連続で魔術を撃てば、ぐったりと怠さが出てきた。
私が全て撃ち終わると、お義母様がパチパチと小さく拍手をしてくださった。
「お疲れさま、エヴァ。本当にしばらく魔術を使ってなかったの? どれも筋が良かったわ」
「……お義母様、ありがとうございます……ええ、あの屋敷で魔術を使うと、父に怒られたので。ここ二、三年はごく稀に水魔術を使うぐらいでした」
私は大きく息を吐いて、呼吸を整えてから答えた。
まだ自分の体の周りをぐるぐると忙しなく魔力が回っているような、不思議な感覚がする。
「そうだったのね……久々に魔術を撃てば疲れるわよね。お茶でも飲んで少し休みましょうか?」
お義母様は一瞬顔色をかげらせたけど、すぐに気遣って休憩に誘ってくださった。
お義母様に連れられて、私たちは屋敷の庭にある白いガゼボに向かった。
庭にはさまざまな種類の可愛らしいバラが咲いていて、ほんのり甘い香りがガゼボの方にまでふわりと香ってきた。
メイドがガゼボまで紅茶とクッキーを運んでくれた。
ダルトン子爵家ではおやつを口にする暇もなく働いていたから、久々にこうやってゆったりと休憩ができて、心から嬉しい。
紅茶に口をつけて少し落ち着くと、お義母様が話し始めた。
「魔術の先生についてだけれど、実は立候補してる人がいるのよ」
「えっ? 立候補ですか?」
お義母様が少し困ったように頬に手を添えて、教えてくださった。
私に魔術を教えたい人……?
以前の家庭教師の先生のことかしら?
「そうよ。彼女、ものすごく張り切ってるし、確かに実力者ではあるから断るのもねぇ……まぁ、実際に会ってみてエヴァが決めてちょうだい」
「彼女……?」
私が子供の頃に習っていた魔術の先生は、確か男性だったはず。
そうなると、私に思い当たる人物はいなくなる。
「ふふっ。きっとエヴァもびっくりするわよ。今度わが家に来る予定だから、楽しみにしてて」
私が首を傾げていると、お義母様がいたずらっぽく微笑んだ。
どなたかは分からないけど、実力者なら勉強のしがいがあるわ。
お義母様の紹介なら、きっと変な方ではないでしょうし。
とにかく、今はブランクで鈍ってしまった魔術の腕を取り戻すこと!
そして、魔術の腕を磨いて、ゆくゆくは王宮にある特殊魔術研究所の魔術師になることが目標ね!




