最初で最後の車椅子
僕の弟は、幼稚園にも小学校にも行ったことがなかった。
何故なら、弟は、ガンの病気を発症していたからだ。
僕の名前は、たける、小学校5年生だ。
僕には、小学校3年生の弟、たけおが居るが、たけおは小学校に行ったことがない。
小学校も、幼稚園にも行ったことがないのは、たけおは、ガンと言う名前の病気で、幼稚園に入園する前から病院に入院している。
延命治療だと、パパとママから聞いている。
病院のベッドでの延命治療の入院生活が、たけおの世界だった。
友達も居ない、ただ、病院のベッドの上で薬を飲み、点滴を受ける毎日・・・
ママは、たけおの世話で病院に付き添い、パパは、たけおの入院費用を稼ぐ為に家に帰って来ない。
僕は、祖父と祖母のお世話になって、毎日を過ごしている。
パパと祖父と祖母は、毎日、毎日、たけおは、いつ死ぬの? いつまで生きられるの?と、会話をしているのを、毎日、聞かされていたら、僕は、ガンは死ぬ病気だと知っているが、正直、死んでくれた方が嬉しいと思っていた。
何故なら、パパとママを独占している、たけおがキライだったからだ。
そして、今日も、小学校から帰宅して、祖母と一緒に、たけおの入院している病院に来ていた。
友達から、野球やサッカーのお誘いがあっても、全部、断らなければいけない全責任は、たけおの病気によるから、たけおをキライな要因にもなっていた。
ママも、祖母も、悲しい表情、対して、僕は、平然と、たけおの病室でテレビを観ていた。
「 なんで イヤホンで 再放送のアニメを観ないといけないんや 」
ちょっとしたことでも、たけおに対して、不満が爆発していた。
そんな時・・・
ベッドの上で、仰向けになって寝ていた、たけおが、お兄ちゃんである僕を呼んだ。
「 たける兄ーちゃん ジュースを飲みたくはないかい? 」
「 え? 」
驚いた、たけおに、お兄ちゃんと呼ばれたのは何年振りだろうか?
ママも祖母も、たけおの言動に驚いていた。
慌てて、たけおが仰向けになっているベッドの脇に立つ、たけおは、重症患者でも有り、個室の部屋だった。
個室の部屋の入院費用を稼ぐ為に、パパは、家に帰って来ない。祖父も、入室費用の足しにと、定年退職しているのにアルバイトに行っている。
それもまた、たけおがキライな理由の要因だった。
ベッドの脇に立つと、たけおが、僕に向かって指を指した。
「 そこに車椅子が置いてあるでしょ 僕を乗せて 病院の売店まで連れて行ってくれないかい? 」
たけおの発言に、僕も、ママも、祖母も驚いた。
当然、ママは、激怒する。
「 何を言っているの? この車椅子は売店に行く為に置いているんじゃないの 検査室に行く為に置いてあるの 」
祖母も、たけおを諭すように言った。
「 そうよ ジュースが飲みたいなら おばあちゃんが買ってきてやるから 」
しかし、珍しく、たけおは反論していた。
「 大丈夫だよ ママ 今日は 気分が良いし 身体が軽いんだ たける兄ーちゃんに 僕の大好きなオレンジジュースを飲ませてあげたいんだ 」
オレンジジュース?
パパとママに聞いたことがある、お医者さんの許可を得て、唯一、問題なく飲めるのは、病院の売店で販売されている紙パックの100%のオレンジジュースだと・・・
小学校3年生なのに、たけおは、炭酸ジュースを飲んだこともなければ、チョコレートも、ポテトチップスも食べたことがない。
ある意味、可哀想な... 弟だった。
たけおの顔を直視する、確かに、僕も喉が乾いた。
たけおの顔を直視していたら、たけおは、ママに訴えていた。
「ベッドから 売店に向かうのも 僕にとっては ある意味 冒険なんだし 体力もつけなきゃ... 」
毎日、毎日、寝ているだけの日々、病室の外に行ってみたいのだろうと、僕は思った
そして、僕は、ママと祖母に言った。
「 ママ おばあちゃん 大丈夫だよ たけおも大丈夫って言っているんだ 僕も たけおが言っているオレンジジュースを飲んでみたいし・・・ 」
ママと祖母は無言になった、そして、あきらめた模様だ。
そして、ママは、僕に言った。
「 たける 1000円を渡すから 買ったら 即座に戻ってくるのよ 万が一 何かあったら 看護婦さんが たくさん歩いているから助けを呼ぶのよ いいわね わかった?」
たけおは、ママに抱かれて、車椅子に座った。
そして、僕に向かって言った。
「 たける兄ーちゃん 押して 売店に行こう 」
心配するママと祖母を病室に置いて、たけおと一緒に売店に向かった。
無論、僕も、たけおもマスクをしている。
当たり前のことだけど、病院の廊下を歩くんだ。
行き交う人々もマスクをしているけど、ウィルス感染には気をつけている。
病院の売店は、1階にある。
病院の売店に到着した、僕は、たけおの指差した、オレンジジュースを2本買った。
オレンジジュースを買ったら、たけおの車椅子を押して、即座に病室に戻らなければならない。
ママに叱られたくないし、だから僕は、たけおに言った。
「 たけお 病室に戻るぞ 」
ん? 気のせいか? たけおの表情が雲っている気がした。
売店から、エレベーターに続く廊下の中間には、中庭に行ける扉がある。
病院の入院患者の憩いの場らしい・・・
中庭に行ける扉の前を通過する瞬間、たけおが振り向いて、僕に言った。
「 たける兄ーちゃん ちょっと中庭を散歩しないかい? 」
「 えっ 」
「 ちょっと ちょっとだけだから 」
「 たけお ママに叱られるぞ 病室に戻らないと・・・ 」
「 青空をチラッと見たら... すぐ戻るから... お願い... 」
よくよく考えたら、たけおは、外の世界は久しぶりだから、行きたいのだろうと思った。
根負けして、僕は、たけおが座っている車椅子を中庭に向けて押した。
「 綺麗な青空だね... たける兄ーちゃん 」
普通の青空にしか思えない、しかし、たけおにとっては、綺麗な青空に見えたのだろう。
天を仰いでいる、たけおを直視する。
すると、突然、たけおが、僕に質問をしてきた。
「 たける兄ーちゃん 小学校は楽しいかい? 」
「 え 」
中庭を入院患者が往来する最中、たけおが、小学校の事を聞いてくるなんて思わなかったから戸惑った。
そして、たけおに対して、正直に言ってやった。
「 宿題がなければな 休み時間に友達と遊ぶのは楽しいぞ 」
たけおは、小学校に行ったことがない。
ましてや、幼稚園にも行ったことがない。
小学校に行きたい気持ちがあるのだろうと思った。
「 宿題? 宿題って... なに? 」
宿題を知らない? 驚いた、でも、小学校に通っていないんだ。
当たり前と言えば当たり前なので、僕は答えてやった。
「 小学校の先生が 授業の延長で 家でも勉強をさせる為に問題を渡して来るんだよ 宿題を終わらせないと遊ぶことも出来ないんだよ 」
「 ふぅーん 勉強かぁー 僕なんて 字すら書けないから 勉強してみたいよ 最近 病院の院内学級で ひらがなを覚えたばかりなんだよ 」
ひらがなを覚えたばかり? 正直に言って驚いた・・・
たけおにとっては、小学校は憧れの場所なんだと思った。
友達もいない、勉強も満足に出来ない、毎日、病魔に立ち向かっているたけおの表情は疲れ切っていた。
兄弟だから感じる、弟の異変に、兄として、心配になった。
そして、天を仰いでいるたけおが、僕に向かって、信じられない言葉を言った。
「 たける兄ーちゃん 僕のこと キライでしょ 当然だよね 僕の病気のせいで パパとママと祖父と祖母を独占しているんだから・・・ 」
戸惑いながら、僕は、たけおに言った。
「 謝るなよ たけおは病気なんだ たけおは悪くない 悪いのは病気なんだから・・・ 」
脳ミソでは理解している、たけおが悪いんじゃない、病気が悪いんだと・・・
でも、正直に言って、たけお、死ねって思ったことが何度もある。
授業参観にも来てくれない、運動会にも来てくない、誕生日を祝ってくれることもなければ、クリスマスやお正月もない。
全部、たけおが優先の毎日を過ごしている。
自問自答していると、突然、たけおの表情に血の気が無くなっている異変に気付いた。
「 たけお... おい... たけお... 」
突如、僕の問い掛けに反応しなくなった... たけお
僕は、慌てて、たけおの目前に回り、ウンコ座りをして、たけおの表情を注視する。
すると・・・
「 なんか... なんか... 天使が言っている... 神様が... 僕を呼んでいるって... 」
「 え 」
天使、神様、たけおは何を言っているんだって思っていたら...
「 たける兄ーちゃん オレンジジュース 飲めそうにないや たける兄ーちゃんが飲んで... 」
弱々しい言葉で、僕に言った。
ハァー ハァー ハァー
そして、息が荒くなり、たけおはマスクを外した。
僕は、たけおと視線が合ったら、たけおは微笑んだ。
「 たける兄ーちゃん 安心して これから パパとママと祖父と祖母 たける兄ーちゃんが独占出来るから・・・ 」
「 え 」
意思よりも、先に、僕の目には、大粒の涙がポロポロと溢れてきた。
「 僕... 疲れちゃった... 」
「 ❓ 」
突然、視界が真っ赤になった。
ゲホッ ゲホッ ゲホッ
たけおは、突如、吐血したのだった。
たけおの着ているパジャマが真っ赤に染まる、たけおが手にしていたマスクも真っ赤に染まる。
たけおの口から、真っ赤な血が溢れまくる。
僕は、たけおが吐いた血を、全身に浴びた瞬間・・・
「 看護婦さぁーん 看護婦さぁーん たけおがぁー ママぁー たけおがぁー たけおがぁー 」
サッカーの試合で得点した時よりも、大声で叫んだ。
近くに居た看護婦さんが、僕とたけおの異変に気付いてくれた。
あまりにも衝撃的過ぎて、それからのことは覚えていない。
そして、自分を取り戻したのは、たけおのお葬式だった。
パパとママ、祖父と祖母、悲壮感がたっぷりの表情をしている。
たけおには、友達がいない。
でも、僕の小学校の友達が来てくれた。
「 たける... 元気を出せよ... 」
「 ありがとう みんな ありがとう 」
友達、全員、同情してくれた。
でも、心の中は、ポッカリと穴が開いている。
何故なら、たけおが存在しない現実を受け入れられなかったからだ。
たけおなんて、死ねば良い、そう思っていた。
そう思ってしまった、罰なのかとも思った。
たけおの遺影を直視する、たけおが最後に言った、天使が言っている、神様が呼んでいるの言葉が気になった。
たけおの冒険は、病室から売店、売店から中庭までで終わった。
たけおは、自分の最後を予知して、僕に、車椅子を押させたのか?
その答えは、永遠にわからないけど、はっきりとわかっていることがある。
「 たける兄ーちゃん パパとママと祖父と祖母を独占して ごめんね 」
独占に罪悪感を感じていたのだろう、しかし、僕は、たけおの遺影に向かって言ってやった。
「 馬鹿野郎 家族なんだ 兄弟なんだ パパとママは 僕とたけおのパパとママなんだ 罪悪感を感じるのはおかしいんだ 」
僕は、たけおの遺影に向かって、心に決めた事がある。
たけおの分まで、勉強、運動、遊びに全力投球をしてやる。
「 たけお... お兄ちゃん たけおの分まで生きてやる ありとあらゆることを経験して 天国で再会した時に お兄ちゃんが冒険してきた人生を話してやるからな 」
それまで、天国で待ってろ... たけお
たけお 享年8歳 令和7年1月15日 永眠
【 終わり 】
病院の病室、ベッドでの生活が自分の世界だった子供が、病院の売店に行くのさえ冒険だと思ったんです。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。